寺田佐代子(代表)と堤寛(病理医、監事)によって綴られたエッセイです。


寺田佐代子作

 こころのセルフケア(2008年6月21日)
 亡き友への想い (2009年8月27日)
 安曇野 絵本美術館 森のおうち 雨上がりの朝 (2009年5月25日)
 永平寺「座禅」体験 (2008年5月16日)
 新しい朝 (2007年3月28日)
 こころの平和 (2007年3月28日)
 思い悩むな・・・ (2006年10月26日)
 ホリスティック・ライフ 〜私の生き方〜 (2006年5月19日)
 マザーテレサの施設訪問、ボランテイア活動 (2003年10月22日〜11月3日)


堤寛作
 (患者さんの心)
  乳癌患者さんの気持ち(病理医への手紙)
  化学療法中の乳癌患者さんの気持ち
  乳癌患者の五行歌
  患者さんのこころ
  初恋との別れ

 (生活)
  「熱のあるときや注射のあとにお風呂に入らない」のは世界の非常識
  かぜひきの予防にはうがいとともに「手洗い」が重要
  スリッパと生卵の話
  牛乳と乳がん
  氣と頭と食の話

 (音楽)
  ベートーヴェンの耳
  日本人の聴く耳
  管楽器の名手の性格
  しろうとオーボエ吹きの贅沢
  トロンボーン吹きのグチ




堤寛作


患者さんの心


乳癌患者さんの気持ち(病理医への手紙)


その1.犯人の顔が見たい
 乳癌の告知は突然でした。「残念ながら悪性でした」に続く主治医の説明で、自分の癌が粘液癌と呼ばれている乳癌なのだと知りました。でも、私が知ることができたのは名前だけです。そしてT3,N1,M0,Stage3a,という記号の羅列。

 私は私の癌細胞を見たことがありません。

 手術後、病理の結果も主治医からの説明でした。新たに知らされたことは、リンパ節への転移の数が7個と、多数であったことと、第3期の進行癌のためのしっかりした術後治療が必要だということでした。

 あるかないか断定できない微小転移巣のために行う治療は辛いものでした。自分が何のためにこんなに苦しんでいるのか分からないもどかしさの中で、私は、もしもこの癌が私の死因になるのであれば、自分を殺すかもしれない犯人の顔が見たいと、強く思うようになりました。

 いえ、それより、最初の告知の時点で、病理の医師から、自分の癌について説明していただき、それをこの目に見せていただいていたら……。対象がはっきりしていれば、治療に関する迷いや悩みもこれほどではなかったのではないかと、正直とても残念に思っています。

 でも、手術から時間が経てば経つほど、患者の方から「病理の医師に話が聞きたい」とは言い出せなくなってしまうのが実情です。特に、主治医が懸命に治療してくれていればいるほど、不満を持っているように思われたくないとの気持ちから、ますます口にできなくなってしまうのです。

 そうでなくても、告知を受け止めるだけで精一杯、余力の残されていない患者のために、どうか病理医の先生方の方から、手を差し伸べてはいただけませんでしょうか。誠に厚かましいお願いとは存じますが、何卒宜しくご検討いただけますよう、お願い申し上げます。

その2.SOS 〜知りたいときに病理医の登場を〜
 自分の病理について説明して欲しいと思うこと、私も考えました。
 でもそれは、術後随分経ってからじわじわと考えてきたように思います。私は根性なしで、すべてを知ってすべてを受け入れ納得して生きていくことができるか自信がありません。でも、自分のことは知っていたいという矛盾した心理に揺れます。

 もっと言えば、未来が明るい情報は欲しいが、厳しい情報は自分できちんと受け止められるか自信がありません。ツツミ先生のように患者の心理に寄り添って上手にお話していただける病理医の方に、自分の病理について説明していただき真実をきちんと受け止めたいと言う気持ちと、厳しい予後を含んだ病理をすべて事実として受け取ってしまったらどんな心理になるんだろうと言う気持ちの両方があります。

 患者それぞれに、同じ患者でもその時々にいろいろな欲求が湧きあがってきますよね。そして、それを叶えてくれる機会があれば患者は納得して次の治療に進めたり安定した気持ちで過ごせるのかもしれませんね。

 各病院に病理医の方が十分いらっしゃり、患者が自分の病理について説明を受けたいと思ったときには受診できるような体制があるとよいのでしょうか。でも、外科の臨床医と病理の見解は一致するのでしょうか。何かを望めばなにか心配事が出て来る・・・

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化学療法中の乳癌患者さんの気持ち


その1.病気を知られたくない

 今朝、学校に行く子供を見送りつつ、ゴミを捨てに行こうとしていたら、お隣の奥さんに「おはようございます。あの〜、お元気ですか?」と突然声をかけられました。えっ!?と思いつつ、思わずカツラ&帽子をギュッと掴んだら、「最近、奥さん見かけていないし、ご実家からお母さんが来ていたようだから、どうしたのかな?と思って」と尋ねられました。

 突然のことだったので、どぎまぎしつつ、「はい、元気です。ありがとうございます」と言ってソソクサと家に入りました。

 私は病気のことを近所の人に知られたくないので、一切話していません。子供が小さいので、会えば挨拶したり、家の前で子供同士遊んでいるときに世間話はします。

 確かに、私の実家は遠いので、実家の母もウチには年に1度か2度ほどしか来ませんでした。私が抗癌剤を打つようになったので、滅多に来ない実家の母がウチに来て、しかも買い物に行ったり洗濯物を干したりしているので、あれ?と思ったのかな。先日も、子供同士が遊んでいたとき、私は一切外に出ないで(というか、ヘロヘロで出られなかった)母がときどき様子を見に外に出て行ったので、気になったのかな。

 とにかく、病気を治すまで近所の人に知られたくない!という気持ちが強いのですが、母が来ていたことで、病気のこととか、病気ではなくてもいつもと様子が違うこととか、ばれちゃったのかな〜。それとも、家の窓を開け放して話をしていたときに、病気の話が聞こえたのかな〜。お風呂に入っているときに病気の話をしたのが、お隣さんに聞こえたのかな〜。いろいろなことが頭を駆け巡りました。

 まだまだ乳がん患者歴2ヶ月とちょっとなので、いろんなことに慣れていなくて、ドキドキしてしまいました。ちょっと慌てふためいてしまったものですから・・・。


その2.かつらと笑顔

 術後6ヶ月半、抗がん剤終了後4ヶ月、放射線終了後3ヶ月。現在、ノルバデックス(タモキシフェン:抗エストロゲン薬)、ゾラデックス(酢酸ゴセレリン:LH-RHアゴニスト)治療中です。ホルモン治療の副作用がほとんどないので、薬が効いているのだろうか?とちょっと不安です。

 さて、○○さんのドキッとした気持ち、よくわかります。挨拶のつもりで「元気?」とか「体調どう?」って言ってくれたのであっても、「病気のこと知っているの?」とか「かつらってことがばれて、さぐり入れられているのかな?」とか「何かうわさになっているんじゃないか・・・」とか、ドキドキしながら、いろいろなことが頭の中をかけめぐること、私もあります。

 「はい,元気です」と作り笑顔で答えてはいますが・・・。私的には、もう少し時間がたって、地毛デビューできれば、ドキドキせずにいられるのかなぁ・・・なんて思っています。

 私は、家族と兄弟、ごく一部の友人にしか病気の話をしていません。親戚となると「私はこんながん患者を知っている」とか「あの人は○○がんで亡くなった」とかの話が交わされるのは目に見えていたし(実際、舅、姑がそうだった)、何か声をかけないといけないと思うのだろうけど・・・。「がんばってね」、「元気にしている人もいるから、あなたも大丈夫」・・・って、そんなことを言われたくないし、自分の知らないところで、自分の病気の話をされるのもイヤだったので・・・。(夫の伯母ががんで入退院を繰り返しているので想像つくんです。)

 何だか、グチになってしまいました。ごめんなさい。

 今は、娘(5歳)が「ママの髪の毛、かつらだよ〜!」って口にしないかどうかが心配です。だけど、意外に「かつら」だということに気づかれないようなので、できるだけ普通にふるまうのがいいようです。


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乳癌患者の五行歌


 ある乳癌患者さんの心理を歌った五行歌を、本人の承諾を得て、3つ紹介しましょう。いずれも月刊「五行歌」の入選作品です。

 乳房全摘した乳癌患者さんは温泉に行きにくいという人が多いのです。この方いわく「全摘で温泉にがんがん(・・・・)行ってます」と――
つつしみの範囲でしか
胸を隠さないと
決めた
胸がないことより
恥ずかしいことはいっぱいある


 手術前夜を振り返って――
乳房に
別れの口づけ
して貰って
新たな出発
しなやかに生きる


 術後乳房再建術を迷って――
金で買える喜びは
買ったらいいじゃないかと

乳がん手術のあとの
乳房再建のこと


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患者さんのこころ


 私、変な病になりました。

 やはり病気になれば、特に先の見えるがんになれば、どんなにがんばっても社会の落ちこぼれの気がします。生きてこそだ思います。

 元気な人は、やはり元気な人とつきあいたいと思う。元気な同期の友達は心配してくれるけど、どうしても哀れみの目があったり、ばりばり元気な年齢の友人達は、私の扱いに戸惑っているのがわかる。

 「子供が歯医者でたいへんなの。○○ちゃんもがんばってね〜」。病を話している友人から、こんなメールが来た。とても良い人なんです。だけど、「がんばってね〜」と軽いのりには、少し複雑でした。がんばって、そしてこうなったのを知ってるのに、子供の歯医者さんとがんばってが同じに並んでいるのですから。

 先生、私、嫌な子になってるでしょ。今、何だか素直に取れないの。元気な友人がうらやましくて、輝いて見える。それがなんとも言えず、寂しい…。何だか寂しいのに、明るく振る舞った自分に疲れたかな(笑)。

 もっと大人にならないといけないと思いながら、すべて受けようと思いながら、本当は、やりきれない思いが溢れます。仕方ないですね。明日は楽しいことがあるので、前を向きたいです。

 生きること、未来は楽しいことと信じていた日が懐かしい。今の小さな幸せを大切にしたいと強く思います。

 病になり、気づいたことが山ほどあります。私が元気な時には、がんなどの重い病の人をかわいそうにとか、気の毒にとか、哀れみの目、別世界のものと見ていました。今、私がその病になり、自分が元気な時に浴びせた目や心が、そのまま自分にふりかかっている…、それだけの気さえいたします。

 つまり、私がそう言う目で見てきたために、余計そう思われていると感じてしまうのです。元気な頃の自分が小さすぎる人間だった…。それを今、元気な人に気持ちわかって、と完璧人間期待して…。虫が良すぎますよね。

 だんだん病気も長くなってくると、元気な同じ歳の友に気持ちをわかってもらうことは、無理と思うようになってきています。成長!

 (患者さんは、後腹膜原発の悪性パラガングリオーマ(副腎外褐色細胞腫)で再発を繰り返し、現在、局所再発と骨転移を有する30歳代の女性です。パラガングリオーマは通常良性ですが、後腹膜原発例では悪性も少なくありません。病理診断のセカンドオピニオンを受けて以来、1年以上にわたってメール交換しています。)


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初恋との別れ


 「私、あとどれくらい生きられるかしら?」

 あの衝撃的な電話があったのは2001年9月。火曜日の休日にたまたま外出していたときに突然、携帯電話が鳴った。久しぶりに聞く初恋の人の懐かしいハスキーでアルトの声だった。小学校の同級生で、画家でもある同い年の憧れの人だ。若き日に、国費留学生としてフランス・ドイツに3年あまり留学したエリート美術家でもあった。

 聞けば、2年前に腸閉塞症状で大腸癌が発見され、某総合病院で緊急手術を受けた。緊急手術のうえ、リンパ節が腫れていたために十分なリンパ節郭清はしなかった。今年の夏休み明けの検査で肝転移が発見され、急激に大きくなっている。腹腔内のリンパ節も腫れているため、肝切除はできないと告知されている。今、抗癌剤治療のため別の総合病院に入院加療中とのこと。

 反射的に、ああ、あと3ヶ月かな、と感じた。突然の衝撃にことばを選ぶ間もなく、電話の向こうで彼女の声が緊張しているのが手にとるようにわかる。

 「あと5年は無理と思ったほうがいい――。」これが、ようやくでた私の答え。

 「次女が今小学校6年生なのだけれど、まだ私が命にかかわる病気にかかっていることを知らせてないの。小学校を卒業したら言おうと思うんだけど、じゃあ、それで大丈夫よね。」

 3月の卒業式まであと半年。それさえまず難しいと、医師ならだれでも考えるだろう。 「ごめん。いや、やっぱり――、もう少し早く言ってあげた方がいいと思う。」「残された時間はあまりないかも知れない。できれば、画家としての集大成になるような画集をつくってほしい。」

 こうしたことばが、彼女に深い衝撃を与えてしまったことは、その週の金曜日に“むなしいお土産”をもって東京の病院を見舞ったときの彼女の話で確認した。私は彼女にとって唯一の医師の友人だった。病理医という職業柄、病気、とくに「癌」がたどる道筋はわかりすぎるほどわかってしまう。しかも、40年間憧れ続けた大切な人に、医師として何もしてあげられない。

“むなしいお土産”とは、私ができる唯一のことと信じ、結果的にうまくいかなことがわかった染色標本のこと。全身転移した進行期乳癌で有効性が証明されている新しいミサイル療法「ハーセプチン療法」が彼女の大腸癌にも効く可能性があるかどうかをHER2に対する免疫染色で確認したのだ。結果は陰性。つまり、最後の手段も効く可能性はないことになる。大腸癌でのHER2陽性率は低いし、ハーセプチン療法の有効性は学問的に証明されていない。当然、健康保険の対象でもない。でも、やってみる価値はあると信じ、21年勤務したT大学病院の気心の知れた外科医に、もし陽性の場合は治療してもらえるとの約束をとっての、一か八かの染めものだった――。

 どうやって標本を手に入れたかって?2年前に手術した病院の病理医に電話のあった翌日に連絡し、病理診断書のコピーと未染色標本を宅配してもらった。病理医が病理診断を下す病理標本は、いつでも必要に応じて必要な枚数“薄切”することができるのが最大の特徴なのだ。無理な大至急のお願いに快く応じてくれたのは旧知の先輩病理医。木曜日の午後に到着した未染色標本を金曜日の午前中に染色してくれたのは仲間の美人臨床検査技師。昼休みにはHE染色とHER2に対する免疫染色がそろった。現在の職場である藤田保健衛生大学をむなしい思いで出発したのは2時ごろだった。彼女のにっくき癌はしっかり大腸壁を貫いて浸潤し、リンパ節に転移していた。ピンク色に染色されたプレパラートも東京の病院に入院中の彼女にプレゼントさせてもらったが、何かとてもむなしい。

 東京からの帰りの満員電車で、生まれて初めての立ちくらみを経験し、横浜駅の通路で動けなくなってしまった。医師として、大切な人に何もしてあげられないことがどうにもくやしい。満員電車の中で、家族のこともかえりみず、できることなら代わってあげたいと考えている自分を発見した。

 彼女は、化学療法の専門家の治療にもかかわらず、半年後の2002年4月に眠るように亡くなった。高度の肝転移と十二指腸への浸潤性狭窄に信じられないくらい耐えて、すばらしい画集をまとめあげて天国へと旅立った。区の教育委員のしごとも最後まで務めあげたそうだ。私が彼女を憧れ続けた最大の理由は、小学生のころから、私は画家になるとはっきりと意思表示し、しかもそれを着実に実現していった明確な人生設計にあったと確信している。

 今や私の宝物となってしまった画集の作製には、ご主人や家族の絶大な援助が必要だったことはいうまでもない。しかし、作品の選定、編集、コメントづくり、色校正など、本人にしかできない作業は膨大だった。サイズの大きな作品が少なくない。それを信じがたい精神力でやり通した。

 でも、私の最初の電話に際しての彼女の答えも、今から思えばとても彼女らしかった。

 「私は画家である前に母親でいたい。娘たちのために1分でも長く生きていたいんです。画集の制作よりもその方がずっと大切なの。」

 結果的に、彼女は母親として、妻として、そして画家として、残された時間を立派に生き抜いた。お姉さまの話では、すべてを悟り、画集作製を成し遂げ、次女の卒業を見守り、そして静かに息をひきとったそうだ。そんなすばらしい友人をもてたことを、私は生涯誇りに感じていくと思う。彼女を自宅に見舞ったとき、彼女自慢の娘である次女が、私のあこがれた小学校6年生のお母さんにあまりによく似ていることも、決して生涯忘れないだろう。

 画集に添えられたご主人の挨拶状に、彼女自身の病床でのことばが引用されている。一部を引用させてもらいたい。

 昨年11月、私は50歳の誕生日を迎えました。そしてそれは、皮肉にも自分の人生が終わりに近いことを知らされた時期でもありました。自分の命の限界を意識したとき、最初に心を占領したのは家族への想いでした。そして、次に“画集を作っておきたい”という気持ちが日ごとに膨らんできました。(中略)

 普通ならば、作品集というものは、作家が仕事を深め、ある絵画世界を確立できたときに、内からも外からも期が熟して生まれるものかも知れません。名声とは無縁のささやかな仕事ではありますが、ここに‘自分だ’と言い切れる作品、また‘自分以上だと’自負できる作品もあります。

 今、画集の作製過程で改めて思うのは、「私は大変恵まれていた」ということです。そしてこの間、さまざまな形で支えてくださったみなさまに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。(中略)

 感じる喜び。表現する楽しさ。絵を軸にして人生を歩んできたことを本当に幸せに思う。もうじきこの旅路を終えなければならないが、不思議に静かな気持ち。今、どんな絵を描いているだろう。


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生 活


「熱のあるときや注射のあとにお風呂に入らない」のは世界の非常識


 発熱時には汗をかきます。汗まみれの皮膚では細菌がどんどん増殖します。こういうときこそお風呂に入って体を清潔にして、暖かいうちに布団に入ってぐっすりと眠りましょう!かぜにはこれが一番です。また、注射針のあけた穴がいつまでもあいたままなんてことはあり得ません!

 他の国の人たちは、熱のあるときほど湯船に浸かります。あのお風呂きらいの西欧人たちがそうするのです。

 貝原益軒著の「養生訓」(江戸時代の健康指南書)に、はしかのあと風呂に入るなとある影響なのでしょうか?はたまた、内風呂も空調設備もない“おばあさん”の時代、銭湯から帰る間に体が冷えてしまうことを諭したゆえんでしょうか。


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かぜひきの予防にはうがいとともに「手洗い」が重要


 かぜの原因はかぜウイルス。ウイルスは咳やくしゃみで飛び散ったしぶき(飛沫)の中にいます。飛沫を吸い込むと感染しますが、机やテーブルにおちた飛沫を手で触って、その手で鼻を触る経路でも感染が成立します。だから、かぜをひかないために、石けんでしっかり手を洗いましょう。

 うがいは、いやな口臭の原因となる口の中の細菌数を減らします(とくに、うがい薬を使った場合)。のどからウイルスを洗い流す効果もあります。

 かぜをひいたときにマスクをつけて外出するのは日本人の誇るべき習慣です。飛沫をマスクに捉えることで、ウイルスをまき散らすことが防がれます。でも、たとえばデンマークでは、日本で当たり前の総合感冒薬が売られていません。マスクをする習慣もありません。かぜをひいたら家で寝ているので、外出する人はいないのだそうです。


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スリッパと生卵の話


 スリッパは日本の特産品です(明治初期に横浜で発明されました)。スリッパに履き替える大病院はさすがに少なくなりましたが、開業医はまだスリッパ全盛でしょう。どうして、スリッパを履くと安全なのでしょう。スリッパを履けば床がきれいに保たれるのでしょうか。答えはNoです。病院の床を触る人はほとんどいません。床に菌がいても何の害もないのです。逆に、誰が履いたかわからないスリッパを履いて、水虫をうつされる可能性は決して少なくありません。欧米では、無菌室でも、集中治療室でも、手術室でも土足で出入りします。スリッパに履き替えて水虫の院内感染をおこしているのは日本の病院の大きな特徴なのです。

 旅館の朝食の定番は、ご飯に納豆に生卵。この生卵がどうやってお膳にのっているかが大事です。不安定な生卵がお椀に入れられてくることが多いですよね。これはたいへん危険です。生卵の殻にはサルモネラという食中毒菌がしばしば付着しているからです。生卵を入れた容器に卵を割り入れて食べるなんて!旅館のスリッパがしばしば一組ずつ重ねられているのと同じくらい不衛生なのですぞ。床の汚れを素足や靴下になすりつけて、皆さん平気ですか?


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牛乳と乳がん


 最近、30代から40代の女性に乳がんが急増しています。日本人の30代女性の死因のトップは乳がんなのです。欧米型の食生活への変容がその最大の原因といわれています。つまり、肉類と乳製品の摂取過多が問題となります。

 牛乳は、エストロゲン(女性ホルモン)濃度の高い分娩後の雌牛からのおっぱいです。日本の酪農では分娩後半年すると授乳中の牛が人工授精されるため、エストロゲン濃度が高まることが避けられません。こうした牛乳を原料とするチーズ・バター・クリームといった乳製品には、エストロゲンがとくに濃縮されています。

 肉類(とくに牛肉)についても、去勢した雄牛の肉(女性的で軟らかくなる)が多いので、比較的にエストロゲン含有量が高いのです。驚くなかれ、松阪牛や飛騨牛といった柔らかさを売りにしている高級和牛は、去勢したあとに糖分をたくさん食わせ、筋肉が弱って立てなくなる寸前が一番うまいのだそうです。牛肉は安いもの、硬めの肉がいいのかもしれません。

 太ると、脂肪細胞が増えます。脂肪の取りすぎと同じように、甘いもの(糖質)を取りすぎると、余った糖質は体内で脂肪に変換されて脂肪細胞にためられます(肝細胞にたまると脂肪肝になり、動脈壁にたまると動脈硬化になります)。脂肪細胞には、テストステロン(男性ホルモン)をエストロゲンに変える酵素(アロマターゼ)が含まれています。つまり、エストロゲン産生工場である卵巣の機能が停止した閉経後に肥満になると、血中のエストロゲン濃度が高まります。しかも、閉経後はどうしても太りやすいのです。そのため、結果的に、乳がんや子宮内膜がん(体がん)のリスクが高まるのです。

 乳製品の取りすぎと高い牛肉のステーキを控える(適量にする)。そして、植物線維の多い、和食(ご飯とみそ汁)にできるだけ切り変える。これで、ついでに大腸がんのリスクも減るでしょう。そのうえで、糖質、脂質を少し控えめにした、バランスのよい食事を心がけましょう。


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氣と頭と食の話


 ご飯と味噌汁は,理想的なアミノ酸バランスを提供します。

 日本人の主食である米には7%、欧米人の主食である小麦には11%の蛋白質が含有されていますが、そのアミノ酸バランスはかなり異なります。小麦には必須アミノ酸のリジン、メチオニン、スレオニンが少ないために、肉や乳製品を食べて不足したアミノ酸を補わなくてはなりません。米にやや不足ぎみであるリジンは、豆類に豊富に含まれています。豆類に少ないメチオニンは米に多いのです。つまり,味噌や豆腐などの豆とご飯(米)の組み合わせは,必須アミノ酸の確保にとって理想的なのです。

 つまり、欧米や中東では農業と牧畜がセットにならざるを得なかったのに対して、モンスーン気候のおかげで米が豊富に収穫できるアジアでは、牧畜は必ずしも必須ではなかったのです。アジアと欧米の食文化の違いは、どうやら米と麦のアミノ酸組成の違いに由来していそうです。

 気力の気の旧字は「氣」。氣を養うには、米が大切なのです。頭をよく働かせるには、豆が必要です。氣力があって頭を働かせるには米と豆を中心とした食事が重要だと、昔の人は字で教えてくれているのです。精神の「精」にも米が重要なのです。喜びや嬉しさには豆が隠されています。一方、「腐」は肉食を戒めています。「癌」は大食の戒めでしょう。品物を山のように食べて病気になった状態という意味にとれますよね。

 「糖」分の採り方は、文字通り、米からが理想です。米に含まれるデンプンは多糖類であり、体内でゆっくり分解して、エネルギーを安定供給します。蜂蜜や砂糖など単糖類・二糖類は血糖値を急激に上げるため、血糖値が不安定化します。さらに、これらが急激に燃焼するときにビタミンB群やカルシウムを消耗します。

 日本食のすばらしさを見直しましょう。


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音 楽


ベートーヴェンの耳


 聴覚障害には伝音性難聴と感音性難聴がある。内耳の三半規管まで音を伝達する外耳・中耳に障害がある場合が伝音性難聴、三半規管から先に障害がある場合が感音性難聴である。耳小骨の動きが悪くなる耳硬化症は伝導性難聴を呈する。伝音性難聴の特徴は、近くの会話は聞こえ、電話がかけられる。補聴器が有効である。ところが、ちょっと離れた場所からの音は全く聞こえない。ヴァイオリンの弦の調律はできるが、屋根を叩く雨の音は、たとえそれが嵐であっても全く聞こえない。

 最近、江時久(エトキヒサシ)氏が「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」(NTT出版)と題する本を執筆した。江時氏自身が耳硬化症なのだ。「合唱つき」交饗曲第9番など多数の名曲を作曲したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770-1827)の耳は25歳ころから悪化し、その後全く聞こえなくなり、頭の中だけで作曲したというのが定説である。1987年4月、ウィーンの学者2人が、ベートーヴェンは耳硬化症だったと診断した。耳硬化症は“いつの間にか発生して緩やかに進行する両側性伝音性難聴”が特徴である。耳硬化症だったのなら、完全に聞こえなかったのではなく、本当は死ぬまで自分の弾くピアノの音は聞こえていた。だからこそ、あのような作品群を完成させられた! 一方、不得手なのが人との会話で、人間嫌いになりやすい。彼の初恋の、そして生涯思い続けた貴族の娘ロールヘンにどうしても求愛できなかった理由は、その劣等感からだった可能性がある。


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日本人の聴く耳


 昭和57年1月16日に開かれた日本医家芸術クラブ主催の座談会における芥川也寸志氏の発言内容を少し紹介させていただこう。

 ピアノと尺八を比較してみよう。ピアノの構造はものすごく複雑だが、弾けばだれでも同じような音が出る。一方、尺八は竹を切って穴を5つあけただけの単純な構造なのに、吹くと首振り3年といわれるように非常に複雑な音が出る。ヨーロッパ合理主義は複雑な条件の中から単純な結論をひきだすのに喜びを感じるのに対して、日本人は単純さの中に複雑な味わいを見つけ出そうとする。ヨーロッパの鐘はガランゴロンと鳴るだけだが、日本人の耳は除夜の鐘のボーンという音が消えてなくなるまでの“余韻”をずうっと追いかけてゆく。虫の音を音楽的に受け入れるのが日本人の耳といえそうだ。これは、英語のように子音の発音の多い言語で育った人間と母音の多い日本語で育った人間の頭脳構造の違いを反映しているのかもしれない。日本人はピアノやバイオリンは右脳で聴くのに対して、笙や篳篥などの和楽器は左脳で聴くらしい。芥川氏はこれを「ロゴスとパトスが入り乱れているような脳の構造」と称している。パトス+ロゴス=病理学なので、日本人の脳みそは病理学に向いているだろうか。


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管楽器の名手の性格


 芥川龍太郎の三男である作曲家、芥川也寸志氏(1925〜1989)いわく、管楽器の性格と吹き手(名手に限る)の性格には相関関係がある。

 フルートの名手は物事を常識的に判断する。突拍子もないことを言い出す人はフルートがうまくならない。そしてフルートの名手はみな白髪だそうな。

 デリケートな楽器であるオーボエの奏者はみな神経質、チンドン屋の吹くクラリネットはユーモリストが多い。すっとぼけた音の出るファゴットはすっとぼけた人がうまい。ホルンは理屈っぽい。ホルンという楽器がF管で、いつも移調して吹いているせいらしい。トランペット吹きは長命だそうだ。


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しろうとオーボエ吹きの贅沢


 リード(reed)を使う木管楽器には,ダブルリードの(2枚のリードで音を出す)オーボエ,ファゴットとシングルリードのクラリネットやサキソフォーンがある。リードはアシ(ヨシ)の意味で,十分に乾燥させたアシ(イネ科の植物)の茎をリードに加工する。リードに適したのアシはすべて人為的に栽培されている。伐採は冬期に行われ,枝や葉を切り落とした状態で年余にわたって乾燥させる。乾燥期間は7年が必要とされてきたが,現在では2年程度で,節を切り落としたパイプ状で出荷される。南フランスの地中海気候がアシの乾燥に最適とされる。日本の気候では,何年も保存しておくと酸化してパサパサになってしまう。

 プロのダブルリードプレイヤーは自分でマイリードを削る。材質にも大いにこだわる。素人オーボエ吹きの著者はリードづくりができないため,リードは“おっしょうさん”だよりだ。市販品(といっても,プロオーボエ吹きの作品)を買うと,1本3,000円前後する。しかも,オーボエリードはあまり長持ちしない。タンギングの多い曲を一生懸命に練習するとあっという間に鳴らなくなってしまう。本番にリードをベストの状態に保つことはとても難しい。本番直前の練習(業界用語の“ゲネプロ”)で本番用リードをダメにしてしまうことが多い。というわけで,本番用に複数本のリードが必要なのである。

 私の師匠,東京都町田市在住の湊貞男先生はもと東京フィルハーモニー楽団員で,“世界一”優しい先生だと思う。2時間の個人レッスンが学生並みの7,000円で,いつも新品リードを2本いただける。本番前は5本のリードをいただいたことさえある。レッスンそのものは無料といってもよい。そのうえ,どんなにへたくそでも,決して怒らない。そして,演奏の裏の裏まで,何でも知っている超ベテランオーボイスだ。レッスンにはこの上ない贅沢な環境といえよう。感謝。


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トロンボーン吹きのグチ


 著者はこの十数年オーボエというダブルリード楽器を練習している。前任地および現在の藤田保健衛生大学で学生オーケストラに加えてもらっている。「ブラ1」(ブラームス交響曲第一番の略)は2回ほど演奏させてもらった曲だ。オーボエソロが多いので,オーボエ吹きにとっては「おいしい」曲である。この名曲にまつわる“裏話”を披露しよう。

 まず,オーケストレーションの話。オーボエに限らず,他の木管楽器でも,ソロの直前は一小節程度の休みをくれていることがうれしい。作曲者ヨハネス・ブラームス氏の何というやさしい気遣い! きっと,しっかりやれよという叱咤激励なのだろう。一方,同時に演奏したジャン・シベリウス作曲の組曲「カレリア」では,休符がなく最低音を吹きっぱなしの長いパッセージのあと,いきなりのソロがオーボエに課されている。プロのオーボイストに聞くと,「まともにやっちゃダメ」というごもっともなアドバイスだった。

 つぎは,トロンボーン吹きのグチ。ブラームスの生きた百年以上前のトロンボーンは性能が悪かったのだろう。とにかく,この曲でトロンボーンが登場するのは第四楽章の後半である。しかもいきなりのソロだ。三本のトロンボーンのアンサンブルはとても美しく,聴かせどころなのだが,木管楽器奏者からすると,何ともかわいそうに思える。たとえば,第一楽章のでだし(序奏)のフォルテではホルンが大きく響くが,トロンボーンがあった方がもっと厚みがでる気がするのは筆者だけだろうか。トロンボーンは,ベートーベンの第五交響曲「運命」の第四楽章で始めて交響曲に使われるようになったそうだ。ベートーベンを師(目標)とするブラームス(バッハ,ベートーベン,ブラームスはドイツの3Bと称される)だけあって,トロンボーンの使い方も見習ったのだろう。プロのトロンボーン吹きにとっては,ちょっと出演しただけで,バイオリンやオーボエと同じだけの金を稼げる「おいしい」曲ともいえそうだ。

 もう一つ,アントニン・ドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」の裏話から。聴く人にとってとても聴き心地がよいこの曲は,楽器演奏の立場からは割と悩みが多い。第一楽章でフルートが2回吹くソロのメロディーが1回目と2回目で調が半音違うこと。第二楽章の最後でコントラバスだけで和音を弾くこと。第三楽章の最後でビオラの刻む音符が1小節に6つ,5つ,4つ,3つと減ってゆくこと。極めつけは,チューバの出番が静かな第二楽章に二度でてくるだけで,他楽章のフォルテシモの盛り上がりでもただ指をくわえて(?)聴いているだけなこと。シンバルも第四楽章の前半で一発だけ登場し,しかも拍子はずれの部分で「弱く」と指定されていること。ドボルザーク氏がチューバとシンバルに「いじわるな」こんな譜面をどうして書いたのかは謎のままである。


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