寺田佐代子(代表)と堤寛(病理医、監事)によって綴られたエッセイです。


寺田佐代子作

 こころのセルフケア(2008年6月21日)
 亡き友への想い (2009年8月27日)
 安曇野 絵本美術館 森のおうち 雨上がりの朝 (2009年5月25日)
 永平寺「座禅」体験 (2008年5月16日)
 新しい朝 (2007年3月28日)
 こころの平和 (2007年3月28日)
 思い悩むな・・・ (2006年10月26日)
 ホリスティック・ライフ 〜私の生き方〜 (2006年5月19日)
 マザーテレサの施設訪問、ボランテイア活動 (2003年10月22日〜11月3日)


堤寛作
 (患者さんの心)
  乳癌患者さんの気持ち(病理医への手紙)
  化学療法中の乳癌患者さんの気持ち
  乳癌患者の五行歌
  患者さんのこころ
  初恋との別れ

 (生活)
  「熱のあるときや注射のあとにお風呂に入らない」のは世界の非常識
  かぜひきの予防にはうがいとともに「手洗い」が重要
  スリッパと生卵の話
  牛乳と乳がん
  氣と頭と食の話

 (音楽)
  ベートーヴェンの耳
  日本人の聴く耳
  管楽器の名手の性格
  しろうとオーボエ吹きの贅沢
  トロンボーン吹きのグチ




寺田佐代子作

こころのセルフケア (2008年6月21日)


 容量が大きいため、暫定的にダウンロード項目とさせて頂きます。
 下記よりダウンロードしてご覧下さい。(PDFファイル)

 寺田佐代子.がん患者支援のための”こころのセルフケアプログラム”.医学のあゆみ225(12): 1257-1262, 2008


一番上へ


亡き友への想い (2009年8月27日)


 きょうは、ちょっとしんみりと・・・想いを伝えます。
 ちょっと、思い出したので・・・
 そして、みなさんには、あまり話したことがなかったのですが、知っておいてほしくって・・・

 2003年の夏、6年前の今頃、わかば会を発足して半年。
 発足時の仲間、3人が入院していました。まきこちゃん、かべやさん、まゆみちゃん・・・。内海先生は、ロンドン留学中、小林先生が、3人を診ていました。

 まゆみちゃん・・・は、幼いおこさん2人いて・・・
 乳がんの再発・・・目が痛い・・・と。
 検査して、眼骨に転移があったのですが、治療を決めた翌日、突然死。
 死因は、突然の・・呼吸停止・・・
 まきこちゃんは、動揺して、嘆きのメールを病室から・・・

 その後、2004年3月に計画していた1周年コンサートを待たずして・・・
 その夏に、2000人ホールのピアノ庫で、隠れコンサートをしたのです。
 まきこちゃんと、ママと壁谷さん3人だけを前に、堤先生と私は、1周年で演奏する予定のモーツアルトのオーボエコンチェルトの演奏をしたのでした。
 彼女らが、2004年3月までもたない・・・と堤先生がいうので・・・
 そのことを胸に秘め・・・悲しい気持ちでしたが、明るくふるまい、練習成果を聴かせる・・という名目で聴いてもらいました。
 彼女らは、うまくなったと、喜んでくれました。
 まきこちゃんは、最初の練習をきいているので、それよりは素人がきいてもうまくなった・・・と。
 私は、なにしろ、ピアノ弾くこと、そのとき、20年くらい弾いていなかったのに、まきこちゃんが、闘病がんばる・・・というので、私もピアノがんばる・・・と練習開始し、コンサートを企画したのでした。
 このことがなければ、私はピアノを再開していなかったのでしょうね。
 そういう意味でも、私が、なぜ下手はがらも演奏を継続するのか?
 亡き友への約束なのです。
 悩める患者仲間に癒しのときを・・・と約束したのでした。

 その数週間後、まきこちゃんは、亡くなり・・・
 かべちゃんも、その後・・・でした。

 患者会発足し、1年もたたない間に、仲間を3人、見送りました。
 その悲しい想いを乗り越えて、1周年コンサートを開催したのでした。

 癒しのコンサートは、亡き友への追悼。
 そのときの想いが原点です。
 そして、生きるものの勇気。
 悩むものとときを共有し、生きる意欲を・・・と。

 そういう想いで、継続してきました。
 京都もまさにその想いだけでした。
 愛知の11月23日も、私の想いは、それが原動力です。

 3人の仲間の死を悲しみ・・・
 私は、ロンドンのマザーテレサの施設にボランティアに行くことを決意したのでした。
 2004年の秋でした。
 そして、その経験のなかでマザーテレサの教えを知りました。

 祈ることは、信じること
  信じることは、愛すること
   愛することは、奉仕すること
    ただいまそこに必要なことをするのです・・・と。
     見返りをもとめずに、ただ必要なことをして、そこを去りなさい・・・と。

 私の活動の原点は、それを見習いたい一心でした。
 マザーテレサの素晴らしさ。地球上にこのような女性がいたことに驚き、我が身を恥ました。

 しかしながら、さまざまなことが起き、悩み、活動そのものの価値、意義に自信を持てるのにも時間がかかりました。
 活動をやめてしまいたい思いに、何度も何度もなりました。
 でも、原点は、まきこちゃんのこと。
 マザーテレサの施設で、毎日毎日ジャガイモの皮をむいて、ホームレスに炊き出しをして、スープキッチンという教会の台所に毎日100人ものひとが食を求めてくる・・・
 その光景・・・
 生きるとは、何か?

 人間は、食べて、寝て・・排泄して・・
 その繰り返しでありながらも、ひととして誰かに愛されることに喜びを感じるのです・・・
 ホームレスは、食を与えられて、はじめて、愛を知るというのです。
 初めて、感謝を知るというのです。
 確かに、スープキッチンの光景は、日本では見られない光景でした。
 ロンドンという都会の片隅に、貧民街のあることをも知りました。

 そして、もっと素晴らしいことは、
 ひとを愛することの素晴らしさ・・・です。
 悩めるものを愛する・・・
 貧しきものを愛する・・・
 無条件に・・・
 それは、生きているからこそできる。
 人間として尊い行為なのです。
 何の見返りも求めないで、
 ひとを愛することって・・・とてもとても、尊いのです。

 ぴあサポートは、見返りを求めない愛です。
 自分が生きていることの証です。

 ただただ、愛することの素晴らしさ・・・
 我が身を焦がし、もえるろうそくのごとく・・・
 周囲に光を分け与えることなのです。

 そうはいっても、なかなか、そうはいかないのが現実ですが
 少しでも、ちょっとしたことでも・・・
 そんな気持ちに立ち返ることができて、サポート活動ができることに、喜びを感じます。

 生きているからこそ・・・です。


一番上へ


安曇野 絵本美術館 森のおうち 雨上がりの朝 (2009年5月25日)

 

 雨上がりの朝、安曇野の絵本美術館、森のおうちの前の森

 新緑が朝日にまぶしく、木々の葉は、そよそよの揺らいで、何かささやいていた。
 一枚一枚の葉が、光を受けて、風に揺られて、おもしろいくらいに、そよそよと
 交代にゆらぐの。ペチャクチャ、ガヤガヤ・・みていて飽きなかった。楽しそう。

 おはよう ゴキゲンヨウ どうしたの? ヒトリ? もう帰るの?

 そう、もう帰るの。
 この森は静かでいいね。赤松の林。まっすぐに伸びた赤松。
 庭を掃除していたオーナーの奥様?かな、「この赤松の林は、もう老木でね・・・
 もうあと20年でしょう・・・針葉樹が朽ち、広葉樹に世代交代する時期が来るん
 ですよ」「まあ、森にも世代交代があるんですね・・・」
 ここが気に入ったので、また来る、ホールで音楽もやりたい・・・と話すと、喜んで
 くれた。仲間うちの音楽会でしたら、ピアノの使用料をお安くします。
 ここでは絵本の朗読や語りをやっているので、一緒にセッションしてもいいですね
 ・・・とのこと。何か、いいことできそう。また来るね!! 


一番上へ


永平寺「座禅」体験 (2008年5月16日)


 私は、2008年5月17日、第97回日本病理学会総会の最終日、市民公開講座があり、そこでパネリストとして招かれた。金沢には、かつて一度も旅をしたことがなかったので、どこか観光をしようと思い、前々日からホテルを2泊とり、15日から金沢にきている。来る前に、金沢の旅ガイド本を購入してきた。また、たまたま本やで見つけた「道元禅師の寺を歩く」という古寺巡礼8という本も購入した。これは、セルフケアワークを開催しているなかで、「セルフケア」として自分自身何か新しいことをやろうとしているものがあるか?という話で、私は、「坐禅になにやら興味がある」と述べていたことも思い出しての行動であった。しかし、道元禅師・・曹洞宗、禅宗というのは、私の生家、実家の宗派であり、母の実家、父の本家の宗派でもあったので、祖母がよく、「永平寺に行く」とか「道元さんの供養」という言葉は幼い頃耳にしていたので、よく覚えている名前である。

 祖母は道元禅師のことを檀家のものとして親しみをこめて「道元さん」と呼んでいたのだった。また、私の実弟は、私の3歳年下であるが、高校時、愛知県にある「愛知高校」の学生であった。もう30年以上もまえになるが、そのころ、私は、弟が、「学校から永平寺にみんなで行く」「坐禅をやってきた」ときいたことがある。私は、過去に、「永平寺」や「道元」の名を聞きながらも、一度もこの地に来ることがなかったが、日本病理学会に招かれたおかげで、永平寺を訪問する機会を得た。何かのご縁に導かれたと思う。

 私は、中学からカトリック系の学校に行き、洗礼も受けた。実家は仏教。洗礼を受けたが、教会には所属していない。熱心に教会に通うこともしていない、隠れクリスチャンのようなものです。しかし、キリスト教精神は、自分の成長期に影響をうけたので、心身に染みついている面もある。しかし、今日、坐禅がオーストラリアで体験したMeditationとよく似ているので、驚いた。日本人として、この坐禅の教えを、道元さんは実家の宗派でありながら、深く知らなかったことを恥じた。また、今日ここに偶然にも導かれた、こういう機会を得たことは、感謝すべきことです。

 金沢に15日に夕方到着。その日は、ホテルに入り、レストランでディナーをひとりでのんびりとり、その後は、読書した。勿論購入した本「道元禅師の寺を歩く」を一気に読んだ。そこで、驚いたのは、座禅の教え。なんと、こころを「無」にする、我欲を無にするというのは、オーストラリアで体験したMeditation の時に導かれる方法とよく似ていることだ。道元禅師の教えでは、座禅は、「只管打座」(しかんだざ)=ただ座ること、と、説いている。そしてなぜ座禅を修行としたか・・・それは、仏の教えを伝えることよりも、教えは「実行」しなければ意味がないと説いたのです。これはすごいと感じた。明日は行ってみようと決意して、その夜は眠りについた。
翌朝、ホテルで朝食をとり、早速金駅へ。金沢から福井には、名古屋から来た方向へ逆戻りの列車にのって行かねばならない。しらさぎ号で50分くらいで福井に着いた。福井駅からは永平寺行きの定期バスが出ている。バス乗り場は案内看板も親切にあったのですぐにわかった。永平寺まで30分程度。バスは、そんなに混み合ってはいないが、それでも観光に行くひとは結構いた。

 到着して永平寺参拝の入場券を買った。そして、案内に従って、経路を進んだ。修行僧雲水が説明にあたってくれる。僧侶の着る黒装束で、丸刈りの若者が丁寧な案内をしてくれる。「今時、このような修行をする日本男児、若者がいるんだ・・・なんと心地よいひとたちだろう」そんなことを感じながら、中に進んだ。

 法堂では、修行僧、僧侶ら100人近いと思う・・が、お経を唱えていた。その声の合唱が地響きのように、自然のなかで響きわたっていた。そのそばで座り、焼香もさせていただけた。希な体験であった。

 そのそばに、承陽殿があり、そこには、道元禅師の遺骨が納められいてる。お墓。聖地だ。霊地、御霊の眠る聖地だ。合掌。

 さて、座禅。私は、説明する雲水に聞いてみた。「座禅体験はできますか?」と。そうしたら、「できます。本当は予約がいりますが、いまから、受付にお連れしますので、そこで聞いてみましょう。当日でもできることがあります」と。

 受付に行くと、そこにもまた受付を担当している修行僧が、座禅の係の雲水に連絡したら、「いまからそちらにそのお方をお迎えに参ります」ということになった。

 「まあ!!今から!!」思いがけない出来事となった。

 150人あまりは入れそうな、坐禅の道場に、私ひとり。そしてその担当の雲水は、私一人に坐禅の指導をし、私ひとりに坐禅をさせた。坐禅すること、30分余り。「渇」を入れられるか・・・と、ハラハラしたが、そういう邪心がいけないと思い、雲水のいることも意識せずに(雲水は私の後ろを行ったり来たりしているのだった)、こころを無にし、からだもリラックスさせ、こころ静かにしていた。渇は受けなかった。無事終了。とても厳粛な時間だったし、心地よかった。心身癒された。

 ところで、坐禅って、壁に向かってするんだって、知ってた?畳半分あまりのスペース。

 学んだこと。ちなみに、仏像って・・座っているでしょう?あれって、「坐禅している」のだそうですね。坐禅は、眼を閉じるのではなく、半開き。視線を下へ・・・でも頭は垂れない・・とのこと。

 永平寺のできたのは、1244年。道元禅師によって開かれた坐禅修業の道場。

 仏の教えで、大切な、「三心」とは・・、
 「喜心」=喜んでする。食べていただくひとに喜んでもらう気持ちで食事を作る、供える。供養とは、供える・・いのち養う。供養とは、そういう意味なんだ・・・なあ・・
 「老心」=のちのひとにわけるこころ。慈悲のこころ。
 「大心」=川の水はすべて海に流れる。わけへだてない海のようなこころ。
 ・・・・であった。合掌。

 この「喜心」について、ちょっとひとこと、
 これは、マザーテレサの施設でも、ものごとをするときの心得として、
 With pleasure というのがあった。何かをするにあたって、自身が喜んでする・・・
 この気持ちが大切だということだった。カトリックと禅宗、宗教の違いはあれ、人間の行いについて、その根底になる尊いこころとは、共通するようだ。

 また、食に関して、カトリックの教えでは・・最後の晩餐について、・・・キリストが最期の夜、もう処刑されるというその最期の夜、弟子に分け与えるパンとぶどう酒・・これを分けるとき、キリストは、「これは私の血であり、肉である・・」という。つまり、自分の食べ物を分けるということは、自分がいただけば、自分の血となり肉となる・・つまりはいのちつなぐものとなるのだが、これを自分が口にせずに、他者に与える・・これを喜んでする・・・とは、最も尊いことだということである。だから、いまでもミサで最期に列を作り、パンにみたてたチップのようなものを信者は司祭から受け取り、自分の口に入れて、ミサが終わるのだが・・・最期の晩餐の再現をしているのである。

 昔、私の実家では、いただき物をすると、まずおばあちゃんは、仏間に備え、おさがりをいただくのが常であった。まず先祖さまにお供えする。そしてありがたくいただいたものだ。今、どうであろう?今日は、そんな祖母のことを思い出し、懐かしんだ。

 また、道元さんの教えを実行しているその弟子たち。食べ物を作るにあたっても、いっさいの無駄をしないように、大地からできた作物を作ったひとに感謝しながら、料理し、食べるひとに喜んでいただけるように、調理する。またいただくひとも、大地に感謝し、作った人に感謝し、調理したひとに感謝し、いただく。そしてごちそうさま。そんな気持ちを現代人は忘れている。ミャンマーや中国の被災者は、今・・心痛い・・・

  



一番上へ



新しい朝 (2007年3月28日)

 

 オーストラリア・メルボルンの郊外ヤラバレー・Gawler Foundation の宿泊ルーム
 から見た朝の景色。目の前にこんな大自然が毎朝見られるのは、最高だ。5月末のある  
 日の朝の光景であるが、こちらは秋。気温は昼間13度前後。空は青く、空気は澄んで
 いる。静かな、美しい朝だった。(2006年5月 Sayoko撮影)
 川のせせらぎの音がかすかに聞こえる。「ベルバード」と呼ばれる鳥が木々の間で、絶
 え間なく鳴いている。その声が、ベルのように聞こえるからだそうだ。
 学生時代、カトリックの学校であったため、毎朝のお祈りをしていた・・・・・・
 思わず、思い出した・・・祈りの言葉は鮮明によみがえってきた・・・不思議だ・・

 新しい朝を向かえさせてくださった神よ
     きょう一日わたしを照らし、導いてください。
   いつもほがらかに、すこやかに過ごせますように。
    物事がうまくいかないときでもほほえみを忘れず、
       いつも物事の明るい面を見、最悪のときにも、 
           感謝すべきものがあることを、悟らせてください。
    自分のしたいことばかりでなく、あなたが望まれることを行い、
       まわりの人たちのことを考えて生きる喜びを
          見いださせてください。


一番上へ



こころの平和 (2007年3月28日)

 

 真っ青な青空。青。平和のシンボル。地球上のどこかで起きている悲しい出来事をつつみこむような青。病気であることも忘れ、うっとりと見上げる。こころの悩みも忘れ、すがすがしく見上げる。だれかの呼びかけも聴こえないほど、自然に溶け込む・・・
  (オーストラリア・メルボルンGawler Foundation 2006年5月Sayoko撮影)

 私の大好きな祈りの言葉・・・平和を求める祈り(〜聖フランチェスコ)
 
  わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
    憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを
      分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を
        誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を
          闇に光を、悲しみのあるところに希望を
            ・・・・もたらすものとしてください
  慰められるよりは慰めることを、理解されることよりは理解することを、
    愛されるよりは愛することを
       ・・・わたしが求めますように・・・・
  わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ
       ・・・自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから・・・ 



一番上へ



思い悩むな・・・ (2006年10月26日)

 

 思い悩むな・・・(マタイ福音書より)
   私は、この聖書の言葉に何度救われたことか・・・


 「だから言っておく。自分の命のことで、何をたべようか、何を飲もうかと、
   また、自分の体のことで何を着ようかと、思い悩むな
     命は食べ物よりも大切なもの、体は衣服より大切ではないか
 
   空の鳥をよく見なさい
     種も蒔かず、刈りいれもせず、蔵におさめもしない
       だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる
         あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか

   あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって
     寿命をわずかでも延ばすことができようか

   明日のことまでも、思い悩むな
     明日のことは明日自らが思い悩む
       その日の苦労は、その日だけで十分である」


一番上へ



ホリスティック・ライフ 〜私の生き方〜 (2006年5月19日)


 私が「ホリスティック」という言葉に出会ったのは10年余り前。母校南山短大にて講座に参加したときだ。その際、恒川先生とも帯津先生とも出会っている。まさか、今日ここに並んで座ることになろうとは夢にも思わなかった。私が「がん」になることも想定していなかった。「偶然は必然」。「摂理」。目にみえない宇宙のエネルギーの中で私は生きているのだと知らされる思いだ。同じころ、上智大学の「死の哲学」で有名なアルフォンス・デーケン教授の「悲嘆のプロセス」の講演をきいた。私は「がんになる序章」を生きていた。その後、1999年12月に「がん告知」を受けたが、「これは試されている」とさえ感じた。自分の「死」や「生」を考えることに直面したのだった。

 しかしながら、偉大なる先生方に出会っていたおかげで、セルフコントロールは容易にできた。がん告知は「死刑宣告の執行猶予」か・・でも「生きている」のだから、「生きよう」。デーケン先生のいうように「明日のことを思い煩うな・・明日は明日の自身が思うであろう・・」という言葉を思い出し、先への不安は瞬時に消し、「今日を生きること」に懸命に努めた。思いっきり自分の心に素直に生きよう。大好きな音楽に酔いしれた。音楽を聴き、ピアノを弾く。この時間が私を癒した。癒されたいのなら自分の心地よいことを探し、そこに自分の身を置くことだと知った。

 「患者」の「患」という漢字は「心」に「串」が刺さっている。何という字だ!「私は、私の心を串刺しにはさせない!」。「心」は何モノにも侵されない。私のもの。

 術後3年目にして、乳がん患者会「わかば会」と「well being」というキャンサー・ペイシェント・サポートを目的としたセルフサポートグループを立ち上げた。患者自らが、いきいきと生きられるよう、仲間同士で、こころの悩みをシェアし、自己啓発のための勉強会や音楽コンサートを企画し、患者と医療者が交流している。これは非常に心強い活動となってきている。QOLを高め、ピアサポートにもなる。同じ病の仲間は異国における「同朋」のようなもの。患者の自立が大事。医療者に助けを求めるだけでなく、「peer(仲間)」でできることもある。ピアサポートでこころ強く生きられるという実践をしている。

 今年5月21日から6月1日にオーストラリアのメルボルンにあるGawler Foudationのキャンサーサポートプログラムに参加した。Good thinkingのススメ。よいイメージを瞑想する。心の声を静かに聴く。大自然に親しむ。自然食。そういう10日間のプログラムだった。自分のこころをゆっくり静かに知ることがとても大切だと知った。

 WHOのwell being(健康) の定義に4つの側面がある。1,physical(身体)2,mental(精神的)3,social(社会的)4,spiritual(霊的)。

 私にとって「Holistic Life」とは、この4つの統合、私をとりまくすべてを生きることであり、「病」という身体の一部の現象だけにとらわれず、私のすべてを生きること。「こころ」「霊性」をも含めて、自分自身をよく知り、自己実現に向けて心地よく生きることではなかろうかと・・・思い、術後7年目の日々を心地よく生きる努力をしています。


一番上へ



マザーテレサの施設訪問、ボランテイア活動 (2003年10月22日〜11月3日)


 Missionaries of Charity Regional House
 177 Bravington Road W93AR London, England
 phone: 020-8960-2644


 何故ここに行きたかったのか・・・?

 2003年。2人の子供達が、それぞれ就職し、母親として一区切り、どこかに行こうと思っていた。さて・・・どこにするか・・・?さっと浮かんだのが、"マザーテレサの施設をみにいこう”、だった。
  
 10年ほど前、マザーテレサの南山学園訪問の話を聞いた。そしてマザーテレサの伝記も読んでみたりしていた。ノーベル平和賞をもらったこともニュースとして知っていた。ある海外ボランテイアの雑誌にインドのカルカッタにあるマザーテレサの施設に行くコースも目にしたことがあった。

 ”この世の中で一番貧しい人のために働く・・・人はみな、いらない人はいない・・・”そういうマザーの”死を待つ人の家”の話には驚いた。そして、その活動に驚いた。世界中にあるマザーテレサの施設。そこではシスター達の献身的な愛の奉仕活動が展開されている・・・

 いったいどんな??活字からはすべてはみえてこない。興味があった。実際にこの目で見てみたい。可能か?大橋神父様(元南山短大学長)に聞いてみた。”七宝町にある修道院はマザーの愛の宣教師の会です。そこにまず聞いてみなさい。”とのこと。早速、手紙を書いた。

 私は、現在老人福祉の施設で介護の仕事をしている。人のケアーで何が大事か?自問自答しながらやっている。精神の問題、心の問題として、何が人間にとって最も大切なのか?現場では見失いがちだ。実際、自分も信じる最も大切なものとはなにか?わからなくなってきた。

 人間の尊厳、いのち。自分自身3年前に乳がんを患い手術を受けた。幸いにもまだいのちをつないでいる。いのち・・・神様に与えられて・・・生かされている・・・生きている・・・には何かわけがある・・・神に与えられた使命がある・・・これはクリスチャンにとって最も大事なことです。私はなんのために生かされているのか?・・・もっと大きな意味を感じたい・・・
だからマザーテレサの施設に一度行って、活動の体験をしたい・・・”そんな内容でした。2週間ほどたって、七宝町のシータルというシスターから返事が届いた。イギリスのフローレンスというシスターに手紙を書きなさいと、住所が記されていた。ただし英語で。と。これもさっそく書いてみた。同じような内容で、英語にして書いた。こちらも2週間ほどして返事がきた。”どうぞ、いらしてください。ステイしながら活動は可能です。日時が決まり次第連絡してください”というものだった。ダイレクトに書いた見ず知らずの私に、OKと言ってくれた。行くしかないな。そう感じた。早速、HISに航空券を手配し、日時を連絡した。”ロンドンに着いたら電話してください。”だった。

 ロンドンに着いて・・・一日目はホテルをとっておいた。一日は市内観光してからにしようと考えてのことだった。ヒースローはとても大きな空港だった。しかしなにやら古臭い・・・クラシカル?

 地下鉄でパデイントンまで行った。そこで、予約しておいたホテルにチェックイン。少々疲れた。荷物は極力少なくして持っていった。ジーパンにトレーナーにコート。ロンドンは日本よりかなり寒く感じた。コートが必要だった。そして日が暮れるのが早いように思った。緯度が高いから当然か。ホテルから施設に電話した。

 ジョセレッタというシスターが電話に出た。”パデイントンからならバスの36番にに乗ってくれば簡単。”と言って降りるバス停名を告げられた。え?一人で行くのかい?迎えに行くとかって言ってくれてたのに・・・まあ、仕方ない。あのロンドンの赤い2階建てのバスに乗った。車掌がいるのだが・・・愛想がない。乗ってくる客は半分位黒人。イギリスってこんなに黒人が多いんだ・・・。36番バスはだんだん郊外に向かっていく。なんとなく貧しいムードの住宅街。70%位が黒人。インド系、アラブ系に見える。日本ではなかなかこういう多人種、多民族には出会えないので、ちょっととまどう。英語の発音も多様。私の英語もその一つなのだろうが。きれいな英語になかなか出会えなかった。聞き取るのに慣れるのにちょっと時間が要った。クイーンズパークの近く。キルボンレイン。バスはさっと降りないと停車したかしないかくらいで発進してしまう。なんと危ないバス!!”次はXXです!”なんて、運転手も車掌も言わない。降りたいところでどうぞ・・・なのです。バス停に書かれた文字を自分で見つけてさっと降りるしかない。一乗り1ポンドでどこまでも行けるのは安いけど。
8日間で14ポンドの乗り放題の定期みたいなのを買った。これはかなりお徳でした。これでほとんど市内観光も毎日のように出来ました。さて・・・バス停をおりまして・・・どこに?その施設があるのか?ジョセレッタの言った、”バス停を進行方向にまっすぐ、すぐの角を左へ、そして少し歩くとあります。”飛び降りるようにバスを降りて、言うとおりに歩いた。施設らしきものはない・・・歩いている人に聞いた。マザーテレサのミショナリテイーはどこでしょうか?最初の2人は知らないと言った。3人目の中年女性が、”ああ、それならそこよ”と、やっと、わかった。

 ピンポーン。ドアベルを鳴らした。普通の家なのでした。”え??ここ?”

 そこはアパートメントの並んでいるところで、ミショナリテイーはそこの1階から4階を使い切る形のものでした。部屋数としては1回は食堂と台所とトイレ。2回以上は3部屋ずつ。1部屋には3ベッドや5ベッド。だいたい25名くらいが泊まれる。各階にトイレ、シャワーはあった。

 部屋はきれいなカーテン、ベッドもかわいいキルトでこじんまりと清潔でした。

 食堂にはマザーテレサの写真が飾られ、祈りの祭壇も整えられていた。20名くらいが一同に食事できるようにテーブルと椅子が置かれていた。くつろぐためのソファーもピンクのクッションが並べられ、古めかしいアパートメントも内層のセンスはなかなか良かった。

 台所には大きな鍋がたくさん。ガスオーブンもでかい。ここで何人か分の食事をつくるのかア・・・。

 私は4階のボランテイア用の部屋に案内された。そこはスペインからのラウラとチェコからのレオナと同室となった。共通語は英語。チェコのレオナの英語はわかりやすかったが、スペイン語なまりのラウラの英語は母音が強くて日本語なまりに似ているが、逆にそれがききずらかった。しかし、何とか会話が成り立っていた。彼女達は、20代。2人ともクリスチャンで、施設の仕事に熱心にとりくんでいて、私に何でも教えてくれた。仕事の合間にコーヒーを入れてクッキーをいただくこともよくあった。ボランテイアの活動は特に強制はされていないが、朝、夕の食事の仕度が主で、午前11時から午後4時はフリーとされていた。だから、11時になると、バスで市内にくりだし、あちこち観光できた。また、4日働くと1日お休みで良いと言うので、私は滞在中のお休み1日を利用してオックスフォードまで電車に乗って出かけてみた。クラシカルな美しい街並み、かの有名なオックスフォード大学のキャンパスを歩き、教会にも入ってみた。帰りぎわ、オックスフォード駅のカフェテリアで隣に座ったイギリス人老婦人と話した。彼女から話しかけてきた。”

 何しに来たとか?ひとりできたのか?とか。彼女の孫は優秀でオックスフォード大学を卒業して日本の東京で英語を教えているとのこと。日本には行ったことがないが、興味ある様子でした。数分話して列車が来たのでさよならした。旅先で他国の人との語らいもまた楽しい。


1・マザーテレサのハウスでどんな日々を過ごしたのか・・・

 毎朝、6時ごろ起床。7時半までに朝食25人分くらいを用意する。ラウラとレオナと私の3人で分担しながら作った。食堂に、皿、ナイフ、フォークをセットし、料理を運ぶ。パンにベーコンの焼いたものとか、目玉焼き、サラダ、コーヒー、ミルク、フルーツ。

 ステイしている女性たち(約18名)を、起こす。ベルを鳴らすのです。

 ここでは、ボランテイアがホームレスをステイさせ、食事まで作り、まるでお客様にサービスするように、あれもこれも用意してあげているのです。料理を皿に乗せることも、パンを配ることも、コーヒーを注ぐことも、まるでウェーイトレスのごとく、給仕するのです。

 誰かが、コーヒーをお代わりといえばレオナはさっと立ち、コーヒーを作りに行くのです。

 私達も一緒のテーブルについて食べるのですが、食べ始めるのは、ホームレスのお客様の後からということになります。テーブルについて食事しながら、みんなお喋りを楽しみます。

 ハウスでホームレスに提供するのはベッドと食事。生きていくのに、最低必要なもの。お金には一切関わらない。だから最初、貴重品には気をつけるように言われた。やはり、ホームレスでステイの恩恵にあずかっていても、お金は持っていないので、どんな拍子に盗むこともありえる・・・信じないのは良くないが・・・やはりそのように考えてくださいとシスターに言われた。持ち物はボランテイアルームにいれ、常時カギをかっていた。3人で使用している部屋なのでカギはその日持つ人を決め、部屋になにか取りにいきたいときは、カギの持ち主に言ってあけてもらうのだが、たいした不便はなかった。

 AM8時、ホームレスの女性達を起こす。一階の食堂に食事の準備が整うと、ベルを鳴らすのだった。そうすると、上の部屋から続々とみんなが降りてくるのです。”Good morning”

 私達はホテルの給仕さんのようになりきって、パンやコーヒーをセットします。そして、皆で、テーブルについて(私達も)、朝のお祈りをして、みんなでいただきます。

 食後は各自、自分の使った皿とカップは洗い食器棚に戻します。食事終わったら全員でフロアの掃除をします。ほうきではいて、モップでふくのです。これもやる人はやるのですが、さっと自分の部屋に行ってしまう、つまり、食べ逃げみたいなのもいるのですが、そうすると面白いことに誰かが、呼び戻しに行ってやらせるのです。ルールができているようでした。

 9時にはだいたいのことが終わります。そしたら11時までは、各階部屋の掃除。ベッドメイク、各自の洗濯をします。洗濯物は外の庭にロープが張り巡らせてありますので、そこにつるします。

 私達は11時でひとまず休憩をいただけます。4時まで、フリーです。ただし、シスターたちのスープキッチン(教会での炊き出し)は2時からなので、積極的に働きたい場合はついていってもよいのです。私は3度ついていきました。フリーの時は、バスで市街地に出かけて、あちこち観光しました。ロンドンブリッジ、セントポール寺院、バッキンガム宮殿、ケンジントン宮殿、ハイドパーク、大英博物館、ウエストミンスター寺院、(ここのミサには何度も参列した。パイプオルガンの演奏がすばらしかった)、あとは、インドカレーのお店だったり、コーヒーショップだったり、ケーキやさんだったり・・・教会の近くにはカトリック的なグッズが一杯あるお店があり、なかなか面白いものものがあった。ハイドパークを歩いた。11月で朝夕は寒いが日中は落ち葉の季節ではあったが、陽だまりで、公園は美しく、散策には良かった。宮殿の騎士なのか・・・公園を乗馬で走る道があり、数人が乗馬している光景も、めずらしかった。

 さて・・・4時。4時までにホームに帰らなくては!!と、どこに出かけても3時にはバスに乗ってキルボンレーンに戻った。夕食の準備です。

 レオナとラウラに教わりながら、夕食準備の手伝いから始まった。”このナベ洗って”、”ジャガイモの皮むいて”、”チキンのももをカットして”、などなど・・・次々に仕事を言い渡される。

 流れ作業。2人とも手馴れたものだった。すでにそこに滞在して1ヶ月以上いると言っていたからそのはずだ・・・ラウラはスペイン人。普段はフランス、スペイン間の列車の乗組員?だとか。3ヶ月の休暇をとって、ボランテイアしながらなら滞在費が浮くからというので、スペインで既に知っていたマザーテレサの施設の関連でイギリスに来てみたかったという理由で、来たらしい。レオナはチェコのカトリック修道院のシスター。黒いシスター服をいつも着ていた。何故?シスターが?レオナいわく、マザーの活動はカトリックの修道院のものと少し違います。実際に街に出て、いろんな人々を助けます。その活動を実際みてチェコでも応用したいとのことでした。

 レオナは信心深く、礼儀正しく、しかしながら冗談もお喋りも大好きなごく普通の若い女性となんら変わりもない、屈託のない女性でした。しかしマザーの話や、世界平和の話になると、真剣なまなざしで、”私達はもっと平和を愛さなくてはならない”と言っていたのが、印象深い。日本で20代の人とこういう語らいをするのは、なかなかない。
フリーの時間に、あの黒いシスター服を着て、ロンドンの赤いバスに私達と乗りこみ、街ではアイスクリームをほうばりながら、映画の話などをする・・・さっきまで祈りの部屋で祈っていたレオナ・・・なんて素敵な女性なんでしょう。よく人の気持ちを察することが出来る人で、笑顔も素敵でした。

 夕食の仕度がすむと、食堂に並べます。そして、皆を呼びます。”夕食ですよ〜〜!”
 そして、朝と同じく、お祈りをして皆でいただきます。
 一日の出来事などをとなりの人とおしゃべりして楽しい夕食です。

 夕食後・・・ここでちゃんとした”お祈り”をします。シスターが聖書を読んで、祈りをリードします。賛美歌も歌います。毎週金曜日の夜は近くの教会の神父様が、ミサをたてにきてくれます。しかし金曜日以外はシスターがリードする祈りの時間です。勿論英語での祈り、歌・・・私はそこのミサ用の本を借り一緒に祈りを言うのだが、どうもうまく言えない。みんなスピードが早いのだ・・・歌は覚えた。なかなかいい。

 しかし、日本に帰ったらその歌詞を忘れてしまった。メロデイーは覚えている。
祈りの時間の意味・・・ホームレスは今日一日無事過ごせて、食べ物を与えられたことに感謝します。そして、神の愛に包まれていることに感謝します。

 マザーテレサの教えでは・・・貧しい者に必要なことをただするだけ・・・そうすることで、彼らは愛を感じ、生きていることに感謝し、自らも人のために働くことのできるようになっていく・・・実際、そこから、仕事を見つけ自立していく女性は何人もいて・・・彼女らは、自立してからも、ホームを訪ね、今度はボランテイアに加わる日もあるという。

 ロシア人のアシナという女性・・・とても美人で、英語もうまい。私が行った時には、既に仕事がみつかり、働き始めていた。自分のアパートを自力で借りられるではハウスにステイするとのこと。1年以上そこにいたらしい。彼女は、生活難からマザーのハウスに滞在させてもらったが、シスターたちの活動を目にし、また、自分が本当に大事にされたことによって目覚めていったという。彼女は、ハウスにステイする、なげやりな女性達に厳しい助言を言うこともあった。若いミモサが食後の皿洗いをいいかげんにしたとき、”もう少しきれいに洗いなさいよ!!”としかりつけたりもした。ステイしているもの同士での言い合いはよく目にしたが、私達は介入しなかった。何故ならば、彼女達はそれによって成長していくようであるから。

 ここで、感じたのは、誰もが、マザーテレサを尊敬し、偉大な人と感じていることであった。

 シスターたちは勿論。しかしハウスにステイするホームレス達も、ただ、ベッドと食事を与えられているから・・という理由で尊敬しているのではなかったように思う。マザーの精神にシスターを通してそれに触れ、愛を感じ、神を感じるからであろう。

 本当に困って行き場をなくしたとき・・・こんなに暖かなハウスがあるだろうか・・・どこで何してきたものとも問わず、家に入れ、スープを与え・・・お腹一杯になるまで食事をとらせ、ステイさせるのです。そういう無条件の愛を感じると、人は生きる勇気がわいてくるものだと思いました。私が滞在中に駆け込んで来たフランス国籍のアフリカ系女性がいました。

 ”お金もなにもない・・・ビクトリアから歩いてきた・・・”と。ビクトリアからだと恐らく2時間くらい歩いて来たに違いない。シスターはすぐに”スープを暖めてあげなさい”と私達に言われた。そして、夕方の食事も皆と一緒に食べてもらった。彼女は涙を流して・・・”ありがとう”と言っていた。私も少し彼女と話した。”なんとか生きられるよう・・・神様が守ってくれます”と、彼女は涙うかべて言った。なんとも言えぬ光景であった。"どうか・・・この女性が幸せになれますように・・・"と祈らずにはいられなかった。

 さて・・・夜のお祈りの後は・・・
 各自シャワーを浴びて、就寝タイム。消灯時間は10時。

 しかし、その10時まで時間があるときは、教会での炊き出し用の食材準備をするのが常。何枚かのまな板と数本のナイフと大量の野菜が食堂に持ち込まれる。ニンジン30本。ジャガイモ10キロ。キャベツ20個・・・という具合。

 皆で”さあ、やるよ!!!”と始まるのです。なんと大胆なカット。ピーリング。

 カットしたものはバケツにどんどん入れていく。シスターたちは誰よりも手早い。無言に近い作業で、みんなで一斉にやるのです。ステイしている女性達もこれは唯一の奉仕活動と感じているようで、熱心にやってました。私は、最初はちょっとビックリ。しかし、やりましたよ。

 ジャガイモの皮をむき続けるのにはちょっと閉口した。けっこう硬いし力もいる。10キロってすごいよ。何個むいたんだろう・・・手がしびれた。

 滞在中の私の仕事の大部分はジャガイモの皮むきとキャベツの刻みだったような気がする。

 就寝時間。部屋に入って眠る・・・疲れですぐ寝入ることが出来た。レオナとラウラも寝付くのが早かった。


2・シスターたちのこと
 
 シスターたちは私達のいるハウスの隣に、玄関は別にして、一般のものは入れないようになっていた。私達も入れない。神聖な修道院として部屋を使っていたようだ。4階だてのハウスを7人のシスターたちで共同生活していた。祈りの部屋もあるようだった。シスターたちは絶えず誰かが祈りの部屋に入って祈っていた。時間が決めてあるようだ。シスター達は祈りによって神と語るのだ。

 God speaks in the silence of the heart and we listen.

 と、マザーの写真の横に書かれていた。

 Let's do something beautiful for god.

 この言葉はなんて素敵な言葉でしょう。”神さまの喜ぶことをしましょう・・・”

 どんなことを神様はお望みになるのでしょうか?美しき事・・・善なる美しさ・・・例えば、”貧しい者のために働く・・・”とは?私はこの貧しい人の”貧しい”という意味を考えた。

 モノがなく貧乏をいう貧しさなのか・・・心の貧しさ・・つまりは心が豊かでない平和でないということも含まれるのではないかと思った。何故かと言うと、いわゆる難民・・貧しい人でも心豊かな人もいる・・・豊かな国にいても心が渇いている・・・そういうことは日本の中でよくある。

 ”その人に必要な事を必要なだけすればいい””目の前にいるその人の必要なことをただするのです。” このマザーの言葉は、なるほど、説得力がある。私達は必要以上に何かをして”してやったのに”と恩きせがましくなる。そして目の前の人が本当に求めていることを勘違いして、こちらの勝手に判断して一方的にすることもある・・・この言葉は介護の仕事をしているときに役にたちました。この言葉は確か伝記に書かれていて、私は既に知っていましたから、改めて、これが基本姿勢なんだなと思いましたが。シスター達は、機敏に、そして淡々と、必要なことをこなしていくという感じでした。無駄がなく、そして必要事項がまとをついている。会話の中にもその気質がありました。実に淡々と話し、余分なことを言わない。表情もやわらかで、必要以上にリップサービスもしないし、硬い表情でもなく、静かに、適切なことを言う・・・そんな感じでした。

 見習いたいと思いました。私は日々の中で、随分必要以上なことをしゃべり、周りに余計なことを言っているように感じたし、本当に伝えたいこと、大事なことをきちんと話せばいいのに、冗談ぽく言ったり、遠慮ぎみに言ったり・・・とかく自分をごまかしがち。シスターたちはストレートでもあった。私が皿を洗っていて、次に何をすれば言いかを聞いたとき、”まだ終わってないでしょ?あわてなくていいのよ。今やってることしていればいいのよ”と。そうね・・・

 シスター達が私達に何かをやってほしいこととして言うとき、実に淡々としていた。

 申し訳ないけど・・・とか・・・お願いしたいんだけどではない。
 ”それ、こっちにおいて”だけ。そっけないなと最初感じたが、これは実はとても敏速で時間の無駄がない。スープキッチンにおいてはその連続でした。なぜ、そのように次々と段取りができているのであろうか・・・熟練していた。彼女達は給仕の天才。給食センターで働いたら500人分の食事くらいあっという間につくってしまうに違いない。

 メニューに関してもひらめきが天才的。倉庫にある食材を眺めて・・・古いものから消費したいらしく、これとこれをつかって・・・そうね・・・今日はXXXにしましょう。というやいなや食材をキッチンに運び、料理が始まるのです。あと、食材の配達。トラックが来るのだ。玄関先に次々に食材が置かれる。それをシスターたちはひょいとかつぎ、食材倉庫に入れるのだった。立ってみていると”ハイ、サヨコ、あなたも、これ!”と手に渡す。重い。ダンボール一杯のスパゲテイーの麺。ミート缶。ジャガイモ、たまねぎ、ニンジン、ニンニク、オイル、パン、バター、1週間分だろうか・・・みんなで、とにかく運び続けるのでした。

 なんと、マザーテレサのハウスは給食センター並。食べるが基本。生きるのにはまず食べ物!

 このあたりまえのことが、感動した。誰のための食材か?ホームレス?私達?そういう問題ではなく人間が生きていくためのものなんだ・・・と。このなんでもないような具体的な労働は生きる基本なんだと思った。シスター達は毎日毎日、一年中、人々のためにこの繰り返しを行っているのだった。特に変わったことをしているのではなかった。私は日本に帰ってから、食材を求めることと、食材からメニューを考えることと、無駄のない量を作ることに喜びを感じた。普段面倒であった料理も、生きる基本!と楽しく感じられた。

 家族のために料理するにしても喜びが増した。あたりまえのことに妙に感動した。

 シスター達は、若い子が多かった。ジョセレッタがリーダー的存在であったが30歳くらいに見えた。あと6人は、20代。インド系が多かった。やはりカルカッタから来ているのだろうか?

 言葉は英語だが、7人7様。マリアというインド系のシスターの言葉はまるで聞き取りにくかった。しかし、一番元気で、よく話しかけてきて、笑顔絶やさないシスターだった。

 私の帰国前日、写真を撮りましょうと、私がカメラを出したら、”撮ったらちょうだい!!絶対にちょうだい!!私、ここでの自分の写真がないの!!”と。まるで子供のように私に言った。”OK.出来たら送るわ!”と、約束した。勿論送った。
ジョセレッタは実によく働く機敏な人だった。スープキッチンという教会での炊き出しに、私に、”ついておいで。さあ、行くよ・・・”と、私を連れ出した。歩くこと30分。ジョセレッタは歩くのが速い!!手には荷物を持ってだ。しかも、歩く最中ずっと祈りの言葉を唱えている。

 私はただただついていった。教会に着いた。”スープキッチンよ!” なんと50メートル四方はあるだろうか、広いホールのような部屋が教会に作ってあるのだった。そこには100人位が座れるようにテーブルと椅子がならべてあって、隅っこに大きなキッチンが備わっていた。ガスオーブンもある。大きなナベ,フライパン。給食センターのような機材が備わっている。ちょっと驚いた。

 教会で・・・?何するの???なんと、100人の食事の用意をするのだという。ついたらまずキャベツ30個くらいを四つ切にする仕事を言いつけられた。つぎはジャガイモ10キロのふくろを3個。”今日の貴方の仕事はこれよ”だった。2時間くらいそれにかかりっきり。ジョセレッタとマリアは100人分の食事の調理にかかった。メニューはスパゲテイーとインド風スープ。

 彼女たちの調理の様子を横目に私は黙々と野菜を刻んだ。2時から準備開始して4時ごろにできあがった。4時ころになると、続々とホームレスがやってきた。教会でスープキッチンが開かれることは周知のことのようだった。彼らはテーブルについて、こちらをニヤニヤと見ている。私がここに来て手伝っている日本人としては初めてのようで、どうも自己紹介しなくてはならなかった。

 挨拶をしたりした。さて・・・4時、食事解禁・・・となると、パンがテーブルに山のように出された。すると、みんながわれ先にととりにくる・・・ビニール袋に詰め込む人もいる。しかしシスター達は、どうぞと、次々にパンを出す。それがすむと、一人一人が皿をもって並ぶ。料理を配分する。おかわり自由。みんなもくもくと食べる。すごい光景。初めての経験。

 シスターは私が面食らっていると、”驚いた?毎日やってるのよ”と。すごい活動だわ!これは。野菜の量もすごいが、調理も豪快。それがすべてなくなる・・・

 シスター達は、食後、ホームレス達と祈りを捧げた。それがお決まりのコース。食事のテーブルには、一人ずつに、聖書と賛美歌の歌集が置かれていた。

 一日の糧をいただけたことに感謝することをみんなでするのだった。

 食べる、食べられるなんて日本では当たり前で、感謝することを忘れている・・・そうであった・・・今日一日生きる糧を与えられたことは恵みである。じぶんで稼いで食べたんだと言いたいところだが、仕事がなければ食べ物を得るお金を得られない。とにかく食べられる,生きられるというのは感謝すべきことなのだ。


3・ウエストミンスター寺院でのミサ

 October 25th 2003
 Westminster Cathedral
 The Beautification mother Teresa of Calcutta
 Thanksgiving Mass

 私がマザーのハウスについて次の日、マザーテレサの記念すべきミサがかの有名なウエストミンスター寺院で行われることとなっていた。なんとラッキー!!25日は朝食が済むとみんなでバスに乗りヴィクトリアまで出た。そこから歩いた。大きなウエストミンスター寺院。美しい。

 中に入った。大勢の信者の参列。パイプオルガンのすばらしい音色。そのムードは日本のものとは少し違う。なんとも厳粛なムードだ。ミサの途中賛美歌を歌うのが数回あるが、これも教会専属の合唱団があるのだろう・・・みな制服を着て美しい。歌声も美しい澄んだ歌声。熟練しているに違いない。こんなミサは生まれて初めて。ちょっと感動。いえ、かなり興奮気味に感動した。涙がこみあげるような感動だった。ミサの終わりごろ隣の人々と挨拶を交わす慣わしがあるが・・・異国の見ず知らずの老夫婦が”ようこそ、イギリスへ!”と握手してくれたときには、胸がキューンとした。

 言葉はいらない。感じる世界。神の御前で私達は喜びに満ち溢れている。

 ミサに参列したものには、全員にマザーテレサの写真とペンダントがプレゼントされた。

 一生心に残るであろう思い出となった。今でもあの美しいパイプオルガンの音色がきこえてくるような気がする。合唱の歌声も本当に素晴らしかった。


4・愛について

 Love is giving with no thought of getting. It is tenderness enfolding with strength to protect. It is forgiveness without further thought of the thing forgiven. It is understanding of human weakness with knowledge of the true man shining thought. It is quiet in the midst of turmoil. It is trust in God with no thought of self. It is the on altogether lovely, the light in the mother's eyes, the glory in the sacrifice, the quiet assurance of protection. It is the exception of our father's promise coming true. It is the glory that comes with selflessness and the power that comes with selflessness and the power that comes with assurance of the Father’s love for His Children. It is the voice that "no" to our brother, though "yes" more might be more easily said. It is resistance to the world's lust and greed, thus becoming a positive law of annihilation to error.
Love...the one thing no one can take from us...the one thing we can give constantly and become increasingly rich in the giving.
 Love can take no offense, for cannot know that which it dose not of itself conceive. It cannot hurt on be hurt, for it is the purest reflection of God preparing planning, proposing always what is best for all His universe.

 愛とは、何かみかえりを求めて与えるものではない。愛は誰かを守るためにつつみこむようなやさしさであり、強いものです。与えられたものへの許容,人間の弱さを知るもの、真実なる知恵、混乱した中に有る、静かなるもの。我を持たずに、神を信じること。母の瞳の中にある光こそが、すべてを愛すのである。聖なる献身。静かに守られる証。

 神なる父は、私達への愛を約束されている。私達の中にある善良な何かをしることより、確かなるものだ。我の犠牲を共に、それは聖なるものとなり、私欲のないところにその力は訪れる。神の子である私たちへのところに現れるのだ。兄弟達にNoというよりYesのほうがたやすい。

 世界中にある欲望とどん欲に対する戦いがあるからこそ、誤りを絶滅させる確かなる真理である。

 愛は・・・私達から奪い去ることはできない。いつも与えられるものだ。愛は罪をぬぐいさるのではなく、はかりしれないもので、傷つけることはできないし、傷つけられることもない。

 神の善良なるもの、真実そのものなのです。神によって決してこわされることのない神の世界に入ることなのです。それは神の意志、用意された予期された神の世界。この世のすべての最善なるものとして、いつも約束されている、そのことなのだ。


マザーテレサの言葉

 If we pray, we will believe,
If we believe, we will love
If we love, we will serve

 祈り・・・それは信じること
   信じること・・・それは愛
     愛すること・・・それは奉仕すること

 小さいことが美しい・・・小さくて目の前にある人の必要とすることに心こめてする。
 どんな偉大なことをするかではなく・・・どれだけ心こめてするか・・・

 マザーテレサはそう教えてくれた。


5.St. Francisの平和の祈り

 マザーテレサも愛した、このセントフランシスの平和の祈り
 私もこの祈りの言葉が好きだ。

 A player of Saint Francis of Assisi

 Lord, make me an instrument of your peace.

 Where there is hearted, Let me sow love
 Where there is injury, pardon
 Where there is doubt , faith
 Where there is despair, hope
 Where there is darkness, light
 and there is sadness, joy
 O, Master
 grant that I may not so much seek to be consoled ,as to console;
 To be understood, as to understand
 To be loved, as to love
 For it is in giving that we receive
 It is pardoning that we receive
 It is pardoning that we are pardoned
 And it is in dying that we are born to eternal life.

 主よ、私をあなたの平和の使いにしてください
 憎しみのあるところには、愛を
 いさかいのあるところには、ゆるしを
 分裂のあるところには、一致を
 迷いのあるところには、信仰を
 誤りのあるところには、真理を
 絶望のあるところには、希望を
 悲しみのあるところには、喜びを
 闇のあるところには、光を
 もたらすことができますように
 主よ、慰められることよりも、慰めることを
   理解されることよりも、理解することを
   愛されることよりも、愛することを
   求めさせてください 

 自分をすてて、はじめて自分を見出し
 ゆるしてこそ、ゆるされ
 死ぬことによってのみ
 永遠のいのちによみがえることを深くさとらせてください

 なんと、すばらしい言葉でしょう。このような生き方ができたら・・・
 いえ・・・このように求めて・・・自らが祈り・・・自分を高めていくことが大事なのではないか?この言葉を、思い起こし、なにかにぶつかったとき自分の道を選ぶ道しるべとすればいい。

 私達は、まず自分を理解してほしいと思うが・・・それ以上に相手を理解することを求めているだろうか?相手に愛されたいと願うが・・・それ以上に相手を愛しているのだろうか?

 世界中の人々がこのように生きられたら・・・戦争など起きないに違いない。

 マザーテレサとこのセントフランシスは似通ったところがあるように思う。
 私はカトリックの宗教そのものより、こういう言葉に興味ひかれ感動している。
 なんと素晴らしいことを言ったものだ・・・と。
 この”平和の祈り”は聖書の言葉よりわかりやすい。


6・心に感じたこと

 久々に2週間の日本脱出。行き先はマザーテレサの施設というちょっと精神修養の旅に自己成長を期待した。考えさせられるものがあった・・・感じたこともたくさんあった・・・

 ロンドンに行って、いろんな国の人が多いことにまず驚いた。黒人も多い。アフリカ系,インド系。実に街には半数が純粋なイギリス人ではないような・・・気がした。

 そして英語も母国語の違いから、発音も様々。クイーンズイングリッシュに出会えるのは少なかった。しかしながら、私の英語もまんざら通じないものではなく、いろんな国のいろんな人と話せたのは何よりも楽しかった。特にボランテイア活動で一緒に過ごしたスペイン人のラウラ、チェコのレオナと、母国のこと、宗教のこと、世界のこと、話せたのは良かった。

 どこの国の人も平和を愛し、平和を求めている。モノの豊かさばかりを求めているのではなく、心の豊かさを求めている。精神の美しさを求めている。特にカトリック信者だからというのではなく宗教を通じてではあるが、それ以上に人間としての存在、そこにいる私とアナタとしての人間愛を感じた。思いやり、ことばかけ、笑顔、どれも大事である。いつも一緒に過ごす家族ではそういうことを忘れがちになっているし、友人同士、職場、おいても馴れ合いからか、あらためてそういう意識を持たずして関係していることが多い。自分自身が常にそういう精神を持ち合わせて誰と関わるときにも、聖なる心をわすれないで生きることは大事なのではないかと思った。

 人間社会は矛盾に満ち、また、私自身も矛盾に満ちている。
 聖なるものを求めてみても・・・
 真実美しいといえるものは、大自然の万物のみなのかもしれないとさえ思う。
 人間は大自然より美しいとは思えない・・・

 しかしながら・・人間には愛がある。
 愛は美しい。
 大自然の中には人間の愛のようなものはない。

 疑う心を持たず、目の前の人を心より思う大切さ。

 Let me to love people...

 そう思わずにはいられない。

 Let me do something beautiful for God...

 神様の喜ぶことをする私にしてください・・・
 私に神様の喜ぶことをさせてください・・・
 そう祈ること・・・
 そうすれば・・・なにかがみえてくる・・・
 どうすべきか・・・なにが美しいこと聖なることなのか・・・

 たくさんの良いことばと出会い、感動した。
 たくさんの善良なる人々と出会い、感動した。
 貧しくも心ゆたかな人と出会い、感動した。

 For God
 I thank you for the grace of being alive this morning.
 I thank you for the sleep that has refreshed me.
 I thank you for this chance to make a new beginning...

 こうやって朝を迎え、生きていることに感謝して・・・
 いつまで生きられるのだろうか・・・
 いつか・・・必ず訪れる死・・・・

 Let me live…


一番上へ



堤寛作


 こちらからどうぞ


一番上へ

| Home | Member |