乳がんと病理診断

〜とくに乳癌の患者さんへのメッセージ 〜


 乳房の不思議

 病理診断って何?

 「病理診断ってなあに?」(日本病理学会パンフレット)外部リンク

 病理医レポート (イデアフォー通信より)
 ・その1 病理医って知ってますか?
  (イデアフォー通信42:8-9、2002.4月掲載)
 ・その2 病理診断報告書のみかた
  (イデアフォー通信43:6-10、2002.7月掲載)
 ・その3 誤診 vs. 誤解
  (イデアフォー通信44:4-5、2002.9月掲載)
 ・その4 非浸潤がんの病理
  (イデアフォー通信45:8-9、2003.1月掲載)
 ・その5 病理医による病理診断の説明とセカンドオピニオン
  (イデアフォー通信46:5-12、2003.4月掲載)
 ・その6 乳癌学会に参加して感じた新しい潮流と課題
  (イデアフォー通信47:8-9、2003.7月掲載)

 病理医による病理診断の説明の奨め

 病理医からのメッセージ「医療における病理医の役割」
  (第9回イデアフォー総会講演抄録 「イデアフォー通信第25号」1997年10月18日)

 患者さんのために病理診断をくだす病理医からのメッセージ

 病理標本の作り方、取り扱い方と、病理診断報告書の読み方

 病理診断科標榜をきっかけに、患者さんに顔の見える病理医に外部リンク

 患者に顔のみえる病理医の実践と病理診断科標榜外部リンク
  (イデアフォー通信66:2008.4月掲載)

作者(この文書は全て作者により記述されています)

堤  寛
YUTAKA TSUTSUMI, M.D.



藤田保健衛生大学 医学部 第一病理学 教授 
病理専門医 #885、細胞診専門医 #768
わかば会監事
TEL:、 FAX:0562-93-3063
アクセス
e-mai:tsutsumi@fujita-hu.ac.jp

1st Department of Pathology, Fujita Health University School of Medicine
Toyoake, Aichi, 470-1192, JAPAN
プロフィール:
1951年 横浜生まれ
1976年 慶應義塾大学医学部卒業、1980年同大学院修了
1980〜2001年 東海大学医学部病理学に21年間在籍
2001年6月 藤田保健衛生大学医学部第一病理学教授
医学博士、病理専門医、細胞診指導医、感染管理医師


主な著書:

「ゼッタイわかる病理写真の読み方」(医学教育出版、1999)、「感染症病理アトラス」(文光堂、2000)、「病理医が明かすタチのいいがん悪いがん」(双葉社、2001)、「病院でもらう病気で死ぬな」(角川新書、2001)、「改訂四版 渡辺・中根 酵素抗体法」(学際企画、2002)、「コア病理学」(監訳、丸善、2003)、「完全病理学:総論」(医学教育出版社2005)、完全病理学各論全12巻」(学際企画、2007)、新クイックマスター病理学(医学芸術社、2006)、 パワーアップ問題演習 病理学(医学芸術社、2006年) ほか。



乳房の不思議
(医学のあゆみ 173: 145-146, 1995)
 暖かさと弾力性にあふれ、あのように肌触りのよい乳房。母乳を吸う乳児にとどまらず、私を含めた成人男性にとっても、まさに神秘的とさえいえる抑えがたい魅力をたたえた女性の象徴。今回は、この乳房にまつわる不思議を取りあげてみたい。

 乳房の機能上の本体である乳腺について考えてみよう。当然のことではあるが、乳腺が本質的に機能する、すなわち、生理的な分泌が生じるのは、授乳期に限られる。つまり、乳腺という外分泌腺は、「腺であって腺でない」、いいかえれば、ふだんは冬眠状態にある唯一特殊な腺組織なのである。いっぽう、さる本で読んだのだが、体長に対する乳房の大きさという視点でみると、ヒトの乳房は他の哺乳動物に比してずいぶんと大きいのだそうだ(もっとも、男性のペニスも動物の中では異様に大きいらしいが)。どうして、ヒトという哺乳動物はかくも立派な乳房をもつ必要があったのだろうか。

 高名な動物行動学者(前滋賀県立大学学長)である日高敏隆氏のエッセイ集「人間についての寓話」(平凡社ライブラリー 43、1994)の第一話「ホモサピエンスは反逆する」を読んで、思わずうなってしまった。ヒト以外の哺乳動物で、オスがメスの乳房に魅力を感じることはないのだそうだ。

 そもそも、四つ足の動物では、乳房は隠れてみえないし、それ以上に、授乳中にメスは決して発情しない。授乳のための器官である乳房とセックスは相反する関係にあるといえる。つまり、乳房は本来、セックスとは対立するものなのである。セックスは後方からが四つ足動物の原則であり、メスザルの尻が赤いのは「後向きの性」の表われといえるのだそうだ。赤い尻をもつという性的信号の発信者に対しては、攻撃的行動を抑えつつ後方から近づいてゆく、という行動様式がオスには遺伝的に備わっている。

 氏によれば、ヒトの乳房は「前向きの性」の象徴なのだ。起立歩行を始めた人類の種の保存に必要だったのは、メス、いや失礼、女性における前向きの性信号=セックスシンボルで、それが大きくてまぶしい乳房だったといえるのはないかと。同時に、男性の遺伝子には、女性の乳房に対して抵抗しがたい魅力を感じとる本能が刷り込まれた−。

  発生学的にみると、乳房(乳腺)と胎盤は、哺乳動物にしかみられない新参者臓器の代表である。若い臓器である分、乳房は進化の速度が早く、生態変化に対する適応もすばやかったのだろうか。いや、癌が多発するのは、まだこれからも進化をし続ける可能性を秘めた、発展途上の証拠なのだろうか。

 大学で教鞭をとっていて感じる小さな違和感のひとつに、乳腺という臓器の位置づけがある。いったい、乳腺は女性生殖器のひとつに数えるべきだろうか。現代の医療では、乳癌をはじめとする乳腺疾患は、おもに外科医の守備範囲とみなされている。乳腺は産婦人科で診療すべきであるという意見やその実践はほんの少数意見に過ぎない。上のディスカッションを踏まえると、しかし、ヒトの乳房は生殖器とみなすべきであるということになりそうなのだが−。

 乳癌の確定診断法のひとつとして、病変に直接針を刺して吸引された細胞を顕微鏡的に判断する「穿刺吸引細胞診」が普及してきている。毎日のように女性の乳房の(細胞の)難しさに頭を悩ましている病理医のひとりとして、とくに注意を要すると著者が肝に銘じているのは、授乳期乳腺の細胞の姿である。離乳期に乳腺の不規則な退縮が生じて、まだ活発に分泌している乳腺部分がしこりとして触れることがあるが、そこから穿刺された細胞が、しばしば癌と誤診されるような細胞形態をとるのである。逆にいうと、授乳中の乳腺はホルモン環境に応じて、それほどまでに劇的な変化を示すといえよう。

 冒頭で述べたように、正常状態では、乳腺には分泌細胞、すなわち、腺房細胞は認められない。腺房細胞は、妊娠中に徐々に乳管細胞から分化するが、彼らが分泌を開始するには、分娩というシグナルが必要不可欠なのである。いったん長い冬眠から目覚めると、乳腺腺房細胞は他の外分泌腺では不可能なすごいことをやってのける。

 つまり、「おいしい」ミルクを止めどなくつくり続けるのだ。ミルクには、カゼイン・ラクトアルブミンといった分解されやすい良質の蛋白質、微細なエマルジョンとなった脂肪、そして、甘さの秘訣である乳糖が豊富で、さらに、ヌクレオチド、鉄分、カルシウムといった乳児の成長に必要なすべての栄養素がたっぷり含まれる一方、塩辛い塩分は控え目。膵臓機能の未成熟な乳児のために、脂肪分解のためのリパーゼまでいっしょに供給する(リパーゼは、乳児腸管で胆汁に接して初めて活性化される)。

 大量のリゾチーム、ラクトフェリンや分泌型  IgA を含む母乳は、乳児腸管における感染防御にも大役を担う。ミルクに含まれる母親由来のリンパ球やマクロファージが、乳児の腸管内で活躍するという報告もある。

 IgG が胎盤を通過できないウシやブタでは、初乳中に大量の IgG が含まれており、新生児小腸にはIgG 分子を選択的に血中へ輸送する機構が存在する。

 初乳を飲みそこなったウシやブタの新生子は、血中の IgG がゼロに近く、100% 感染症で死亡するそうだ。幸いなことに、ヒトでは IgG の選択的吸収、すなわち、小腸上皮的機能を胎盤絨毛細胞が代用してくれるので、牛乳からつくった人工乳での保育が可能なのである(ヒトの母乳中には IgG は少ない)。

 余談だが、母乳を飲んだ乳児がスヤスヤと眠るのは、カゼインが分解されて生じるオピオイドペプチドのおかげであるとする説がある。カゾモルフィンと命名されたこのペプチドの発見は、ミルク由来の蛋白質を生理活性ペプチドの前駆体と捉える研究の端緒となったそうだ。どうやって腸管上皮を通過するかは別として、カゾモルフィンの経口投与が消化管運動抑制などの生理作用をもたらす事実はたいへん興味深い。
 
 ああ、偉大なる乳房。あなたは、授乳期乳腺を標的臓器とするホルモンを、かの内分泌の指令塔、下垂体に2つも従えている。非妊娠時の女性や男性ではその役目を論じられることすら少ない伝令役、プロラクチンとオキシトシン。

 日高氏の著書によると、オスザルの尻が赤いのは、もののついでといった意味あいの他に、ボスザルに対する従属の表現(擬態)として「尻を向ける」行為が行われるためだそうだ。われら男性のプロラクチンやオキシトシンは、いったい、何のために産生され続けているのだろうか。芸術的なまでに麗しき、かの乳房に対する男性たちの崇拝衝動とは無関係ですよね。きっと。
一番上へ
 
病理診断って何?

 医療は診断治療そして予防の3つに大別されます。病院で行われる医療は診断と治療であり、病理診断は診断の一分野に属します。病理診断の3本柱は、病理解剖(剖検(ぼうけん)) 、組織診断および細胞診断です。

 病理解剖は、不幸にして病死された患者さんの病態、死因、治療効果を判断する場となります。組織診断は、内視鏡的に採取した生検(せいけん)組織や手術で切除された材料を肉眼および顕微鏡で観察して判断する診断業務であり、病理医にとって最重要な業務です。

 手術中に短時間で行われる術中(じゅっちゅう)迅速(じんそく)診断(しんだん)もたいせつな組織診断の一つです。最近では、治療方針を左右するホルモン受容体(じゅようたい)やHER2(乳がんハーセプチン治療の可否の決定因子)に対する免疫染色や予後判定の目安となるマーカー(がん遺伝子や細胞増殖能)の検索など、中身の濃い診断が要請されています。

 細胞診断では、病変部の綿棒擦過(さっか)、乳腺・甲状腺などの病変部から注射針を用いた穿刺(せんし)吸引で得られる細胞検体や、喀痰・尿・体腔(たいくう)液(胸水、腹水、心のう液)などの液状検体の遠心塗抹(とまつ)標本を顕微鏡で観察し、診断されます。詳しくは、拙著
「病理医があかすタチのいいがん悪いがん.最新診断治療ガイド」(双葉社、2001.4:現在は残念ながら絶版です)をお読みいただきたいと思います。

 病理医は、患者さんのために質の高い医療を提供する役割の一翼を担っています。病理診断は、乳がんをはじめとする「がん」の最終診断の役目を果たしています。いや、がんだけではありません。皮膚疾患でも、腎臓病でも、感染症でも同じです。標本の向こう側に患者さんが待っていることを意識した病理診断を目指して、日々努力すること。それが私たち病理医の何より重要な役割であることに疑問の余地はありません。

 現在、病理診断の質の向上、患者さんのために働く病理診断医(専門医)の育成、情報開示と個人情報の保護、病理診断に関するセカンドオピニオンの充実、医学教育改革といった方向に、制度上のギアチェンジ(ベクトルの修正)が行われつつあります。

 放射線診断、検査医学、救命救急部門や麻酔科などとともに、病理診断は診療科の壁を越えた横断的な役割をもつべき(守備範囲の広い)部門なのです。患者さんを直接診ないため、客観的な(冷静な)判断ができるのが大きな利点となります。

 他の部門の失敗例に遭遇するチャンスが多く、医療の中で裁判官的役割を演じる場面も少なくありません。病理医一人ひとりがもっと社会性を強く認識して、自らの果たすべき役割を研ぎすませなければいけませんし、私自身も微力ながら努力してゆく所存です。広く患者さんの応援を得るためには、患者さんに顔のみえる病理医に変身する努力が求められます。いつまでも医療における黒子的存在にとどまることなく、少なくとも病理所見については、病理医が直接患者さんに説明するくらいの積極性がほしいと思っています。

 以下、乳がんの病理診断に関するいくつかの切り口を例にあげ、説明してみましょう。

縮小手術と病理診断
 悪性腫瘍(がん)の手術に対しては、従来の考え方「取り残しを避ける意味でなるべく広範囲に切除する(拡大手術)」から、可能な限り切除範囲を縮小し、術後の組織欠損・機能障害を少なくする「生活の質QOL」重視型(縮小手術)の考え方へと大きな手術方針決定過程のシフトが生じています。

 縮小手術に関しては、何といっても乳がんが先進的分野です。拡大手術に伴って行われてきた広範なえきか腋窩リンパ節かくせい廓清も、許される限り縮小あるいは省略する傾向にあります。縮小手術に際してもっとも問題となるのは切除断端です。

 縮小手術では、悪性腫瘍がすべて取り切れたか否かの病理学的検証が重視されます。断端陽性(腫瘍の取り残しあり)の場合は、再手術あるいは放射線照射が追加されることになります。切除断端が陰性(5ミリ以内にがん細胞を認めない)で、かつ、がん細胞による広範な乳管内進展やリンパ管浸潤がない場合には、術後の放射線治療を省略することが考慮されます。

 こうした顕微鏡的検索には多数切片の作製が必要になるため、標本作製や顕微鏡観察に時間、手間と経費がかかることになります(ところが、現在の診療報酬はこの重要な検査に金銭的な保障をしていません。おかしいですよね。応援してください!)。ここでは、臨床医と病理医の間の連係プレイ(話し合いによる情報交換)が重要なキーポイントとなります。

センチネルリンパ節生検
 センチネルとは歩哨兵、見張り番を意味する英語です。センチネルリンパ節とは、がんの所属リンパ節のうち、リンパ流にのったがん細胞が最初に流れ着くリンパ節をさします。もしセンチネルリンパ節に転移がなければ、他のリンパ節にも転移がないことになります。

 いいかえれば、手術中に行われる迅速診断でセンチネルリンパ節の転移が陰性なら、リンパ節廓清術を省略して術後のQOLを向上させることができるのです。センチネルリンパ節は、腫瘍原発巣周囲組織へ色素あるいはアイソトープを注入・マッサージし、約15分後にマーカーの集簇したリンパ節として認められます。病理医がその場にいないとできない、質の高い医療の一つといえるでしょう。

病理診断の多重チェック
 2002年6月8日(土)の朝日新聞朝刊に「病理医の多重チェック」と題する医療記事が掲載されました。国立がんセンターにおける病理診断の精度管理の実践が紹介されています。記事によれば、アメリカの病院で約6200件の生検病理標本を再チェックしたら、1.4%に誤診が判明したそうです。

 国立がんセンターでは、複数の病理医が同じ標本を顕微鏡観察して、誤診を最小限とする努力をしているのです。手間と人件費がかかりますが、このシステムは確かに有効です。複数の病理医が常勤する大病院では、このようなリスク管理は多かれ少なかれ行われています。ただ、すべての病理検体にこの方式で診断しますと、コストパーフォーマンスがとても悪いことになります。

 しかし、「多重チェック」したから大丈夫とならない場合もあります。先輩病理医の診断に文句をつけにくい状況もあるでしょう(実際、がんセンターの仲間からそのようなグチも聞こえます)し、先に下された病理診断名に影響される(バイアスがかかる)場面もまれではありません。臨床医との密な連絡、カンファレンスによる検討会が誤診を防ぐのに有効性が高いことは紛れもない事実です。

 外部の専門家に標本を送り、セカンドオピニオンをきくこともしばしば行われています。病理標本(スライドガラス)は簡単に郵送できること、同じ標本を何枚も作製できるために追加検索が可能なことを最大限に利用した方法なのです。

 (社)日本病理学会やその支部では、こうした病理標本のコンサルテーションシステムを提供しています。相談例として一番多いのが乳腺病変の診断なのが現実です。さらに、土曜日のたびに勉強会(標本検討会)が開かれているといっても過言ではありません(生涯教育です)。これらは、病院に一人勤務の病理医(ひとり病理医)にとって、とくに不可欠なシステムになっています。施設によっては、顕微鏡画像を電話回線やe-mailなどで専門医に転送するテレパソロジー(遠隔病理診断)が行われています。

病理診断の外注(検査センターによる病理診断)
 病理専門医(2007年8月現在、全国に2000人弱)の半数以上は大学や大学病院に勤務しています。300床以上の大・中規模病院でさえ、常勤の病理医がいるのは半数強に過ぎず、しかもその多くは一人勤務の「ひとり病理医」です。常勤病理医のいない大・中規模病院では、非常勤の病理医(通常、大学から派遣されます)が病理診断を担当している場合が多いのです。

 小規模病院や診療所の生検検体、手術材料あるいは細胞標本は、多くの場合、衛生検査所(検査センター)に病理診断の外注が行われているのが実状です(検査センターが標本を集配し、委託された病理医が本来業務の片手間に診断している場合が通常です)。

 これら外注病理検査は胃の生検が多い傾向にありますが、わが国における全病理診断の40%にものぼると推定されています。病理医のいないこうした医療施設では、術中迅速診断はできず、また、病理医と臨床医の話し合いによる診断の微調整もむずかしいのです。つまり、検査センターを通じて行われる病理診断のより一層の「質の向上」は今後の大きな課題といえるでしょう。

病理医に直接質問するには
 がんの最終診断には裏方で働く病理医が必要です。たとえ常勤の病理医がいない場合でも、非常勤の病理医が働いているか、外注検査を介してどこかで病理医があなたの標本をみています。病理診断報告書が必ずあなたのカルテに貼付されています。そのサインはみにくいかもしれません。たとえ読みとれたとしても、それがどの人物だか認識するのはたいへんでしょう。

 でも、もし自分の受けた病理診断にもっと納得したい点、疑問な点があるのなら、それくらいで諦めないでほしい。担当医はだれが診断したのかわかっているし、たとえ知らない場合でも、担当医を通じて病理診断部門(病理診断科)に問い合わせてもらえばよいのです。病院の入り口に掛かっている医師一覧表には、常勤病理医の名があるでしょう(ただし、ふつう、非常勤医の氏名は載っていません)。2002年4月には、病理専門医がいることを外部表示できるような規制緩和も実現し、2008年4月からは病理診断科の標榜が可能になりました(ただし、現在のところ、標榜している病院はまだ多くありません)。

 病理医は従来、裏方に徹しすぎたかもしれません。患者さんに顔がみえないどころか、その存在すらあまり知られていなかったのだから!もっと患者さんのそばにいたいと思っている病理医は少なからずいるのです。それぞれの場面で、何が患者さんにとって最良かを考え、臨床医と話し合いをしながら病理診断書を作成しているのが日常なのですから。 

 病理医はスーパーマンでも神さまでもないので、知らないことも間違えることも、うっかりすることもあります。そこは、臨床医との連携プレイで何とかカバーできることが多いし、ぜひそうしなければなりません。痛恨の誤診をこやしに、つぎの患者さんの病理診断に生かそうともがいているのです。

 少数かもしれませんが、「顔のみえる病理医」をめざしているプロもいます。私もその一人でいたいと思っております。患者さんあるいはその家族に病理診断所見を直接提示し、説明する試みを続けているのです。

 説明内容は、病理解剖所見だったり、乳がんの生検材料、細胞診標本や手術材料だったりします。そこでの大切なルールは、病理医が自由勝手に患者さんと面談するわけではなく、必ず担当の臨床医の同意と立ち会いのもとで説明する点にあります。病理医が臨床医に無断で患者さんに説明することはトラブルの原因になります。病理医が入手できる情報は限られていますし、その患者さんの病気のポイントを完全に理解できているとは限らないからです。

 そうです!患者の皆さん。ぜひ担当医を通じて、あるいは直接的に、私たち病理医にコンタクトをとってみてください。誠意をもって、ご説明いたします。ただし、決してごまかすことはしませんし、してはいけないと思っています。でも、病理診断室のホルマリンのにおいにびっくりなさらないようにしてくださいね。

 担当医の理解がよくない場合は、直接病理医に連絡をとってください。病理医は、中央検査部門あるいは病理診断部門(部門の名前は、病理部、病理診断科、検査科など、病院によってまちまちです。すみません)にいるはずです(近い将来、病理診断科に統一されるでしょう)。ただし、相談を受けた病理医は必ずいったん担当医と連絡をとることになります。

 それでもなお難しい場合は、私にメールください(アドレスを記載しました)。病理の世界は狭いものです。多くの病理医は横のつながりをもっています。病理医同士で連絡をとるくらいはお茶の子です。しかも、病理標本はいつまでも変わりませんし、うそをつきません。ガラス標本やそのもとになるパラフィンブロックは、客観性を保って永久保存されているのですから。

一番上へ
 
病理医レポート イデアフォー通信より
その1 病理医って知ってますか?
 病理部門は医療の矛盾の集約庫!
(イデアフォー通信42:8-9、2002.4月掲載)
 病理医と病理学者は、英語ではともにpathologistだ。日本語の病理医は病理診断を業とする病院で働く医者のイメージがあるのに対して、病理学者は病気の学問である病理学pathology (pathos + logos:病気+学問の合成語)を追究する研究者のニュアンスがある。

 この二重性格、アンビバレンスが私たちpathologistの立場を曖昧にすると同時に、甘えの構造を後押ししている。文部科学省配下では病理学は基礎医学に分類され、患者さんのための病理診断は本業ではないことになる。自分は基礎医学者なので、診断はこの程度でしかたない、と言い訳しながら暮らしている―。事実、普段はねずみばかり触っている「研究者」が、病理診断にも"ついでに"携わっている場合があるのだ。

 一方、厚生労働省の配下では、病理診断は「病理検査」の名のもとに、検査の一部とみなされ、欧米では、いや世界で常識の「病理科」が認知されていない*。病理医はまるで機械の一部のようにみなされている―?
*2008年4月:遂に「病理診断科」の標榜が実施しました!

 病理診断は一応、医師免許をもっていないと行ってはいけない「医行為」に含まれてはいるが、病理診断部門が医療法の定める標榜科でなかったがために、「病理医」によってたいせつな病理診断がなされていることが一般の人々が知られていない。悲しいことに、"料理医"と間違えられるのが関の山だ。

 病理診断が医行為と認知されたのは、高々十数年前(平成元年)のこと。当時まだ若かった小生がこれはおかしい!などとほざいたのがきっかけだった(あまりにも淋しすぎる!)。臨床医学は診断と治療からなっている。診断を本業とする病理部門が、診療部門に認知されていなかった例外中の例外の国。それが日本なのですよ**。
**2008年4月にようやく、形の上では世界標準になりました!

  病理診断には、生検や手術で得られる標本の顕微鏡診断(組織診)、術中迅速診断(手術中に顕微鏡診断をして、手術方針を決定する)、細胞診断、そして病理解剖が含まれる。最近では、治療方針を左右するホルモン受容体やHER2の免疫染色など、中身の濃い診断が強くつよく要請されている。より詳しくは、拙著「病理医があかすタチのいいがん悪いがん.最新診断治療ガイド」(双葉社、2001.4:残念ながら絶版です)をぜひお読みください。

 大学では基礎医学、病院では検査。ああ、これでは人材確保もままならない***。現在、「病理研修医」のいる病院はまだ数えるほどだ。基礎医学たる大学の病理学講座の人材は、大学院生としてかろうじて確保されているのが現状に近い。大学院生の目標は、よき病理診断医ではなく、あくまで優れた研究者となることだ。実際は、大学院生でもしっかりとした病理診断を身につけている人材は多いし、むろんそうでなければ困る。しかし、このシステムは本質的に矛盾の塊だ。
***この悩みはいまでも変わることがありません。

 かなり脱線するが、ここには大学医学部のあり方に関する根本的な問題が横たわっている!そのからくりを思い切り披露しよう。

 旧帝国大学を中心とするいわゆる「一流国立大学」では、大学院大学化が進められている。「トップ30」(注:現在のCOE=center of excellence に相当する)が、よくマスコミで話題になるが、30番以内に入り損ねると研究費がとりにくくなる仕組みだ。

 こうした重点化大学では、文部科学省の強力な指導のもと、一学年百数十名という数の大学院生の大量分捕り合戦が展開されている(医学部の学生数百名の倍近く)。文部科学省の目標は、あくまで研究者と教育者の育成であり、彼らがよき臨床医となるかどうかは眼中にない。

 そもそも、「臨床系大学院」という存在そのものが矛盾を内包している。医学部は医科学者も育成すべきだが、やはりよき「お医者さん」を養成する場であるべきだろう。医学部が文部科学省の"もちもの"であることに問題があるといわざるを得ない。

 厚生労働省がいくら良医の育成、家庭医の普及、卒後研修の必修化を叫んでも、医学部卒業間もない多くの人材が文部科学省に体よく吸いとられてしまっているのが現状だ。

 一流の医学研究をめざす大学院大学では、本来、医師の人材育成機関たる医学部を切り離すのが筋だろう。良医育成を目指す人材は、厚生労働省配下の教育機関で徹底した教育をすべきで、そこでの評価は研究業績ではなく、いかに患者さんのために質の高い医療をしたかをポイントにすべきだ。

 つまり、大学を機能分担すれば、先進的な医学研究と質の高い医療が両立する可能性が高い。今は、すべての大学がミニ東大化されようとしている―。(ちなみに藤田保健衛生大学も2003年度のCOEを勝ち取ったが、ミニ名大にはなるべきではない:2008年3月に修了した)

 家庭医・かかりつけ医を増やそうとするなら、そうした方が得だ、有利だというシステムを構築しないと、机上の空論となってしまうのは火を見るより明らかだ。アメリカでは、家庭医を目指せば職が安定し、生活にゆとりのあるような政策誘導が行われているために、多くの卒業生が家庭医(一般医)を目指していると聞く。

 わが国では、学費を支払って大学院に進んで、欧米に類をみない「学位(医学博士号)」をとった方が将来とも有利。学閥至上主義のわが国では、大学の系列を離れると不利になる。家庭医をめざそうとすると、大学や大病院にポストはない。開業医となるには資金がいるし、訴訟になるとすべての責任をとらざるを得なくなるという大きなリスクを抱えることになる(大病院では、ある程度病院が責任を肩代わりしてくれる)。

 文部科学省と厚生労働省による医学部のこうした二重支配は、世界に類をみない「非効率」、筋が通らない制度だと思う。医療をよくしようと思ったら、まず医学部改革が基本。文部科学省で医学教育した成果を国家試験するのが厚生労働省である点に矛盾を感じない人が多すぎる。こんな妙ちくりんな制度をもっている国は日本以外にはない!"文部科学省廃止論"については、拙著「病院でもらう病気で死ぬな.現役医師が問う、日本の病院の非常識度」(角川新書、2001.8)を読んでほしい。

 と、愚痴ってみたが、いくら問題提起しても、患者さんのために質の高い医療を提供する病理医の役割が避けられるわけではない。病理診断は、乳癌をはじめとする癌の最終診断の役目を果たしている。いや、癌だけではない。皮膚疾患でも、腎臓病でも、感染症でも事情は変わらない。標本の向こう側に患者さんが待っていることを意識した病理診断を目指して、日々努力すること。それが私たち病理医の何よりの役割であることに疑問の余地はない。

 社団法人、日本病理学会では、病理学のアイデンティティーが議論されてきている。病理医でなければできないこと。それは、病理診断をおいてない点については、大筋の同意が得られていると思う。研究にもはや病理学独特の方法論はないし、病理学者単独でできる研究は限られていることも事実だ。

 91年の長い歴史をもつ日本病理学会の、いや、病理学自体の生き残りをかけて、病理診断の質の向上、患者さんのために働く病理診断医の育成、情報開示と個人情報の保護、病理診断に関するセカンドオピニオンの充実、医学教育改革といった方向に、ギアチェンジ(ベクトルの修正)が行われつつある。

 放射線診断、検査医学、救命救急などとともに、病理診断は診療科の壁を越えた横断的な役割をもつべき部門だ。患者さんを直接診ないため、客観的な(冷静な)判断ができるのが大きな利点だ。他の部門の失敗例をみることも多く、医療の中で裁判官的役割を演じる場面も少なくない。

 病理医一人ひとりがもっと社会性を強く認識して、自らの果たすべき役割をブラッシュアップしなければならないし、私自身も微力ながら努力したい。広く患者さん(国民)の応援を得るためには、患者さんに顔のみえる病理医に変身する努力が求められよう。病理所見については、病理医が直接患者さんに説明するくらいの積極性がほしい。ですよね、皆さん。

 かなり堅い話になってしまいました。次回からはもっと柔らかくします。しばらくの間、病理医の独り言におつきあいください。それでは、よろしくお願いします。
一番上へ
 
その2 病理診断報告書のみかた
(イデアフォー通信43:6-10、2002.7月掲載

 病理診断報告書の書式は病院ごとに異なっている(定まった書式はない)。病理報告がコンピュータ化された施設では、臨床医が記載する病理診断申込用紙と報告用紙が別々になっていることが多い。

 プリントアウト(レーザーショットの場合とカーボンコピー用紙に対するドットプリンターの場合がある)の関係でそうなってしまうのだが、できればペーパーレスにしたいこの時代に製本すべき書類の総量が増え(最終的に病理診断報告書は、申込用紙や切り出し図とともに番号順に製本され、病理診断室に保管される)、打ち損じによる紙のむだ遣いが増える傾向があるのは悩みの種だ。

 診療録(カルテ)の完全IT化はなかなか難しいので、申込用紙は手書きとする施設が圧倒的に多い。乳癌切除標本のような手術材料では、手書きの切り出し図あるいは切り出しのようすを書き込んだ臓器コピー(ホルマリン固定後の臓器割面がカラーコピーされることが多い)が添えられる。施設によっては、申込用紙や切り出し図が画像としてIT化されている。

 ここでは、乳癌の代表的な病理診断報告書を提示し、その意味するところを含めて、みかたを解説するとともに内容をわかりやすく説明したい。なお、1〜5,ア〜オ、A〜Eといった番号は便宜的に用いられており、通常のレポートには使われない。上に述べたように、付随する書類として、病理診断申込用紙と切り出し図(割面のカラーコピー)があることをお忘れなく。ここには示さないが、申込用紙に設定された病理用記述欄には、切り出された標本の個数、切り出し担当者名(技師、医師)、切り出し日時、残検体の有無(手術材料では必ず残る)、写真撮影の有無・枚数、凍結保存標本の有無といった情報も記入されている。

 報告用紙の上部には、患者個人を確認できる情報(氏名、生年月日、ID、科名など)が記載されている。病理診断室で受付順につける病理番号は6〜7桁の場合が多い。サンプルに示した番号のHは組織(histology)を、最初の02は2002年を意味する。Hの代わりに、AやS(surgical)などが用いられることもある。

 病理組織診断病名は通常、英語で記述される。ここでは、乳房(乳管癌と乳腺症)およびリンパ節(転移あり)の内容が箇条書きの形で提示されている。

1. 左乳房が部分切除され、#1〜#30までの30個の顕微鏡標本が作製されたことを表す。
2. 主診断名であり、浸潤性乳管癌が標本#5〜9に認められる(私の場合は大文字表記している)。亜項目のア〜オには、乳管癌の性状・特徴が記述されている。
(ア)
浸潤癌の亜型が硬癌(スキルス癌)で、悪性度(Scarff-Bloom-Richardsonのスコア分類)が2(1〜3のうちの中間的異型度)、サイズが最大2センチ、部位はC領域(外側上部)を主体として一部D領域(外側下部)にわたっていることが示されている(一般に、乳癌はC領域に多発する。もしD主体で一部Cなら、DCと表記される)。なお、SBR分類は、乳管癌の管腔形成度、核異型度、核分裂数をそれぞれ1〜3にスコア化し、3〜5点をgrade 1、6〜7点をgrade 2、8〜9点をgrade 3とする。スコアが高いほど悪性度が高い。
   
(イ)
乳管(導管)内進展がめだつが(2+)、切除断端は陰性である(癌細胞がみつからない)。
   
(ウ)
f+:乳腺小葉間に介在する脂肪組織(fat)に癌細胞が浸潤している。ly+:リンパ管(lymphatics)への浸潤が確認できる。v-:静脈(vein)への浸潤はない。s-:皮膚(skin)への浸潤なし。
   
(エ)
Tnm分類で、腫瘍(tumor)サイズが2センチ以下なのでT1(サイズが2.1 cm以上ならT2となる)、リンパ節(lymph node)に1個転移を認めるのでn1、遠隔転移(metastasis)は標本上不明なのでmX。臨床的に明らかな遠隔転移がない(m0)ことを前提とすれば、臨床病期はT1n1m0、すなわちstage Iと判断される。肉眼所見あるいは臨床所見で判断する場合は大文字表記、顕微鏡的に判断される場合は小文字表記される。なお、T群リンパ節転移の総数が4個以上か3個以下かは予後因子として重要とされている。
   
(オ)
免疫染色による結果であり、ERはestrogen receptor(エストロゲン受容体)、PgRはprogesterone receptor(プロゲステロン受容体)、p53は癌抑制遺伝子産物であるp53蛋白を示す。HER-2はc-erb B2 (neu)ともよばれる癌遺伝子産物でハーセプチン治療の有効性の判断基準となる。MIB-1は増殖細胞に発現する核内蛋白で腫瘍細胞の増殖能を反映する。
   
3.
副病変(背景病変)として、乳腺症を有する症例は少なくない。乳腺症(女性ホルモンに反応して増生した良性病変で、乳腺内に多発する)はしばしばmastopathyとドイツ的に表現されるが、米国では通常、fibrocystic disease(線維嚢胞性疾患)の述語が用いられる。ときに、乳腺症はmammary dysplasia(乳腺異形成)とも表現されるが、細胞異型のある異形成と紛らわしいので現在ではほとんど使われない。
   
(ア)
乳腺症の構成成分が記述されている。この例の乳腺症には、乳管内乳頭腫症、腺増生症、アポクリン化生の所見が観察される。このほかの成分として、線維腺腫性結節(fibroadenomatous nodule)、嚢胞性病変(cystic lesion)や硬化性腺症(sclerosing adenosis)を認める場合もある。
   
4.
腋窩リンパ節が廓清されたことを示す。
   
5. 転移性乳管癌が組織学的に検索した14個のリンパ節(n)のうち1つに認められた。n 1/14はリンパ節と転移の総数、つまり(ア)の項の足し算を示す。SNはセンチネルリンパ節の略。リンパ節廓清は第一群(level I)と第二群(level II)に対して行われたことがわかる。

 所見欄の書き方のさまざまだが、ここでは日本語で丁寧に書かれた内容が提示されている。病理所見は日本語で書かれる場合が多いが、英語で記述される場合もある。

A)
肉眼所見と切り出しの概要が記述されている。計30個の標本とするのは部分切除材料では普通であろう。切除断端部に多数の標本を作製するためだ。場合によっては、50〜100個に及ぶ切り出しがなされる。何個切り出しても保険点数がいっしょなのはゼッタイにおかしいですよね。丁寧にみればそれだけ労力や時間がかかるのです。
   
B)
ここでは、癌細胞の顕微鏡的な特徴が記述されている。間質の線維増生が目立つと腫瘍自体が硬くなるので硬癌と称される。腫瘍の中央部で瘢痕化する形をとる症例が多い。硬癌では周囲の乳腺組織に向かって不規則に浸潤してゆくため、f+となるのが通常である。なお、f-(癌の浸潤が乳腺組織内にとどまる)の状態はg (gland)と表現される。癌細胞の分化度は核異型度(1〜3)、管状構造の形成程度(管状構造をつくるほど分化度が高い)および核分裂像の頻度(高いほどタチが悪い)が指標となる。リンパ管浸潤があるのはリンパ節転移のあることの反映とみなされる。たとえリンパ節転移がなくても、局所でリンパ管に浸潤していると、局所再発が生じやすい傾向がある。皮膚浸潤があるような症例では温存手術は不可能なことが多い。万が一v+なら、全身への血行性転移のリスクが高いとみなされる。乳房全摘の場合は、nipple(乳頭)や部分切除されることのある胸筋pectoral muscle(p)への浸潤の有無も記述される(本例では適用されない)。間質への軽度のリンパ球浸潤は珍しくないが、リンパ球浸潤が目立つと予後良好の指標となる場合がある。
   
C)
手術前に採取された標本を見直すことはとても大切な確認作業にあたる。この例では穿刺吸引細胞診(ABC: aspiration biopsy cytology)で癌が確定した(標本番号のCはcytologyの略)。Class Vとはパパニコロウ分類で悪性の確診を意味する。最近では、コア針生検(core needle biopsy)が用いられる場合が増えてきている。皮膚切開をして腫瘤切除が行われた場合は、手術材料に癌細胞がほとんど(あるいは全く)残っていないこともある。術中迅速診断で癌の存在が手術中に最終確認される場合もある(とくに臨床的に癌が強く疑われるとき)。
   
D)
免疫染色(免疫組織化学)で、治療方針決定に重要な機能性物質の癌細胞における発現が検討されている。ER, PgR陽性(ほとんどの腫瘍細胞の核が茶色に染まる)で、術後にホルモン療法の適応となる。HER-2は細胞膜に弱陽性(1+)であり、再発時におけるハーセプチン療法の適応はないとみなされる(3+=強陽性の症例が適応、2+では追加の検討がなされる)。p53蛋白が核内に発現する症例は悪性度が高いとみなされるが、この例では幸い陰性である(乳癌における陽性率は高くない)。MIB-1の陽性率(MIB-1 index)は癌細胞の増殖能を反映しており、この例では20%と高くもなく低くもない数値である。MIB-1 indexは核分裂像に代わる客観的指標として広く用いられてきている。
   
E)
主病変周囲にみられる病変が記述されている。癌細胞は広範囲にわたる乳管内進展を示している。主病変から離れた標本(#10,13,18-20, 23-26)にも顕微鏡的に非浸潤性乳管癌細胞の存在が確認された。乳管内進展部では石灰化を伴うことが多い。この微小石灰化がマンモグラフィーのよい指標となる。ただし、良性の乳頭腫や乳腺症でも石灰化を伴う場合がある。この例の乳腺には、背景病変として乳腺症が認められる。多数検索された切除断端(詳しくは切り出し図を参照。ここでは省略)には乳管内進展病巣を含めて、癌細胞は観察されず、顕微鏡的には癌病変は完全に切除されたとみなされる。ただし、乳管内進展を組織学的に検索したのは5ミリ間隔に切り出した標本であり、根治性が確定されたと100%断言はできない(乳管内進展が目立つ点とリンパ管浸潤陽性であることから、術後に放射線照射が行われるであろう)。リンパ節転移はセンチネルリンパ節2個中の1個に陽性だった。転移病変のサイズが5ミリなので、いわゆる「微小転移micrometastasis(2ミリ以下)」ではない。この例では、術中迅速診断でセンチネルリンパ節転移が指摘されたため、リンパ節廓清がU群まで追加された。結果的に、センチネルリンパ節以外に転移は認められなかった。

 SNOMEDコード(アルファベット+5桁の数字)は多くの施設で採用されている国際的なコーディングシステムだが、報告用紙に表示される場合は多くない(コンピュータデータとして非表示入力されている)。Tは部位(topography)の略で、T04000は乳腺を、T08000はリンパ節を意味する。Mは形態所見(morphology)の略であり、M85003は浸潤性乳管癌、M85006は転移性乳管癌、M74320は乳腺症を表している。そのほか、F (function)=機能、P (procedure)=処置、D (disease)=疾病のコード体系が整備されている。

 最後に、診断した病理医の氏名・サインと診断日が記入される。病理専門医番号が記述されていれば(この習慣はまだあまり普及していないが―)、病理診断の信頼度が高まるとみなしてもらえますか?

 以上、長々と病理診断報告書の中味を解説した。乳癌は組織学的に浸潤癌と非浸潤癌に大別する。乳癌の大多数を占める浸潤性乳管癌は、乳頭腺管癌papillotubular carcinoma、充実腺管癌solid tubular carcinoma、硬癌scirrhous carcinomaの3つに亜型分類され、この順にタチが悪くなる。非浸潤癌は、非浸潤性乳管癌と非浸潤性小葉癌non-invasive lobular carcinomaに分けられる。非浸潤癌は転移しない。もし、リンパ節転移陽性の非浸潤癌があれば、間質浸潤部がたまたま顕微鏡で確認できなかったものと理解すべきである。組織型の詳細とその特徴などはここでは省略させていただく。

 ここに提示した症例は架空だが、中味の記述内容はごく日常的である。ただし、私は所見の部分も英語で記載することが多い。なぜかって?いろいろご批判はありましょうが、国際標準をめざすべきだという姿勢と、日本語記述に必要な難しい医学用語がインストールされていないコンピュータシステムで診断せざるを得なかったハード側の問題がその理由ですね。より詳しくは、拙著「病理医があかすタチのいいがん悪いがん.最新診断治療ガイド」(双葉社、2001.4、\1500)をぜひお読みください。

 より詳しいご質問の向きは、次のメールアドレスまでご遠慮なくどうぞ。
 堤 寛e-mai:tsutsumi@fujita-hu.ac.jp

一番上へ
 
その3 誤診 vs. 誤解
(イデアフォー通信44:4-5、2002.9月掲載)
 病理診断を 100% 信頼してくれる臨床医は、いつも病理医と話し合うタイプと、病理診断室に足を運んだことのないタイプの相反する2種の集団に分けられる。

正しい診断と鑑別診断
 アーサー・ヘイリー著の「最後の診断」(新潮文庫)でとり扱われているメインテーマは、骨肉腫と骨折の病理組織学的鑑別である。病理医以外にはなかなか理解されないこの玄人っぽさに、アーサー・ヘイリーのプロ意識を感じるのは筆者だけだろうか。事実、腫瘍性の骨形成と反応性のそれの識別には、しばしば頭を悩ますのが病理医の日常である。

 プロの病理医は、「正しい診断」にこだわり続ける。たとえ、何人の同僚や先輩に相談したとしても、最後に診断し、サインアウトするのは担当の病理医個人である。では、どうしても白黒の決着をつけねばならない病変に対する診断名はどうするか。もし自分なら、自分の家族ならどうして欲しいかを率直に臨床医に話すことは、よくある情況である。

 病理診断を多数決で決めていけない実例をひとつ紹介する。中年女性の下顎骨病変。骨肉腫と主張するのは筆者一人。同僚はみな、良性または歯原性腫瘍を考えた。外部の専門家へのconsultation(セカンドオピニオン)の結果、骨肉腫が確定され、化学療法と手術が行われた。この間の経緯を知り、じっくり見守ってくれた臨床医との間に心地よい信頼関係が醸成されたのはいうまでもない。

病理診断名と「病理学的判断」の微妙な違い
 病理診断名の選択肢には、分類により、臓器により、人により、施設により、国により、時代により、そして日により、相当の幅があることはまぎれもない事実である。乳腺の乳頭状病変をみて、乳管内乳頭腫と乳管内癌と病理医の意見が分かれることは珍しくない。乳管内増殖のめだつ線維腺腫で、線維腺腫内に発生した乳管内癌かどうかの判断が微妙である場合がある。

 乳房の穿刺吸引細胞診標本で、異型性のある上皮細胞集塊を乳癌と判断するか否かに迷うことも日常的である。残念ながら、こうした「診断病名の微妙さ」は、病理形態像になじみの薄い臨床医には、理解しづらい点が多い。病理診断を最終診断と信じている立場からすると、この迷いは許しがたいことかもしれない。

 何よりも肝腎な点は、患者さんの利益となる的確な判断である。つまり、診断名のみでなく、付記された所見の内容やコメントが重要なのだ。こうした場合、病理医はしばしば、診断に所見参照 "See description"あるいは"See comments" の文字を付け加えるだろう。泣き所は、診療記録(カルテ)の記述や臨床医の意識の中では、しばしば、使われた病理診断病名のみが生き残ってしまう点にある。

 統計学的にデータを処理する場合には、同一病変が乳頭腫となったり上皮内癌として扱われたりすることになってしまう。少なくとも著者は、診断は統計のために行うわけではなく、あくまで患者のためにあるべきであると信じている。ときには、患者の癌保険への加入の有無により、診断名を選ぶことすらある。

所見参照、コメント参照
 病理診断名に付記される "See description" や"See comments"の記述は、病理医から臨床医へのお願いを込めたメッセージだ。病理診断報告書の中で診断名のみに目がいき、所見やコメントの部分はしばしば読みとばされることを、多くの病理医は経験的に知っている。つまり、"See description"や"See comments" は、「少なくともこの例に関しては、中身を読んでください」の意味である。

 所見やコメントの内容はさまざまである。単に肉眼的・組織学的・細胞学的所見の詳細を羅列するばかりではなく、特殊染色の結果とその解釈、鑑別診断のリストとその可能性、アドバイザーの意見あるいは反対意見、診断の確定に必要な臨床検査や画像診断の依頼、診断が確診されない理由(言い訳)と再検査の依頼、治療方針へのアドバイス、参考文献などなど、臨床医の役に立つメッセージが満載されているだろうし、また、そうあるべきである。病理診断は必ずしも絶対的ではない。確実な部分と不確実な部分をぜひ読み分けてほしいし、もし疑問があれば、病理診断医と直接話し合う機会を作ってほしい。無用な誤解は、誤診そのものに等しいともいえるのだから。

誤診や誤解を防ぐために
 2つの事例を紹介しよう。

 経尿道的前立腺切除術(TUR)で得られた標本。病理医が腺癌と病理診断した。そして、泌尿器科医が前立腺全摘術ならびに睾丸切除術を行った。手術切除材料には、一部にラテント癌(臨床的に問題とならない、治療対象とならない微小癌)を認めたのみだった。

 最初の病理標本にも確かに腺癌が確認されたが、それはTURで採取された多数の組織片のうち、一ヶ所のみだった。悲劇は、病理医がラテント癌である可能性が高い旨を書き落としていた点と臨床医が手術適応のある癌であるのか否かの確認を怠った点に集約される。厳密な意味で誤診とはいえないだろうが、大いなる誤解である。

 乳腺外来から迅速診断に提出された新婚6ヶ月、妊娠3ヶ月の若い女性の「乳腺腫瘤」に対して、浸潤癌の迅速病理診断が下された。妊娠合併乳癌として、直ちに入院手続きがとられた。著者がパラフィン切片の標本をみたのは、連休をはさんだ数日後だった。実は、この腫瘍は皮膚付属器(汗腺)由来の良性腫瘍だった。著者が主治医に電話連絡した時点では、すでに人工流産術が施行され、乳房切除術の準備が万端整っていた。

 このうら若き女性の乳腺が温存されたのは当然である。半年後には、この夫婦に新たな生命がもたらされたと聞いて、とてもうれしく感じたことは、昨日のことのように思いだせる。この場合、病理診断を信じ過ぎたがゆえの「事故」だった。あとで外科医に尋ねたところ、"乳腺腫瘍にしてはずいぶん浅い位置の病変だった"との言。その一言があれば、迅速診断の時点での正しい判断が可能であったかもしれないのだが−。

 病理診断名は、どんな経験深い病理医であっても臨床診断に左右される。画像や検査の情報がないと最終診断に至りえないのは珍しくない。あらかじめ臨床医から情報を得られれば、凍結切片による免疫組織化学染色、電子顕微鏡検索、遺伝子解析といった小回りのきいた検討も可能である。十分な臨床情報なしに診断を下す怖さを知らない病理医はいない。

 病理検査申込用紙にほとんど何も書かずに提出する臨床医にときに遭遇する。彼らは、病理診断を他の生化学や尿の検査と同等にしか考えていないのではないかと思わざるをえない。とても悲しく、ひどく危険な誤解である。

 いっぽう、独善的な病理診断にお目にかかる機会もある。膵臓や気管支に多少の単核球浸潤があっても、「慢性膵炎」や「慢性気管支炎」といった診断基準の定着した診断名を軽々しく用いるべきではない。"慢性炎症があるのは事実だ"といいはる病理医にめぐり合った臨床医は、十分な議論を戦わせてほしい。

 決定的な誤診や誤解は、病理診断医と臨床医の話し合いによって、その多くが防げる。病理側からみれば、病理所見が臨床的判断とまったく合わないときが分岐点となる。検体の取り違えを見抜く極意もこの一点にある。

 確かに、臨床医がまったく考えていない診断を「ビシッ」と下せたときの爽快感は、病理診断の醍醐味といえるのだが−。いっぽう、臨床医も、思ってもみない診断名が返ってきた場合、何か変だと感じて、病理医への問い合わせや再評価依頼を申しでてほしい。状況が許せば、再検査をする慎重さもほしい。

結語
 病理医と臨床医が十分に連絡をとりあった結果ひきだされた病理診断は、信頼度が高い(それでも誤ちは完全には防げないのだが−)。病理側と臨床側が互いに一方通行にならないようにする心掛け、これが「病理診断をどこまで信じるか」のキーポイントといえる。

一番上へ
 
その4 非浸潤がんの病理
(イデアフォー通信45:8-9、2003.1月掲載)
 非浸潤(ひしんじゅん)がん non-invasive carcinoma とは、間質(かんしつ)(腫瘍周囲の結合組織)への浸潤を欠くがんのことであり、浸潤がないためにリンパ管や血管に侵入することはなく、したがって、転移を生じない。いいかえれば、非浸潤がんは患者の命を奪うおそれのない腫瘍を意味する。まれな亜型である非浸潤性小葉(しょうよう)がんを除く、乳管上皮(にゅうかんじょうひ)由来の非浸潤がんは、乳管内がんintraductal carcinomaや乳管上皮内がんductal carcinoma in situ (DCIS)とも称される。最近では、全乳がんの1割近くが非浸潤がんと診断されている。

 
非浸潤がんは乳腺内での発育様式により、腫瘤(しゅりゅう)形成型、乳管内進展型、微小がん巣(そう)型の3種に分けられる。腫瘤形成型と一部の乳管内進展型では触診でしこりを触れるが、残りの乳管進展型と微小がん巣型のすべては「非触知がん=T0乳がん」であり、その発見にはマンモグラフィーによる微小石灰化の所見が重要となる。非触知がんは非浸潤がん全体の三分の一程度を占めるとされる。乳頭(乳首)につながる乳管内に病変があるため、乳頭分泌を主訴とする患者さんの割合が比較的高い。

 理論上、すべての浸潤がんは非浸潤がんの時期を経ている。なぜなら、乳がんは乳管を構成する上皮細胞から発生する悪性腫瘍であり、上皮細胞は乳管内にしか存在しないからである。非浸潤がんを放置した場合、早晩浸潤がんに進展することが予想されるため、非浸潤がんといえども、発見した時点での治療が必要となる。ただし、非浸潤がんがいつ浸潤がんに変わるのか、どれくらいの頻度で浸潤がんへと進展するのかについては、おそらく未来永劫わからないであろう。

 その理由は2つ。1つ目は、非浸潤がんと診断されたまま、無治療で放置して浸潤がんへの進展を見守ることに同意する患者さんはいないだろうし、そのように奨める医師も皆無だろう。いま一つの理由は、非浸潤がんの診断手順にある。非浸潤がんかどうかは、マンモグラフィーや生検などで手術前に予想はついても、最終的に確定されるのは、あくまでも切除後にたくさんの標本を病理学的に検索した結果として診断が下されるからである。

 経験的な事実から、非浸潤がんの状態からあっという間に浸潤がんへと変身することはない(浸潤がんへの進展は意外にゆっくりである)。非浸潤がんの中では、乳管内の腫瘍の中心部がえし壊死に陥り、肉眼的にニキビのようにみえる「面皰(めんぽう)がん」comedo carcinomaと称されるタイプでは、比較的浸潤がんに進展しやすいとみなされている。

 一般に、非浸潤がんは乳管に沿って病変が広く広がる傾向があるため、@ 縮小(温存)手術に際して切除断端部が陽性となる場合がある、A 離れた乳管内(あるいは反対側の乳房)に別のがんが多発性に発生する頻度が少なくないといった治療上の泣きどころがある。つまり、予後のよい早期病変であるにもかかわらず、非浸潤がんでは温存手術がやりにくい傾向がある。硬がんをはじめとする浸潤がんでは、腫瘍が一ヶ所に限局している場合が意外に多いため、温存手術がむしろやりやすい。

 非浸潤がんと診断されたのにもかかわらず、転移を生じた症例の報告は確かにある。かくいう私もそうした経験をしている。こうしたとても「まれな」症例では、非浸潤がんの診断そのものが誤りであったと言いきれる。その理由を記そう。

 非浸潤がんと最終診断するためには、病理医は相当の努力(時間と労力)を支払う。場合によっては100枚以上の標本をつくり、1枚1枚丁寧に顕微鏡観察してゆく。1時間以上の時間がかかるのは日常茶飯事だ。温存手術材料の病理検査に請求できる保険点数(診療報酬)は通常1臓器分にしか過ぎず、診断が1分程度ですむ胃生検材料と同じ値段なのだ(病理診断料は臓器数で規定されている。

 ただし、上限は3臓器まで)。そのためとは言わないが、たまたま切除された乳房からの標本づくりが不十分だと、顕微鏡検査されない部分に浸潤がんが残されている可能性がある。たとえすべての乳腺組織を標本にしたとしても、短冊状に切り出す乳腺組織の厚さは4〜5ミリ程度。もし1ミリ奥の部分に微小な浸潤部があれば見逃される可能性もある(ただし、これは理論的な考察で、事実上そのような場合に転移を生じる症例はまずないだろう)。

 いま一つの理由は、浸潤しているかどうかの判断基準の問題がある。同じ乳がんの標本をみて、ある病理医は浸潤がん、他の病理医は非浸潤がんと診断することはそれほど珍しくない。ただし、このような微妙な判定を要するような病変から本当に転移が生じうるかどうかについては、私は個人的にはむしろ否定的である。事実、がん研究会病院乳腺病理部の日本一の専門家、坂元吾偉先生も同様のコメントを述べられている。

 非浸潤性乳がんの転移だと思った病変が、実は胃がんや肺がんの転移だった可能性もまた考えねばならないだろう。

 蛇足を述べれば、乳腺腫瘍に針を刺して吸引した細胞をみて診断する細胞診断では浸潤の有無は判断できない。したがって、乳腺細胞診のクラス分類は、非浸潤がんでも浸潤がんでも同じクラス5と判定される。子宮頚部の上皮内がんがクラス4,浸潤がんがクラス5と判断されるが、これは臓器によって診断基準が異なるためである。いやあ、わかりにくいですよね。

 治療の大原則がまず手術である点は、非浸潤がんも浸潤がんと何ら変わらない。非浸潤がんの手術療法の泣きどころについては上に述べた。温存手術がなされた場合、術後に放射線照射がなされる点も同じである。病理検査で切除断端が余裕をもって陰性のときは放射線照射が省略されることもあるが、乳管内進展の強い傾向のある非浸潤がんでは、放射線照射を必要とする場合が少なくない。ホルモン療法についても、非浸潤がんでも念のため行われることが多い(とくに温存手術の場合)。浸潤がんとの唯一の治療上の違いは、非浸潤がんに対して化学療法を行う必要がない点だろう。

 理論上、非浸潤がんの場合、腋窩(えきか)リンパ節廓清(かくせい)は不要である。しかし、非浸潤がんの診断が結果論であることを鑑みると、手術中のセンチネルリンパ節生検の重要性が強調される。センチネルリンパ節とは、腫瘍部分からのリンパ流が最初に流れ込むリンパ節のことで、手術中に腫瘍部に色素やアイソトープを注入して同定される。

 このリンパ節を手術中に生検して迅速病理診断し、もし転移がなければ腋窩リンパ節の廓清は省略するのである。温存手術に際しては、切除断端にがん細胞がいないことを術中迅速診断で確認することもまれではない。このように、手術に際して病院内に信頼のおける病理医がいることが、患者さんのQOLにとっていかに大切であるかがわかっていただけるだろう。

 私たち病理医は、細胞診、生検診断に始まり、術中迅速診断、手術切除材料の診断、免疫染色によるER、PgR、HER-2の発現の判定、術前・術後のカンファレンスなどを通じて、乳がんと親しくおつきあいしているのが日常の生活パターンである(いや、乳がんだけでなく、実は胃がんも肺がんも、肝硬変、腎炎も感染症もなのだが―)。

 一人ひとりの患者さんが最も適切な治療を受けられるよう、いつも最良の診断情報を臨床医に提供するのが私たちの役割である。たまには、不幸にして亡くなった乳がん患者を病理解剖することもある。リンパ節転移を欠くのに遠隔転移をするN0乳がんの予後決定因子を見極めようと、研究を続けている病理医も少なくない(たいへんな難題なのだが―)。再発しやすいN0乳がんがあらかじめ識別できれば、そのグループの患者には重点的に化学療法を加え、残りの9割のグループは無治療でいいかも知れない。

 病理標本(顕微鏡標本)は簡単に郵送できるし、IT技術によって画像を電送することも容易である。つまり、世界中の専門家に相談ができる。何より、標本はうそをつかないし、客観性を長期間にわたって保ってくれる。20年前の標本をみたいときも、願いが叶うことが多い。顕微鏡標本は容易に追加作製できるし、免疫染色で追加解析することなどお茶の子である。いいかえれば、セカンドオピニオンを求めるのに最適な状況が整っていると言えましょう。

 そう。乳がんの予後判定や治療法の決定の審判員である私たち病理医に何か聞きたいことがあれば、いつでも聞いてほしい。主治医同席のもとで、丁寧に説明させていただきましょう。
一番上へ
 
その5 病理医による病理診断の説明とセカンドオピニオン
(イデアフォー通信46:5-12、2003.4月掲載)

 今回の主題は、病理医による病理診断の説明とセカンドオピニオンです。病理診断に関してプロから直接説明を受けたいときにどうしたらいいのか。自分の病理標本は手に入るのか。病理標本を送る病理医をどうやって捜すのか。病院でどのように行動したら目的を達せるのか。そんな疑問に、少しでもお答えできればと思います。

 本題に入る前に、まず確認したいことがあります。針を刺したり、病変を切りとったりするのは臨床医(主として外科医)ですが、そのあと顕微鏡用の標本をつくるのは、国家資格をもつ臨床検査技師(病理担当者)であり、できあがった顕微鏡標本をみて病理診断(最終診断)するのは病理医です。この病理診断行為は"医行為"なので、当然、医師免許証が必要です。生検標本や手術材料を肉眼観察して顕微鏡標本を切り出す(サンプリングする)のも病理医です。

 多くの場合、ホルマリン固定された臓器の肉眼所見は専用のコピー機やデジカメで画像として保存され、病理診断用紙に貼付されます。当然、病理診断書とともにカルテにもはさみこまれます。病理診断を説明するのは臨床医ですが、実は、臨床医の多くは病理診断できませんし、顕微鏡所見の詳細を理解しているとはいえないのが現状です。

 病理専門医試験(毎年7月末に実地試験が行われており、5年ごとに更新を要します)を受験するには、最低5年の経験が要求されます。本当に一人前になるには、さらに何年かの実務経験が必要です。それほど、病理診断の専門性は高いのです。

 
(社)日本病理学会では2003年4月に、「病理診断ってなあに?」と題する患者さん向けのリーフレットを発行し、病理医のいる全国の620病院に配布しました。病理医が病院でどんな仕事をしているのかをわかりやすく解説したA4版3つ折り両面2色刷りのリーフレットです。参考までに、貼付させていただきます。ご覧ください。

 もう一つ重要な点として、病理標本の所有権の問題に触れねばなりません。臓器・組織の所有権に関しては、解剖例に関してのみ「死体解剖保存法」に規定されています。取り出され固定された臓器・組織は、原則として患者さんあるいは遺族に属すので、返却請求があれば速やかに返却しなければならないと記述されています。

 現在係争中の臓器・組織(解剖症例)の所有権に関する裁判(最高裁へ控訴中)がありますが、そこではホルマリン固定臓器・組織は返却すべきだが、プロの知識、経験と技術を経て初めて作製されるパラフィンブロックや染色された顕微鏡標本については、「患者側に100%の所有権を認めるべきだ」とする原告の主張にNoの判断が示されています(東京高裁、2003.1)。
 
 まして、生検、手術材料や細胞診標本については法的な根拠が乏しく、取り扱いがとてもファジーです。(社)日本病理学会では、これらについても所有権は患者側にあるという見解を示しております。まぁ、おおざっぱに解釈すれば、臓器・組織・細胞は全面的に病院に所有権があるとはとてもいえないのです。つまり、患者さんに自分の標本をみる・もらう権利があることは誰も否定できませんし、正当です。これが重要なポイントでしょう。

この見解は2005年になって修正されました。
患者に由来する病理検体の保管・管理・利用に関する日本病理学会倫理委員会の見解(中間報告)

最近、外科関連協議会でも病理検体の取り扱い指針を発表しました。詳しくはこちらをどうぞ
患者の病理検体(生検・細胞診・手術標本)の取扱い指針(案)

 最近、生検や手術に際して、標本の保存や廃棄、そして目的外使用(教育、研究や精度管理)に関するインフォームド・コンセントをとる病院が増えてきています。当然、それがスジですよね。参考までに、藤田保健衛生大学病院で使われている「説明書」「同意書」の一部を提示しましょう。
・手術、組織診(生検)、細胞診検査などで得られる臓器・組織・細胞などの病理検体を学術研究、教育、精度管理に使うことに関する説明書
・手術、組織診(生検)、細胞診検査、病理解剖で得られる臓器・組織・細胞の医学的な意義と検体を保存する理由
・同意書: 病理検体を学術研究、教育、精度管理に使うことについて


 ちなみに、病理標本をつかった教育・研究ができないと私たちは本当に困り果てます。難しい症例の場合、以前の同様の標本と比較検討することでようやく正しい診断に導かれたり、場合によっては新しい疾患概念がみつかるかも知れません。医学教育にもこと欠くことになります。教科書には典型的な症例の提示が必須です。そこでは、肉眼写真が示されることは避けて通れません。Her-2染色するには、必ず陽性に染まる標本を陽性対照にして染色しなければなりません。このような精度管理にも貴女の乳がんが必要となることがあります。しかし、患者さん個人が特定される形で使用されることは決してありません。症例報告される場合にも、可能な限り、個人の特定をしにくい形で記述するためのガイドラインを、一昨年、(社)日本病理学会が発表しています。どうか、ご理解を!
・症例報告における患者情報保護に関する指針

 標本をつくるには経験と手間と経費を要しますので、病理標本をくださいという場合には、原則として、一定の実費を支払う必要があるでしょう。細胞診標本は枚数が限られているので、原則として貸し出し以外は事実上難しいと思いますが、生検や手術の標本はパラフィンブロックから何枚でも追加してつくることができます。だからこそ、以前の標本にエストロゲン受容体やHer-2の染色が可能になるのです。残念ながら、このことを理解していない臨床医が意外に多いのも事実で、外来で「それは無理です」と勝手に判断されてしまうことがあるようです。

 万が一、自分のホルマリン固定臓器を引き取った場合には、廃棄物処理法の規定で、適正処理の義務が生じます。臓器は感染性の有無にかかわらず、「感染性一般廃棄物」として取り扱われますので、やたらには捨てたり燃やしたりできません。でも、すでに切り刻まれたホルマリン漬けの自分の乳房をだれもほしがらないでしょうね。ちなみに、皆さん、渡辺淳一の小説「白い狩人」読みましたか?同性愛者の女医が勝手に切断した若い女性の脚を自宅に保存する話です――。もののついでに、同じ渡辺淳一氏の短編「乳房切断」も乳がんの病理診断にまつわるちょっと"あり得る"お話ですよ。

 前置きばかりが長くなってしまいました。お待たせしました。病理医による病理診断の説明やセカンドオピニオンを得るための行動指針の話をしましょう。

 まず、病院に病理医がいるかどうかの判断ですが、大学病院や数百床単位以上の大病院には病理医が必ずいます。いなければ病院が動きません。でも、300床以上の中規模病院に病理医が常勤する確率はようやく5割を超える程度かも知れません。常勤病理医がいない場合は、非常勤病理医が大学から派遣されていることが多いですね(より小さな病院や診療所の病理標本の多くは、検査センターに送られているのが普通です。

 この場合、病理診断するのは大学などに勤務する病理医です。私も自分の講座の運営費稼ぎにせっせと標本をみております)。病院の入口には必ず常勤医の一覧表が掲げてあります。常勤病理医は、病理科、病理診断科の名前のもとで働いているとは限りません。臨床病理科、臨床検査科、研究検査科、検査科、中央検査部門、臨床検査部門などといった多様な所属部署の名のもとで働いております。"病理科"の標榜が許されていないせいなのです。日本は、病理科が標榜できない唯一例外的な国なのです!※ **

  専門の臨床検査医が検査部門にいる場合もありますが、実は病理医が兼務していることが多いのです(だから、超多忙なのです)。一人きりでなく、二人三人といればなおすばらしいのですが、現実は市中病院には一人病理医solo pathologistが圧倒的に多いのです。現在、日本の病理専門医の総数は1800人あまり。その半数以上は大学に所属しています。

病理科標榜が実現しなかった理由は明確です。標榜科は患者さんに対する広告規定として定義されているため、患者さんが訪れない病理部門は切り捨てられたのです。標榜科の定義が機能で定義されていないための矛盾です。だから、皆さんがどんどん病理医を訪ねてくれれば、標榜科の実現も夢ではなくなります。よろしくお願いします。
**2008年4月に日本病理学会念願の「病理診断科」標榜がついに実現しました!!

 一連の規制緩和の流れで、2003年2月24日から特定の「専門医」の院外への広告が可能になりました。当然、病理専門医の広告もできます。週間朝日の5月1日号(4月22日発売)の広告ページに病理専門医が掲載されました。どんどん宣伝されれば患者さんにとってわかりやすいのですが、諸事情があってこれがなかなか進みません。

 病理医は外来や病棟をもちません。***
外来や病棟で病理医に会いたい、病理診断の説明を受けたいときには、まず担当医に頼むのが一番手っとり早いアプローチですね。ただし、病気について担当医が患者さんにどのようにどの程度説明しているか、病理医にはわからないことが多いので、患者と病理医が1:1で面談するのは望ましくありません。原則として、担当医の同席のもとで、顕微鏡標本を専用モニターに映し出しながら病理所見を説明するのが望ましいと思います。患者さんに「病理医から直接説明を聞きたい」という希望があると担当医から聞いた病理医の多くは、丁寧に説明してくれるはずです。問題は、いつ3者がそろうかの日程調整でしょう。コーディネータ不在のもとで、時間を合わせるのが面倒に感じる担当医がいてもおかしくはありません。
***ごく一部の病院に「病理外来」があります。「病理診断科」標榜を受けて、今後「病理外来」が増えてゆくことでしょう!

 もう一つの危惧は、担当医が妙に遠慮して、病理医まで情報が届かない可能性です。上にも述べましたが、標本のつくり方や保存の仕方を理解していない担当医が、独断で「無理です」と突き放してしまうおそれがあるのです。もしそのような担当医だった場合は、直接病理医の部屋を訪ねてみてください。きっと、丁寧に対応してくれるでしょう。遠慮無用です。

 とはいえ、そのような経験を積んだ病理医は多くありません。かくいう私自身も数えられる程度の経験しかないのです。現在、呉医療センター・中国がんセンター病院に勤務されている谷山清巳先生はこの分野のパイオニアです。彼は、患者さんに顔のみえる活動をされてきている病理医の代表選手です。

 病理医にも得手不得手の分野があります。一人ですべての分野の診断を完璧にカバーできる人など決していません。病理医が自分の手に負えない標本に巡り会ったときどうするか。ほかの経験深い病理医に相談するのが常識ですし、そうせざるを得ません。

 ところで、病理専門医が全員「経験深い」わけではありません。ここでいう専門性の高さは、たとえば乳がん、軟部肉腫や悪性リンパ腫の診断・研究業務に長年携わってきた付加価値の高い病理認定医をさします。****近くにそういった専門分野の得意な病理医がいない場合は、郵送によるコンサルテーションシステムが作動しています。日本病理学会が主催するもののほか、個人的に標本を送ってみていただくこともまれではありません。病理医は多かれ少なかれそうやって、なるべく精度の高い病理診断をなるべく早く報告するよう努力しております。はい。気心の知れた仲間うちの場合は、ITを利用した画像伝送による「テレパソロジー」を応用することも可能です。

****乳腺の乳頭状病変(つまり、上皮内癌、乳頭腫と一部の乳腺症)の病理診断は、数ある病理診断の中でも、軟部肉腫や悪性リンパ腫と並んでとくに難しい部類に入ります。

 同じ手を患者さんが使えば、セカンドオピニオンが得られます。病理標本(顕微鏡標本)は簡単に郵送できます。ですから、標本を借りるか、余分につくってもらうことができれば、最初の病理診断書のコピーといっしょに、しかるべき病理医に郵送すればいいのです。この場合、標本だけを送られても正確な診断はできません。臨床経過やもともとの病理医の診断書の写しが必須です。お忘れなきよう。

 標本の作製(薄く切るので、"薄切"といいます)は病理検査室ではお手のものです。少なくとも1日くらいの時間は必要ですが、必要な部分を薄切することは難しくありません。無料で作製してくれる病院があるかも知れませんが、たぶん、一枚\1000くらいはとられるかもしれません(保険診療外ですので、もらったお金の処理に困るのも実状です)。

 手術材料は標本が50枚にも及ぶことがありますので、代表的な標本を選んでもらう必要があるでしょう。この点も、この一連の作業をためらわせる原因の一つとなっています。必ず返却することが条件なら、保存してある標本を貸し出しすることもできます。割れものですので、しっかりした容器に入れる必要がありますが、容器は病理部門に必ずありますのでご心配なきよう。

 どの病理医に送るかって?それは大問題ですね。知り合いの病理医がいれば話は早いですね。そういったあてのない場合は、その病院の病理医に相談するのが一番でしょう。適切な方を紹介してくれるでしょう。「俺の診断を信用できないのか!」と怒る病理医は少ないのではないか、と希望的に観測します。妙な気を遣わずに、遠慮なくストレートに希望を伝えてください。きっと道が開けます。

 それでもだめな場合は、私に連絡ください。できれば電話を避けて、手紙メールでお願いします。ご相談に乗ります。保険診療はできませんので、原則、お金はいただきません。無料です。将来は、こうした診療行為にもきちんと保険点数が認められ、それだけで自分の家族を十分に養っていけるだけの稼ぎがあがるようにならねばならないとは思いますが、遠い遠い夢ですね。米国では一件300ドルくらいの料金が普通だと思います―。標本は郵送していただいても、直接お持ちになられてもかまいません。後者の場合は何らかの形で時間を約束してからにしてくださいね。

 もし、その病院で標本の貸し出しが禁止されていると、古いことをおっしゃるようなら(意外にそういう病院が多いかも知れません)、その旨私に連絡してください。そこの病理医と私がお話ししてみましょう。何とかなるものです。「貸せない」のは、上に述べた所有権問題に絡めておかしいことだと思いますが、それでも「貸しだし禁止」の場合は診断根拠や所見を聞いてみることができるでしょう。プロ同士の間ですので、嘘はつけません。それでだいたいの見当がつくでしょう。

 病理標本(スライドガラス)はどれくらい保存されるかって?以前は半永久的でした。今では、保存のスペースの問題から、一定期間後に処分する病院が増えてきています。短ければ5年ですね。でも、多くの病院では10年以上前の標本を見直すことができます。色素が退色してしまっている場合は、染め直しが可能です。もし標本が廃棄あるいは紛失している場合は、パラフィンブロックから再薄切すればいいのです。

 パラフィンブロックは病院の財産ですので、まず廃棄しませんし、紛失の恐れも少ないものです。だから、場合によっては30年前の標本を見直したり、利用したりすることができるのです。ただし、その当時はコンピュータ化されていなかったでしょうから、標本を探し当てるのに、苦労します。でも、生検・手術の正確な日時、あるいは病理標本番号がわかればすぐにみつかります。病理標本の客観性の高さをご理解いただけたでしょうか。しかも、世界中どこにでも郵送可能なのです。封筒の表に「割れもの注意」を朱記することをお忘れなきよう。

 パラフィンブロックさえあれば、10年前の標本のエストロゲン受容体やHER-2の染色はお茶の子です。今の基準で見直し、今の技術を応用することができます。病理標本ならではの大きな特徴ですね。いつまでも変質しないのです。すばらしいでしょう!私は、180年前の標本を入手し、マーカー染色に成功した貴重な体験をもつ、
まれな病理医でもあります。皆さん、この客観性の鏡をぜひぜひ利用してください。

 最後に、ホルマリン漬けのオッパイの話をしましょう。保管スペースさえあればいつまでもとっておけるのですが、実際にはそうはいきません。病理室の倉庫がオッパイをはじめとする臓器・組織であふれかえってしまいます。だから、定期的にこの「感染性一般廃棄物」を処分しなければなりません。普通は、一定量のホルマリン固定臓器をまとめてお棺桶に納め、すべて病院が費用を払って斎場で焼きます。専門の引き取り業者もいますので、そちらにお願いする場合もありますが、よい業者を選ばないと不適正処理のおそれがあります(医療ごみのごみ処理費用には収入がゼロで、すべて病院の持ちだしなのです。だからこそ、安かろう、悪かろうになりがちな傾向があります)。

 保存期間は病院によって異なりますが、手術材料(大物)で1年〜数年でしょう。生検材料などの小物のあまり部分は1ヶ月以内に処分されるのが普通です。本来なら、処分することに関するインフォームド・コンセントが必要なのでしょうが、今まではそうした書類なしでものごとが廻ってきていました。今後は、上に紹介したような書類で患者さん本人の同意を得ることが大原則になるでしょう。あまり、目くじらを立てずに長い目でみていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 (社)日本病理学会のホームページは、http://jsp.umin.ac.jp/ です。開かれた社団法人を目指しております。どしどし、ご意見ください。患者さんに顔のみえる病理医が少しずつですが増えてきています。今後ともよろしくお願いいたします。

一番上へ
 
その6 乳癌学会に参加して感じた新しい潮流と課題
(イデアフォー通信47:8-9、2003.7月掲載)

 先日(2003年6月12日〜13日)新潟で開催された日本乳癌学会に遠路参加してきた。乳癌学会に参加するのは3回目だが、実は恥ずかしながら、今回初めて学会への入会手続をした超新人の身でもある。

 わざわざ新潟まで出かけていったのには、理由があった。ある乳癌患者の会のオフ会に出席してほしいと誘われていたこともあるが、最大の目的は第一日目の学会総会で、2つのことを発言するためだった。@ 乳癌学会は、患者が学会活動に積極的に参加する例外的な学会であり、他の学会の模範演技をしてほしい。まず、患者参加費の学割並みの減額を認めてほしい。A 外科学会乳腺分科会にとどまることなく、産婦人科学会、病理学会、形成外科学会、リハビリテーション学会といった他の学会との交流・情報交換をもっと積極的に行うべきだ。

 ところが、待ちかまえていた総会は、会員の意見を聞くチャンスなど一刻たりともないうちに終了してしまい、がっかりしたこと甚だしい状態だった―。

 それでも、今回の学会は行ってよかったと感じている。多くの乳腺外科医と交流できたこと以上に、VOL-NetやJ.POSHといった患者グループが、医療者に向けて、患者にしかわからない体験や情報を知らせようとするコーナーを設けており、前向きでひたむきな患者グループと話すことができたからだ。このすばらしい活動は、乳癌学会の方向性を象徴しているように感じる。「治療が終わったときが私たちの新しい生活の始まり」というキャッチフレーズに、あらためて新鮮な思いをもったこともあり、知り合いのマスコミに声をかけた。そして、朝日新聞、日経新聞、NHK、加えてフジテレビが取材し、記事や番組として報道された。

 ここで、あらためて乳癌の特徴を冷静に考えてみたい。

1. 乳癌は比較的予後がよく、治療の選択肢が多いこと。そして、比較的若い年代に患者さんが分布していること。
2. インフォームド・コンセントの実践に関して、乳癌が最先端を走っていること。
3. 乳癌治療の標準化が進んでいること。と同時に、テイラーメイド医療(医療の個別化)が最も進んでいる分野でもあること。
4. 術後QOLの障害が目にみえ、しかもセクシュアリティーにも直結しているため、リハビリテーション医学やカウンセリングのニーズがとても高いこと。
5. 乳癌検診を産婦人科医が行おうとしていること(十分なトレーニングがなされているとは限らず、見逃しが少なくない)。一方、患者にホルモン療法に伴う婦人科的訴えが多いため、乳腺外科医に婦人科的知識が求められること。
6. 乳房再建の選択肢があるため、形成外科医との連係プレイが求められること。
7. 治療方針の決定に、病理医との連係プレイが必要不可欠なこと(センチネルリンパ節生検、温存療法の断端検索、ホルモン受容体やHER-2の発現の検索など)。
8. 各病院における患者会活動や、イデアフォーをはじめとする複数の乳癌患者の会が活発に活動を繰り広げていること。

つぎに、乳癌学会および乳腺外科医の特徴をまとめてみたい。

1. どうしても、外科学会乳腺分科会的なニュアンスがあること。一般的に、乳腺外科は一般外科の亜流であり、一般外科の王道はあくまで消化器外科である。つまり、大学における出世の道が厳しい(乳腺・内分泌外科のある大学は少ない)。その上、外科医からみると、乳癌手術は比較的単調であり、誰でもできるといった印象のあること。
2. 学会がまだ法人化されておらず、理事長制度がないため、年度ごとに会長が替わる。そのせいで、学会としての一貫した方針が乏しい(ような気がする)。
3. 患者の積極的学会参加があること(ほかの学会ではみられない特筆すべき特徴)。そして、患者にしかわからない体験・情報を、患者が医療側に伝えようとする活動が活発であること。すばらしい!
4. 産婦人科学会との交流(エコー・マンモグラフィーの読み方、触診法の講習会などの共同開催)が強く望まれること。不正出血や卵巣腫大などの婦人科的専門知識に関する乳腺外科医向けの情報交流もまた必要なこと。
5. 看護師、臨床心理士、リハビリテーション技術者(理学療法士、作業療法士)といったコメディカルの活躍の場が大きいこと。
6. つまり、統合医療の実践のために、他学会や患者との交流に最も適した、しかもその流れが明らかな学会であること。
7. このことをうまく利用すれば、患者からも、マスコミからも、そして医療界からも前向きの評価をもらえる大きな可能性がある、と私は思う。にもかかわらず、うまく利用しきれていないこと。

さて、唐突ながら、「皆さんからのご質問」 にお答えしましょう。
 (Q) 迅速診断がひっくり返るのはどれくらい?
 (A) 数値化するのは難しいですが、そんなことがやたらにあっては困ります。

 先日の乳癌学会で、センチネルリンパ節生検の精度に関するシンポジウムが開催された。司会者もシンポジストもすべて外科医で、会場にいた病理医は私を含めてほんのわずかだった(やはり○○分科会か―)。
 @ センチネルリンパ節を1割面だけ調べると正診率が60%程度だが、多数の割面を調べると診断精度が95%以上に上がる。
 A 凍結切片による染色に加えて、捺印細胞診を追加すると診断精度が上がる。

 データとしてはさもありなん、というところなのだが、この病理医抜きの結論には大きな技術的落とし穴がある。その旨発言したところ、司会者には押し切られた感があったものの、終了後にシンポジストや会場の外科医から大きな反響があった。

 @ については、手術室で外科医があらかじめリンパ節を切り刻んでから病理に提出するとのこと。これがとんでもないことなのだ。専門的になりすぎると思うが、あえて理由を記述しよう。リンパ節は線維性被膜と実質からなり、癌細胞の転移はまず被膜直下の辺縁洞という部位に生じる。ところが、生のリンパ節に割面を入れると、リンパ球の多い実質部分だけが膨隆するため、被膜直下の辺縁洞が全周性にうまく切れた標本を作製するためには、標本を十分に切り込んで観察することが求められる(かなり気遣いと手間・時間のかかる作業だ)。つまり、下手をすると一番転移しやすい部位がみにくい標本ができあがってしまうのだ。病理医に常識のこの事実を外科医たちは理解していない。そのことを教育しない病理医に責任があるともいえるが―。あまり大きくないリンパ節は、経験的に、割面を入れずにそのまま切り込んだ方がいい場合が少なくない。ある程度の大きさがあるリンパ節では当然割を入れるが、その場合、実物を病理医が自分の目でみて、触診・視診などであやしい部分をねらって標本をつくれば、やみくもに外科医が割を入れた場合よりずっと正確な診断が可能なのである。そこが、病理医のプロたるゆえんだ。

 シンポジストから、実際に標本を作製する臨床検査技師を加えた技術的な研究会をつくりましょうと提案され、思わず苦笑した。蛇足ながら、司会者は米国でも同様のデータがでていると主張されていた。米国における術中迅速診断の切片を薄切しているのは、トレイニーである研修医なのを知っているのだろうか。日本の病院で専門の臨床検査技師によってつくられる凍結切片の美しさを理解しているとは思えない―。

 A についても、細胞診の有用性を否定はしない。ただし、いくら細胞診が有用でも、凍結切片を作製しない施設はあるまい。凍結切片のHE染色標本は計5分程度で作製可能である。細胞診のpap染色には20分程度かかる。しかも、細胞検査士の目を通してから病理医にまわってくるため、手術室に30分以内で返事がいくことはまずないだろう。リンパ節を何枚の標本に捺印するかによっても時間がかわってくる。遅くなることはあっても急ぐには不向きである。しかも、術中迅速細胞診の特別な診療報酬は認められていないので、収入は組織診断の1/10程度に過ぎない。確かに研究室レベルでは、診断率が多少よくなるだろうが、まったく実務的でない。司会者は会場で、「細胞診断を優先する人は?」といった挙手によるアンケートをとっていたが、多数決で決めるような事項ではない。シンポジウム後の外科医の反応をみる限り、実務をやっていない外科医の机上の空論に聞こえたのは筆者だけではなかったようだ。

(Q) 最近よく行われるコア生検と、穿刺吸引細胞診との精度の差はどれくらい?
(A) コア生検の強みは、エコーでねらい定めた上で、太い針で病変部から確実にサンプリングできること。とくに線維化を伴って硬い硬癌には最適である。細い針で吸いとる穿刺吸引細胞診の診断精度が悪いとしたら、サンプリングの確率の違いだろう。もう一つ、たとえ細胞が十分に吸引された場合でも、外科医がその場で適切な標本として塗抹できなかった場合は診断不能となる。穿刺吸引細胞診の場合は、標本の作製をその場でしなければならないからだ。適切な標本のつくり方を知らない外科医は意外に多い。せっかくとれても標本が乾燥したり、挫滅してしまったら診断不可能になりかねない。やりかたがわからない・自信がない場合は、細胞検査士を現場によべばいいのだが、自覚に乏しい外科医はそれもしないことがある。思うに、いい標本が入手できさえすれば両者の診断精度は極端には変わらないだろう。

(Q) 病理医から直接説明を聞きたい、なんて主治医に言えるの?
(A) ぜひ提案してみてください。病理医の顔をみて、声を聞いてあげてください。病理医にまじめな先生が多いことを実感されるでしょう。その際には、主治医同席でお願いします。いつ時間をつくれるかの調整に苦労するだろうし、少し調整に時間がかかるかも知れません。でもあきらめないでください。病理医ももっともっと、患者さんのニーズを、患者さんの声を聞く必要があるのです*
*2008年4月の「病理診断科」標榜を受けて、今後はもっと気楽に病理医と会えるようになると期待します。

 従来、病理医は「料理医」と間違えられるほど、その存在が知られていない影武者のような医者でした。でも、もうそろそろ、そうした時代はおしまいにしなければなりません。
  内科、外科、産婦人科、皮膚科、耳鼻科といった縦割りの臨床科の枠を越えた、病気に関する広い知識を身につけ、さまざまな病気を知り尽くしたプロの病理医をもっと十分に活用してほしいと思います。病理医は、院内で第三者的(客観的)立場のとれる数少ない存在でもあります。不幸にして病気でなくなった患者さんを病理解剖し、病気の進展具合、死因、治療効果、合併症を見極めるのも病理医の大切な業務です。患者さんのからだの隅々まで顕微鏡でみつめることがしごとであるため、そして、ほぼ全科の医師の要求に対応しなければならないため、病気に関する知識は他の医者にそう簡単には負けません。
 標本の向こうで待っている患者さん、顔を知らないあなたのことを考えながら、今日も病理医は黙々と顕微鏡に向かっているのです。

 今後とも、病理医をよろしく支えてください。あなたの「病理医に会いたい」の一言が、きっと病理医を、そして保守的で重たい日本病理学会を変えることになるでしょう。

一番上へ
 
病理医による病理診断の説明の奨め
 病理診断が真に「患者さんのための病理診断」であるために、病理医が直接患者さんに病理診断の内容を説明し、患者さんが自分の病気を納得した上で安心して治療を受けられる手助けを病理医自身の手で行う時期がきていると思います。以前、私は市民向けに以下のような文章を書いたことがあるので、それをまず紹介しましょう。
  病理診断は、臨床医でなく病理医のしごとです。病理所見の詳細は、病理医でなければわからないことが少なくありません。だから、病理診断に関する説明を聞きたい場合は、病理医から直接聞くことをお奨めします。ただし、臨床経過や治療の詳細を知らない病理医と患者本人だけが直接会うのは誤解のリスクが高いし、担当医と患者さんの信頼関係を損なう可能性がありますので、担当医がその場に立ち会うことが原則です。

 病理診断は、プレパラートと称される顕微鏡用ガラス標本を顕微鏡でみて実施されます。もちろん、肉眼診断やレントゲン・内視鏡といった画像診断との併用も重要なのですが、もっとも肝腎な顕微鏡標本は長期間の保存が可能で、いつでも新たにつくれること、簡単に郵送・あるいは画像伝送して別の専門医の第三者評価を受けられる点が大きなポイントです。顕微鏡標本をつくるには、臨床検査技師が標本を数ミクロンの厚さに薄く切ったあと、染色されます。つまり、検査室の倉庫に保存された検体は、いつでも再検査・再チェック可能で、すばらしく客観性を保ってくれます。顕微鏡標本はうそをつきません。

 この客観性はもっともっと利用されるべきです。もしあなたが自分の病気の診断を確認したいと思ったときは、まずご自分の病理標本を借りてください。担当医にご相談ください。病理医に面会することも可能でしょう。事情を話せば、きっとあなたの顕微鏡標本が借りられるでしょう。標本枚数が多い場合もありますので、病理医に重要な部分を選んでもらわねばならないかも知れません。施設によっては、標本を余分に切ってもらえるでしょう。ただし、準備に2〜3日かかるでしょうし、実費を要求されるかも知れません。

 プレパラートは、郵送すればお望みの病理医のセカンドオピニオンが得られるでしょう。この場合、臨床情報と病理診断が書かれた最初の病理診断報告書のコピーがあることが望まれます。標本だけでは、診断がつかないことはよくあります(それほど、臨床的情報は大切です)。知り合いの医師がいれば、その方に紹介してもらうのもいいでしょう。思い切って、病院に勤務する病理医に直接電話してみてください。思いのほか、簡単にみてもらえるでしょう。インターネットで私のような病理医を捜してみるのもいいかも知れません。保険診療外のサービスになりますので、今のところ診断料金はいただきにくく、多くの場合、ボランティア精神で参考意見(つまり、セカンドオピニオン)を述べることになります。

 私自身が細々と実施してきている経験から鑑みて、病理医による患者さんへの病理診断の説明はそれほど難しいものではありません。同様の趣旨は、呉医療センター・中国がんセンター病理の谷山清己先生もおっしゃっておられます。多少時間をとられますが、それもプロの病理医としての大切な業務であると認識すれば、大きな負担と感じなくなるのではないでしょうか。

 谷山先生は、病理診断のやりがいを感じるとの心境を吐露されております。日本医科大学付属病院病理部や東京逓信病院病理科のセカンドオピニオン病理外来で、土屋眞一先生や田村浩一先生らがすでに実施されているように、説明の曜日を固定し、予約制にしておくのも今後の一つのやり方ではないでしょうか。

 患者さん自身が病理診断の説明を聞きたい理由はきわめて単純明快です。自分の標本をみて診断を下した病理医から直接説明を聞き、納得した上で次の治療を受けたい、あるいは現在受けている治療を続けたい、というごく自然な感情からなのです。病院や医師を追及したいというような気持ちはないといっていいと思います。

 以前、病理科標榜が実現しなかった理由は明確でした。標榜科は患者さんに対する広告規定として定義されているため、患者さんが訪れない病理部門は切り捨てられたのです。標榜科の定義が機能別に定義されていないための矛盾です。だから、患者さんがどんどん病理医を訪ねてくれれば、標榜科の実現も夢ではなくなります。*
*2008年4月ついに夢が実現し、「病理診断科」の標榜ができるようになりました!


 私自身、患者さんに顔のみえる病理医でいることをめざして、可能な限り、さまざまな面で患者さんとの交流を図ってきました。そうした中で、4人の市民(うち3人は乳癌患者)から病理医による病理診断の説明に対する期待文をいただくことができましたので、以下にそのまま紹介させてもらいます。


判決は裁判官から、診断は病理医から
Aさん

 私の父は、肝臓癌のために平成十一年、他界しました。この度は、患者の家族として体験したことから、ひとつの提案をさせて頂きたいと存じます。

 闘病の間、父の病状や検査結果、治療方法の説明など、すべてを通して臨床医が行いました。入院中は研修医が主治医になるため、彼か、あるいは、彼の指導医と話すことになります。

 「肝臓癌で直径六センチの大きさ」との説明を受け、CTやX線画像、エコーなどを見せては貰ったものの、果たして父の癌が実際はどんな色をしたものなのか、細胞はどんな顔をしたものなのか、知らず仕舞いでした。そのために「癌」というものが、ひどく曖昧でますます得体の知れない存在になってしまったように思います。

 患者の臓器を顕微鏡で覗き、直接診断を行うのが病理医のお仕事と存じます。診断名や予後、果ては効果的な治療方法についても判断をくだすのであるなら、その行為は、司法における裁判官と同じように思われます。

 「病んだ臓器」が被告人、「病理医」が裁判官。法律の世界では、必ず裁判官自身が判決を言い渡します。この道理を貫くなら、病気の世界でも、病理医自身の口から、直接、判断を伺うのが当然、という気がするのです。

 父の場合、未熟な研修医に振り回された感もあり、病院側の判断に大きく首を傾げることが多々ありました。臨床医に対して不信を抱いたとき、直接病理医と話をさせてもらえていたなら、と今になってとても残念に思うのです。

 私は自分が病気になったら、病理医から直接診断を伺いたい。顕微鏡で自分の細胞を見せてもらえたら嬉しいな、と思います。自分の身体の情報を、自分自身が知らずに済まされてしまうことに、抵抗を覚えます。

 以上のことから、病理医の先生がたにお願いしたいのです。どうか、臨床医の影としての存在ではなく、患者の前に姿を現してください。


犯人の顔が見たい
Bさん

 乳癌の告知は突然でした。「残念ながら悪性でした」に続く主治医の説明で、自分の癌が粘液癌と呼ばれている乳癌なのだと知りました。でも、私が知ることができたのは名前だけです。そしてT3,N1,M0,Stage3a,という記号の羅列。

 私は私の癌細胞を見たことがありません。

 手術後、病理の結果も主治医からの説明でした。新たに知らされたことは、リンパ節への転移の数が7個と、多数であったことと、三期の進行癌のためのしっかりした術後治療が必要だということでした。

 あるかないか断定できない微小転移巣のために行う治療は辛いものでした。自分が何のためにこんなに苦しんでいるのか分からないもどかしさの中で、私は、もしもこの癌が私の死因になるのであれば、自分を殺すかもしれない犯人の顔が見たいと、強く思うようになりました。

 いえ、それより、最初の告知の時点で、病理の医師から、自分の癌について説明していただき、それをこの目に見せていただいていたら……。対象がはっきりしていれば、治療に関する迷いや悩みもこれほどではなかったのではないかと、正直とても残念に思っています。

 でも、手術から時間が経てば経つほど、患者の方から「病理の医師に話が聞きたい」とは言い出せなくなってしまうのが実情です。特に、主治医が懸命に治療してくれていればいるほど、不満を持っているように思われたくないとの気持ちから、ますます口にできなくなってしまうのです。

 そうでなくても、告知を受け止めるだけで精一杯、余力の残されていない患者のために、どうか病理医の先生方の方から、手を差し伸べてはいただけませんでしょうか。誠に厚かましいお願いとは存じますが、何卒宜しくご検討いただけますよう、お願い申し上げます。


SOS 〜知りたいときに病理医の登場を〜
Cさん

 さて,自分の病理について説明して欲しいと思うこと私も考えました。

 でも,それは,術後随分経ってからじわじわと考えてきたように思います。私は根性なしで,すべてを知ってすべてを受け入れ納得して生きていくことができるか自信がありません。でも,自分のことは知っていたいという矛盾した心理に揺れます。

 もっと言えば,未来が明るい情報は欲しいが,厳しい情報は自分できちんと受け止められるか自信がありません。ツツミ先生のように患者の心理に寄り添って上手にお話していただける病理医の方に,自分の病理について説明していただき真実をきちんと受け止めたいと言う気持ちと,厳しい予後を含んだ病理をすべて事実として受け取ってしまったらどんな心理になるんだろうと言う気持ちの両方があります。
患者それぞれに,同じ患者でもその時々にいろいろな欲求が湧きあがってきますよね。そして,それを叶えてくれる機会があれば患者は納得して次の治療に進めたり安定した気持ちで過ごせるのかもしれませんね。

 各病院に病理医の方が十分いらっしゃり,患者が自分の病理について説明を受けたいと思ったときには受診できるような体制があるとよいのでしょうか。でも,外科の臨床医と病理の見解は一致するのでしょうか。何かを望めばなにか心配事がでてくる・・・。


病理診断の信頼性 〜一部、誤診を告げられて〜
Dさん

「正直に言わせてもらうけど・・・1つは良性のものでした。」
 手術後、ほぼ1週間で明らかとなった詳しい病理の結果は信じられないものでした。術前の細胞診で悪性と診断された左乳房の1時、2時、5時の位置の3つのしこりのうち、離れた位置にあった5時のものが間違いだったということを主治医から知らされたのです。
2003年1月左乳房全摘。しこりは、10.7ミリと7.2ミリの硬癌で、小さい方は娘結節。センチネルリンパ節生検(−)でステージ1b。組織異型度グレード3。

  手術をうけた病院は450床ほどの中規模の国立病院。年末のあわただしい時期にセカンドオピニオンをとりにきた私に、主治医は、視触診、マンモグラフィ、エコーと一連の検査をしたあと、うちには常勤の病理医がいるから、と穿刺細胞診をいくつも行ってくださり、翌日の告知となりました。

Dr.「あなたは、多発だから 全摘手術を行います。」
私「5時の位置のものは、痛みがあるし、ただのできものではないでしょうか?反対側にもこれと同じようなものがあるような気がしますが、それについては悪いものではないようですし・・・。」
Dr.「でも、ここに病理の結果が悪性とでてるよね・・・。」
私「・・・・・・。」

  インフォームド・コンセントでこのようなやりとりはあったのですが、最初の病院の検査では指摘されなかった多発病巣を丁寧な検査で見つけていただいたとの思いがあり、また、希望したセンチネルリンパ節生検を行える医療施設であるということがわかったので、この時点では、充分納得したうえで手術をお願いすることにしたのです。

 誤診が判明した時、主治医は、説明を求めて病理の先生にお電話してくださったそうです。また、病理のカルテに所見として書かれていることを読んでもいただきました。が、その答えは納得のいくものでは、ありませんでした。というより、そのお話をうかがった時、あまりにも突然でよく理解できず、なにかに書きとめるということもできなかったので、今となっては主治医がなんとおっしゃったのかあまり覚えていない、というのが、正直なところです。

 ただ、そのことが、心の傷となり、体の傷とは別にあとあとまで、私を苦しめることとなりました。
細胞診の誤診ということが、確率として何パーセントかある、ということが、確率論としてしかたがないということは頭の中では理解できるつもりです。けれど、初発でせいいっぱい素人ながら自分で考えて納得のいく選択をした、と思っていたのにその判断のベースとなる情報が誤りだったということ。この事実を受け入れるのがどんなに難しいことか、先生方に是非わかっていただきたい、と思います。
温存手術が可能か否かということにかかわらず、一生に一度というこのような大事な場面で正しい道筋で判断がくだせなかったこと。悔やんでも悔やみきれません。

 重ねて、間違いがあったということは、すべての病理診断の信頼性にもかかわる問題で、グレード3であるとか、センチネルの結果がマイナスであったということまで、はたして信用してもよいものだろうか、と時々、疑問に思うことがあります・・・。自分の選んだ治療法に自信がもてなくなる苦しみ、そのようなこともわかっていただければ・・・、と思います。

 それでも、あの時、病理の先生が直接、お話にきてくださっていたら、そして誤診は誤診として率直に非(というと、失礼なのでしょうか)を認められて、少しでも、人間として向き合っていただけていたなら、大分心が救われたのではないかと思っています。

 病理医の先生方、お忙しいことは、重々承知しておりますが、患者側の強い希望があるときだけで、結構です。どうぞお顔を見せてください。そして、私たちの不安な気持ちや迷いが少しでもなくなり、前向きな気持ちでこれからの治療に取りくめるよう、サポートしていただけないでしょうか?

 先生方のお力を是非お借りしたいと切に望みます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


 そう。これからは、日本病理学会から市民、患者さんに向かってわかりやすい情報を発信することが大いに期待されております。これが、病理診断の市民権を得るために最も容易で必要な手段だと私には思われます。患者さんにわかりやすい病理診断。それが、社団法人としての日本病理学会の社会的役割であると同時に、会員一人ひとりに課せられた大切なテーマであるとも思います。いかがでしょうか。

一番上へ
 
病理医からのメッセージ:「医療における病理医の役割」
(第9回イデアフォー総会講演抄録 「イデアフォー通信第25号」1997年10月18日)

[はじめに]
 今日は皆さんが、病理診断、とくに乳癌の病理診断について知りたいということですので、僕たち病理医の毎日の仕事の一部を紹介させていただくと同時に、こんな所にこんな風に問題があるのだという自分なりの考え方を述べさせていただきます。

 まず、自己紹介代わりに、僕の問題意識の原点に少し触れさせていただきます。10年ほど前にある由々しき事実に気がつきました。それは、病理の仕事をしていると仕事をしながら病気になる人が多いことだったのです。つまり、病理業務、とくに病理解剖は肺結核症に対して非常に危険であることに気づくと同時に、その点に関する過去のデータが全くないことにも驚かされました。僕たちは、結核が日本の病理医や病理検査技師の由々しき職業病であることを統計学的に示しました。その後、こうした「業務感染」、つまり医療者への院内感染、や医療廃棄物の問題など、実態を調査して問題提起をする医療関係者があまりに少ないことにも気づかされました。それなら、誰かひとりぐらいそういう変わった医者がいなくてはいけないんじゃないかと思って、これまでがんばってきた次第です。

 いっぽう、病理医という医師が働いていることをもう少し広く市民に認知してもらわねばならない、病理科標榜をぜひとも実現させたいと努力を重ねてきました。日本の医療をよくするためには、病理診断の質的向上が大きなポイントの1つとなると確信しています。以前、医歯薬出版社「医学のあゆみ」の別冊「病理診断をどこまで信じますか。臨床医へのメッセージ」と題するメッセージ集をまとめました。興味のあるかたは読んでいただければ幸いです。

[病理診断とは]
 医療は大きく3つに分けられます。診断、治療と予防です。病院で行う医療は診断と治療ですね。病理診断は、診断の中ですごく大切な地位を占めていると思います。とくに癌の場合は最終診断になることが多いですね。

 アーサー・ヘイリーというアメリカの人気作家が『最後の診断 The Final Diagnosis』という素晴しい小説を書いています。そこでは、40年前のアメリカの一地方病院で、臨床医の一員として生き生きと、また悩みつつ働く病理医の姿がリアルに描き出されています。

 病理診断を行う病理医は、当然診断行為をするわけですから、臨床医として認知されなければいけないのですが、わが国では、医学部においては基礎医学、病院では検査の一部と見なされて、臨床科の1つとして今もって認知されないのが僕らの大きな悩みなのです。

 昨年行われた標榜科の見直し作業でも、「患者を直接診ない」ことを理由に切り捨てられてしまいました。標榜科を患者に対する広告規定と定義している現行の医療法の考え方が誤っているとしか言いようがないですね。*
*2008年4月「病理診断科」標榜がついに実現しました!


 さて、病理診断には3本柱があります。病理解剖と組織診と細胞診です。組織診は、内視鏡でとった生検組織や手術材料を肉眼、顕微鏡でみて診断するという、病理医の一番メインな業務です。細胞診は乳腺ではとくに大切なのですが、針で刺して、あるいは綿棒で擦過して採取した細胞の姿を顕微鏡でみて、癌かどうか、感染症かどうかを判断します。

 病理医は病気のことを広く知らなければいけない。今乳癌を診ていたと思ったら、次は脳腫瘍、その次は皮膚を診て、さらには婦人科標本。最後は骨折を診て、骨肉腫かどうかを鑑別するというような作業を毎日のようにやっているのです。非常に幅広い知識が必要とされる分野です。

 乳癌の診断には、組織診あるいは細胞診という病理診断がスキップされることはまずあり得ません。乳癌の病理診断の対象は、細胞診、生検、手術材料です。この3つに加えて、手術中に行われる術中迅速診断があります。

 術中迅速診断では、生の組織を凍結させて薄く切ってから染色が施されます。材料が病理検査室に提出されてから診断が下されるまでに10分足らずですみます。生検材料や手術材料は、ホルマリンというちょっと臭い液体につけて固定し、早ければ翌日、普通だったら翌々日に診断されます。乳腺は脂肪が多いために、脱脂作業を要しますので、診断がつくまでにもう一日余分にかかるのが標準になっているかもしれません。術中迅速診断で大事な点は、病理医がその場にいなければ診断が下せない点ですね。

[圧倒的に少ないわが国の病理医]
 あるアンケート調査の結果では、病理医という職種があって、病院の中では患者の前に出てこないが専門性の高い診断をしている医者がいるという事実を知らない一般の人が圧倒的に多いのが悲しい日本の現実でした。

 欧米ではほとんどの市民が病理医 pathologist を知っています。ひとつは病理医の数が問題です。アメリカでは、病理診断医と検査医の数が医者全体の2.6%です。日本の認定病理医は 0.7%。しかも、この中には大学でおもに実験をやっている人もいるのです。日本の病理医はなり手が少なく、一人当たりの仕事の量が多くて、忙しい。今年新たに認定されたプロの病理医は全国でたったの73人です。全国の医学部数80よりも少ない。**
**この数字は毎年減少し、50人を割り込むことがあります。やれやれ…ちなみに病理専門医の平均年齢は51才で産婦人科とともに最高齢なのです。


 認定病理医の現在の総数は約2000人位です。一般病院に勤務する病理医は500人余りに過ぎません。半数以上が大学および大学病院にいるのは仕方がないとしても、もっと一般の病院に病理医が増えなければいけないと思います。300床以上の病院で常勤病理医がいるのは半数位で、しかも病理医の数は一人が圧倒的にが多いのです。「一人病理医は休めない、学会にも参加できない状態です。

 病理医のいない300床以上の病院の院長に病理医を置かない理由を聞きますと、「非常勤がいる」や「外注で充分」もありますが、一番多い理由は「人材がいない」、つまり、大学の講座にさえも十分な病理医がいないのです。たとえ病理医が欲しくても、他科、例えば放射線科医などと比べて優先順位が低い。

 なぜなら、病理医を雇っても黒字にはならない。健康保険の適応されない病理解剖をやればやるだけ赤字になる 解剖一体で40〜50万円くらいかかるといわれています。検査するだけ赤字になる「不採算部門」に近いのです。

 例えば、乳癌の縮小(温存)手術の切除断端をみるのは最悪のパターンの代表です。現行の診療報酬制度のもとでは、胃生検ひとつ診るのと乳癌の縮小手術で100枚以上の切片をつくって診るのとが同じ値段、8,800千円なのです。1分程度で見終わるのと半日近くかかる作業が同じ値段なのはどうしてもおかしいですよね。いま、乳癌の縮小手術の病理診断は別扱いにできるよう厚生省に依頼しているのですが、なかなかむずかしいようです。

 大学と病院と検査所の病理診断件数を比較してみますと、細胞診は検査センターが一番多く診ています。日本で行われている生検の件数は年間約800万件。そのうち実際には年間約400万件の生検標本が検査センターに外注されているとも聞きます。***
***別な調査では今、病理診断の7割が検査センターで行われているようです。

 つまり、わが国の病理診断の過半数は検査センターで行われているのが実態なのですが、検査センターに勤務する病理の先生は約30人です。400万件も診れるわけがない。からくりは、大学の病理医がアルバイトで診ているわけです。

 問題の1つはそこにあります。検査所経由の標本では何か質問があっても患者情報が聞けない。臨床医も質問しづらい。お互いに一方通行に陥りがちのため、質の高い病理診断ができないおそれがある。臨床医と病理医の良好なコミュニケーションが質の高い診断には必須条件なのです。言い換えれば、患者のための診断でなく、病理医の自己満足のための診断となりがちなのです。

[乳腺は新しい臓器]
 さて、話を乳腺に切り替えましょう。蛙や鳥にはおっぱいはありません。女性のシンボルである乳房は哺乳類になってはじめて進化してきた新しい臓器なのです(表1

  男性の前立腺と同じように新米臓器です。まだ発展途上なので癌ができやすいんだろうなどと思っています。一番古い臓器は小腸がその代表ですが、小腸には癌がまずできない。

 表1.乳腺の特徴

  1)哺乳類の特徴(カエルやトリには乳腺はない!)
     〜進化論的にみて新しい臓器である〜

  2)脳下垂体に乳腺を支配するホルモンを2つ従えている
   (プロラクチンとオキシトシン:男性での作用は?)
     〜ホルモン依存性臓器である〜

  
3)非妊娠時には分泌をしていない(「腺」とはいえない)
     〜正常乳腺には分泌を司る「腺房細胞」がない〜

  4)ヒトでも脇の下に「副乳」を認めることがある
     〜男性の「女性化乳房」では肝硬変の疑い〜

  5)ヒトではセックスアッピールの象徴(前向きの性)
     〜動物では乳房=授乳装置は、発情と対立する〜
     〜ただし、ヒトでも授乳中は無月経となる〜
 

 乳房の主要組織成分のことを乳腺と呼ぶのですが、腺というのは分泌するのがその定義です。妊娠・授乳してない乳腺の乳頭から分泌物があれば、それは病気です。おそらく、乳腺症、もしかしたら癌かもしれません。乳頭分泌は、組織診や細胞診の対象です。つまり、乳腺は普段は分泌していないのです。こんな腺は他の臓器には一切ありません。妊娠すると急遽ホルモンの影響で、分泌性の腺細胞が生まれてくるという劇的な変化を示す、そんな非常に面白い(失礼!)臓器です。しかも、分泌するとなると、新生児に必要なすべての栄養分を満遍なく分泌するのですね。乳腺はすごい!たまには副乳といって、脇の下とかおへそのまわりに第二の乳腺がみられることがありますね。生検の対象になりますが、副乳腺と診断します。

 乳癌には大きな特徴があります。ひとつは、エストロゲンやプロゲステロンといった女性ホルモンに依存していること。ホルモン依存性癌はなぜか閉経後にできた乳癌に多いのが特徴です。また、乳癌は割とゆっくり発育する癌の代表なのです。普通、胃や大腸や肺などの癌の治癒基準は、5年生存率といって患者さんが手術後5年生きれば治ったと宣言します。ところが、乳癌だけは5年ではまだ再発する可能性があり、10年生存率を基本にします。

[乳癌縮小(温存)手術と術中迅速診断]
 乳癌の診断は、まず見てさわって、エコー(超音波検査)そしてマンモグラフィーというレントゲン検査をする。そして、癌が疑われた場合にほとんど必ず、細胞診、生検、迅速診断などの病理診断のどれかがなされます。そして、病理学的な確定診断をへて、手術するなりその先の治療法が選ばれるという図式になります。

 手術中、とくに縮小(温存)手術の際に術中迅速診断をすべきかどうかが、病理医と乳腺外科医の間でいま大きな話題になっています。できれば僕たちはやって欲しくないと思っています。乳腺は脂肪分が多くて凍結切片が作りにくいからです。逆に、標本を作れる場所が決まってしまって、たまたま脂肪が多いところに癌細胞がちょっとだけある場合は診断ができなくなります。

 じっくりみれる永久標本(術後2−3日かかる通常の組織診標本のこと)に比べて、癌細胞の微妙な判定が難しい場合があります。たとえ断端陽性の結果が後で出ても、放射線照射でコントロールできるとされています。

 つまり、リスクが高いのでやめた方がいいという意見と、それでも積極的にやろうという施設とがあります。積極的に行う理由は、切除断端腫瘍の完全切除が可能となり、術後の放射線治療を避けることができる点にあります。しかし、これをまともにやるとものすごく大変なのは事実です。多大な労力と時間的拘束が要求されるのです。医療のコストパーフォーマンスの問題にも行き着きます。

[乳癌の種類]
 乳癌は大きく、浸潤の「ない癌」と「ある癌」の二つに大きく分けられます。この非浸潤癌は転移する可能性のない癌で、慶応病院の近藤誠先生の言ういわゆる「がんもどき」に相当するものの代表格だと思います。こういう浸潤していない病変を癌と呼ぶかどうかは、不思議なことに臓器によって違います。子宮頸部や胃では癌としますが、子宮体部、卵巣や大腸(欧米に限る)では癌という述語を使わずに、異型過形成、境界病変、異形成といった言葉が使われます(表2
。乳癌の場合は、非浸潤癌を癌の一種と認めています。転移して人を殺す可能性のあるのが浸潤癌ということになります。非浸潤癌も取り切らないとそのうちに浸潤癌へと変わっていく可能性がありますし、それだからこそ癌と呼び、手術をするのです。


 表2.「癌」に対する考え方・捉え方(定義) 〜上皮内癌(非浸潤癌)の概念を認めるか〜
        臓器により、国により違いがある! →診断基準、診断病名の使い方の問題

  1)上皮内癌が広く認められている臓器    
    a)皮膚(表皮、黒色腫)
    b)子宮頸部
    c)乳腺
    d)膀胱
    e)食道・胃・大腸(日本)

  2)上皮内癌の考え方を認めない臓器
    
    a)卵巣 −−−境界病変
    b)子宮内膜(体部) −−−異型過形成
    c)胃・大腸(欧米) −−−異形成
    d)甲状腺 −−−異型腺腫

   〜癌は浸潤しなければ転移しない(非致死的)。
      そのような病変は「癌」とは呼ばない〜
      Morson(消化管)、Silverberg(卵巣)
 

 乳癌の大部分は乳管(乳腺を構成する管)から発生します。日本では浸潤性乳管癌を3つにわけます。WHO の分類では2つにわけます。この3つの組織型とその特徴は次の通りです。(1)乳頭腺管癌:大部分が乳管の中にとどまっていて、浸潤が一部のみに見られるものをいいます。浸潤部が少ないのですから、必然的に比較的予後がいい(長く生きる)というわけですね。つまり、比較的たちがいい高分化型です。(2)充実腺管癌:圧倒的に浸潤部が多いんですが、浸潤の境界が明瞭で腫瘍が軟らかい。腫瘍内の線維成分が少なく、中等度の分化度を示し、次の硬癌よりはたちがいい型です。(3)硬癌:腫瘍の境界が不鮮明で浸潤性が強い。腫瘍内の線維成分が多く硬く触れます。転移しやすい低分化型癌といえます。WHO では2と3が一緒のものだとみなし、2つに分けています。

[乳癌の治療」
 乳癌の治療は一番大事なのが手術。癌細胞にホルモン受容体があればホルモン療法。そして、放射線療法と化学療法。放射線療法と化学療法は予防的に行われることもあります。病理診断と一番関係が深いのは、むろん手術なのですが、癌にホルモン感受性があるかどうかを特殊な染色法で調べたり、化学療法に対する感受性・抵抗性があるかどうかをみる検索を加えることもあります。つまり、病理診断は治療法の決定にも大きく関与しているのです。

 手術法にも種類があります。悪名高いハルステッドの手術を「定型的乳房切除術」と呼ぶことにいまの医療の矛盾があらわれていると思いませんか?(−会場から同意の声−)「非定型的乳房切除術」が現在の標準法として教科書に書いてあります。縮小手術については、乳頭だけ残すものから、1/4 切除あるいは腫瘤だけえぐりとる場合があり、いろんなレベルのもの全部を併せて縮小手術と称されていると思います。

 乳癌の進行度(予後)をみるにはいくつかの分類がありますが、一番単純なのが TNM 分類です。腫瘍(tumor=T)の大きさ、リンパ節転移(node=N) の有無、遠隔転移 (metastasis=M) の有無の3つの要素で病期 (stage I〜IV) を決定しています。

[乳癌における病理診断の役割]
 乳癌の病理診断をまとめてみました。

 表3.乳癌の病理診断の役割

  1)正しい診断
     a)非浸潤性乳管癌か、乳管内乳頭腫か

   病理診断のコンサルテーションで最多
     b)非浸潤癌か、浸潤癌か
 
  2)縮小手術における断端検索

  3)センチネルリンパ節生検
    (センチネルリンパ節に転移がなければ、リンパ節廓清をおこなわない)

  4)n0乳癌(リンパ節転移のない浸潤癌)の予後因子
    →形態、大きさ、腫瘍マーカー、癌遺伝子

  5)ホルモン受容体発現の有無の検索

  6)多剤耐性因子発現の検索
    →すべて、適切な治療への指針・方向づけが目的

 言うまでもなく、一番大事なのは正しい診断。これは場合によってはすごく難しい。(社)日本病理学会病理専門医部会では難しい症例の標本と臨床データなどを送って専門家にコンサルテーション(相談)する制度を普及させています。病理診断の精度管理・精度向上に欠かせない機能であることがおわかりいただけると思います。一般の病理医からのコンサルテーションで最も多いのが実は乳腺の病変なのです。

センチネルリンパ節生検の病理診断も病理医の大切な役割です。センチネルリンパ節とは、癌細胞が最初に転移する可能性のもっとも高いリンパ節です。外科医が手術中にセンチネルリンパ節をとり、病理医が術中迅速診断で10分ほどで調べる。転移がなければ他のリンパ節にも転移がないとみなされるため、リンパ節廓清術をしないのです。患者さんのQOLにとって、とても重要です。

 縮小手術については、前に述べたように、切除断端の検索を迅速診断において要求されると本当に物理的・精神的負担が大きくなります。

  乳癌と所属リンパ節を切り取って病理学的に調べた結果、リンパ節転移がない (n0) のに再発・転移していく患者さんたちが一部にいます。そういう患者群をあらかじめ予測して、予防的な化学療法を加える。そういうおそれのない人達には化学療法をしないという見分けが病理標本をみて予測できないだろうか、という研究がいま走っています。国立がんセンターを中心に、僕も参加していますが、この「nO 乳癌」の予後因子として、顕微鏡形態、遺伝子などいろんな因子が調べられてきていますが、残念ながら、こうであれば再発する可能性が高い、こうあれば再発しないだろうという予測がなかなか難しい。一刻も早くその辺がわかると化学療法の適応がしっかり決められるのです。

 それから、乳癌細胞がホルモン受容体をもっていると、抗エストロゲン療法(抗女性ホルモン療法)が効くだろうと予想できます。場合によっては、卵巣や副腎まで切除するという手術をすべきかどうかが問題となります。ホルモン受容体発現の有無はいま抗体を使った組織染色で観察できるようになっています(図1)

図1(酵素抗体法)
乳がんにおけるエストロゲン受容体の発現
図2(酵素抗体法)
乳がん(浸潤性乳管がん)におけるHER-2蛋白の強発現
がん細胞の核が茶色に染色されている。がん細胞の核にエストロゲン刺激を受ける受容体(レセプター)が 存在することを意味している。ホルモン療法(抗エストロゲン療法)が有効ながんであると判断される。  
 つまり、一枚の病理切片から治療方針決定に 重要な情報が得られる。
 ここでは、がん細胞以外の核は緑色に染色されている。
 乳がん細胞の細胞膜に沿って褐色のHER-2陽性所見を認める。HER-2陽性乳がんはタチが悪いが、再発時にはハーセプチン療法が有効であることを意味している。
 がん細胞におけるHER-2の発現性を確認するのは病理医の重要な役割である。

 癌遺伝子のひとつに c-erb B2 と称されるものがあります。この遺伝子を発現している乳癌はたちの悪い癌であるとする論文がたくさんあります。特殊な染色法でこの物質を切片上で染めることができます。癌細胞が茶色く染まっていれば陽性でたちが悪い(図2)。染まっていなければ陰性で少し安心。こんな風にして、たちが悪い癌をそれほどでもないものと見分ける努力をするのも、病理医の役目のひとつになってきています。現在、こうした染色検査はルーチン業務として全例におこなわれています。またそういう施設が増えてきています。

 
一般論ですが、診断の最終目標は決して診断名を決めること自身ではないのです。正しい治療が選ばれることが目的であるはずです。ある病理医に提出された標本が乳頭腫(非浸潤性乳癌に似た良性病変)か非浸潤性乳癌かを迷ったとします。むろん、少し時間はかかりますが、ガラス標本郵送してコンサルテーションに出すのが一つのチョイスです。しかし、その際の専門家の意見はあくまで意見に過ぎません。責任をもって最終診断を下すのはあくまでも担当した病理医なのです。極端な場合は、それでも診断確定ができない場合や、意見が割れることすらあります。そんな場合どうするのか。どうしたらいいのか。最終病理診断病名を癌と呼ぶか呼ばないかはあまり重要ではありません。患者さんにとっては、どの程度の治療(手術切除)が選ばれるべきかの判断がもっとも大切なのです。そう思いませんか?

 癌保険をご存じですよね。今、患者さんの約 1/3 が癌保険に加入しているそうです。そこでは、「癌」という診断名を使わないと保険がおりないことがあります。だから、もし患者本人が癌保険を使いたいという意思があるならば、癌という診断病名を使いましょう、と判断することさえもあります。僕は、これをもって病理診断病名の社会的適用と称しておりますが(笑)。極論すれば、結果的に治療方針が変わらなければ、どんな灰色の言葉を診断名に選んでもかまわないのではないでしょうか。異型腺腫、異形成、境界病変、低悪性度病変などたくさんの言葉が使い得ますね。

[さまざまな乳癌の姿]      
 乳癌の実際のスライドを少しお見せしたいと思います。皮膚にひきつれがあれば、ほぼ間違いなく乳癌、しかも浸潤性乳癌である証拠です。一部例外はありますが。

 手術切除材料をいくつかお見せしましょう。肋骨までとるようなハルステッド手術をせざるをえないほどの進行癌の割面です(図3)。しかし、こういう進行癌は取ってもとりきれないことが多い。 乳癌の転移は骨に多く、骨がこわれて病的骨折をおこすことさえもあります。ものすごく痛かったと思います。骨に転移しやすいのが乳癌と前立腺癌の大きな特徴ですね。

 乳房の割面にみられる白っぽく硬い約1センチ足らずのしこり(図4)が、場合によっては患者さんの命を奪うことに、あるいは長年にわたって骨の痛みで苦しめるということになるのです。この病変はその周辺がギザギザにみえますが、これが硬癌の大きな特徴です。(図5)は顕微鏡でみたところです。中央に青くみえるのがすべて癌細胞です。スキルス癌ともいわれます。ヒポクラテスの時代(紀元前)に、すでに癌の記載があります。乳癌は表在性で見つけやすかったと思われます。癌のことを英語でキャンサー cancer といいます。ひきつれた乳癌(硬癌)が浸潤する様子が肉眼的に蟹のように見えたためです。The Cancer は星座の「カニ座」のことです。癌はドイツ語でクレブス Krebs といいますが、これも蟹を意味します。

図3
巨大な乳がんの割面
図4
乳がんの割面所見
図5(低倍率、HE染色)
乳がん(硬癌)の顕微鏡所見
 画面中央に境界不鮮明な浸潤性病変がみられる。
 大きな腫瘍の存在により、皮膚が著しく隆起すると同時に、がん組織は下層にある胸筋組織に接している。黄色い乳腺の脂肪織の下にみえる赤い組織が大胸筋である。
 黄色い脂肪組織の間に境界不鮮明は灰白色の乳がんが認められる。浸潤により、腫瘍周辺部がトゲ状を呈している。  

 図2に示した1 cm大の乳がんの顕微鏡所見で、中央部でがん細胞の核が青く染色されている。白く抜けた脂肪組織へ向かって浸潤性に増殖している。青く見えるのががん細胞で、周囲の白く抜けた脂肪織に向かって不規則に(境界不鮮明に)浸潤している。
 青いがん組織の中央部にピンクがかった部分が観察されるが、この部分が線維組織で、さわると硬いので硬がんの名がついた。
がん組織内の線維化は、すぐ上を覆う皮膚にひきつれをつくる原因となっている。

 乳癌の顕微鏡所見で硬癌の組織像です(図6)。赤っぽくみえるのが線維成分なのですが、この増生ために腫瘤は非常に硬い。膠原線維の間に癌細胞がぱらぱらに入っており、浸潤性が強く脂肪組織に入り込んでいます。たちの悪い典型的な硬癌です。

  いっぽう(図7)は乳腺の非浸潤癌の顕微鏡所見ですが、癌細胞が拡張した乳管に沿って非常に広範に広がっています。どこまでが癌なのか、触れただけではわからないことがあり、そのような症例は縮小手術の適応ではありません。

 縮小手術の適応に関しては、比較的良好な予後が期待できる症例ほど、乳管に沿って広がり、縮小手術ではすべて取り切れずに再発することがあります。縮小手術をしたために再発して、場合によっては転移までしてしまう可能性だって残る。こうした点が泣き所なんですね。ちなみに、手術適応を選ぶのは病理医ではなくて外科医です。病理医はあくまで相談役です。乳管は必ず乳頭部に開口しています。乳頭には計20本くらいの乳管が集まっているのです。問題なのは、乳頭に近い太い乳管の断端に乳癌細胞の連続進展があるかどうかです。乳頭までふくめて乳腺を全部取ってしまえば絶対に治る。だが取りたくない。再発の危険が残る。そこの駆け引きというか判断、ひいてはインフォームド・コンセントが大切だと思います。そういう意味では、患者さんもよく勉強していただいて、外科医や病理医の悩みの一部をわかちあっていただきたい気持ちでいっぱいです。

 (図8)は、リンパ管のなかに癌細胞がガンガン侵入している所見です。こうなりますと炎症性変化が強くて、「炎症性乳癌」という名がつくことがあります。たちが悪い癌のひとつの所見なのです。

図6(高倍率、HE染色)
乳がん(硬がん)顕微鏡所見
図7(HE染色)
非浸潤性乳管がんの顕微鏡所見
(面皰がん)
図8(HE染色)
炎症性乳がんの顕微鏡所見
(著名なリンパ管浸潤)
 小さな塊をつくりつつ浸潤性に増殖する乳がん細胞がみられる。左端では、脂肪組織の中にがん細胞が浸潤している。
  右半分では、がん細胞はピンクに染まる膠原線維の増加(線維化)を伴っている。
 がん細胞が乳管に沿って広く進展している。乳管中央部ではピンク色に染まる壊死を認め、いわゆる面皰がんの特徴を示している。
 間質への浸潤性増殖はみられない。
 皮膚のリンパ管内に、青く染まるがん細胞が浸潤している(高度のリンパ管浸潤)。その周囲にみられる白い空隙がリンパ管の管腔である。
  著しいリンパ管浸潤のため、乳房が赤く腫れてみえるので「炎症性」乳がんの名がある。予後不良な病型である。

 (図9)、センチネルリンパ節に転移した乳癌組織です。外科医が廓清した腋窩リンパ節に転移があるかないかについて、病理医はていねいにリンパ節を一個一個顕微鏡で確認します。もちろん、肉眼でみて大きくはれていて硬いというのは明らかな転移なわけですが、そうでないごく小さなリンパ節でも顕微鏡的な転移があることもそう珍しくはない。そういう意味で乳腺の病巣切除にリンパ節廓清を加えることが、スタンダードな治療法になっていると思います。

[縮小手術でとった乳癌]
 ここから、縮小手術の写真をお見せしたいと思います。(図10)は乳頭を取っていない 1/4 切除術です。皮膚を一部取っています。腫瘤を中心にした少し広めの 1/4 切除術です。外科医がひもで乳頭側に印をつけてくれています。わが国では、乳房に対する割面の入れ方などに細かい取り決めがあって、検索の仕方が一般化されているのです。

 (図11)はもっと小さく取った腫瘤摘出術ですね。これも乳頭側に印がついています。いつも気にするのは乳頭側です。前にも言ったように、乳管内進展があるときは基本的に乳頭側に向かってすることが多いのです。乳管内に色素を注入してマーカーとすることもよく行われます。

図9(HE染色)
乳がんの腋窩リンパ節
(センチネルリンパ節)への転移巣
図10
温存手術で切除された乳房の
病理学的検索
図11
乳管切除とよばれる局所切除法が行われた乳管内乳頭腫(ホルマリン固定後)
 右半分のリンパ節被膜下に乳がんの転移巣を認める。左半分は転移のない部分で、リンパ球の集合体である。

 切り取られた乳房は4〜5 mm間隔で短冊状にスライスを入れ、すべての標本が顕微鏡観察される。本例では、肉眼的にがん細胞は確認できない。
 乳管に沿って青い色素が注入されている。丁寧に顕微鏡観察され、乳がん(本例では非浸潤がん)の広がり、断端部にがん細胞があるか否かが判断される。
 断端部にがん細胞があれば、再手術か放射線治療の追加が行われる。

 乳管に沿って増殖する良性の乳頭腫が切除されている。マーカーとして、青い色素が注入されている。
 乳頭腫の一部にがんがみつかる場合があるため、全部の標本が丁寧に顕微鏡観察される。

 縮小切除された乳癌をどうやって調べるかについてですが、多くの場合、提出された標本を3〜4ミリの間隔できれいにスライスします。図10、11ともに色素を注入された乳管がみえます。このマーカーに垂直に切り出しを行い、提出検体のすべてを標本に作製します。1/4 切除術の場合は、全部で150枚を越える標本ができあがることなどしょっちゅうです。泣けてきますが仕方ない。たったの8,800円しか稼げないけど(笑)やりましょう。何とか、イデアフォーの皆さんの力で9万円位は請求できるようにしていただきたいと思います。病理医の地位向上のために!ちょっとしたかけらをも含めて全部標本にして検索しますので、医療廃棄物問題の観点からいってもごみがまったく残りませんので、とてもいいんじゃないかと思います(笑)。

 ちなみに、手術して取られた乳房、胃、肺などの臓器はホルマリン固定されますが、病理組織学的検索が終了した残りの材料をどう処分するか知ってますか?多くの病院では、斎場で焼いています。他の施設では、業者が引き取って焼却炉で焼いています。病理関係の臓器は感染性医療廃棄物に分類されるのです。臓器の所有権の視点からも、倫理的問題からも、むろん感染防止対策の観点からも、問題がたくさん残されています。

[縮小手術の実施には病理医が必要]
 縮小手術材料の病理学的検索には多くの時間がかかります。外科医と病理医との協力、チームワークが非常に大事です。切り出し(標本のサンプリング)のときには、必ず外科医に同席してもらい、どこに腫瘤があるのか、断端としてはどの辺があやしいのか、などをディスカッションしながら切り出します。とくに、断端に腫瘍があるか否かを顕微鏡で見定めるが病理医の大切な役目になります。再発の指標ですね。術中迅速診断として切除断端の検索をやるかどうかは、前に述べたようにいろいろな意見があります。ホルマリン固定後にじっくり検索しますと、結果が出るまでに2〜3日ほどかかります。そのあとで断端陽性だったなら、放射線をかけるとか、場合によっては再手術をするかですね。その辺の考え方は施設や人によっても違います。何が正しいかは今のところまだ答えはないと思います。断端の術中迅速診断は手間暇、正確性を考えるとできればやめてほしいな、と個人的には思います。

 肝心な点は、縮小手術には病理医がその場にいることが要求されることです。最初に紹介しましたように、300床以上の大きな病院でも常勤病理医がいるのは半分ちょっと。病理医なしで縮小手術をやられたらたまりません。いわんや、病理診断を検査所に外注して2週間近くもかかって返事が返ってくるころには、とっくの昔に患者さんは退院してしまっているというような状況がいま現実だとすれば、とんでもないことですよね。

[術中迅速診断のやり方]
 術中迅速診断をどんな風にやっているかを簡単に説明します。まず、提出された生の組織を適切な大きさに切り出します。有機溶剤の中にドライアイスをつめておくと、液体の温度が -80℃に保たれます。生の組織を特殊なカセットに入れ、ノリのような包埋剤に埋めこんでから急速に凍らせます。

 凍った組織はクリオスタットと称される薄切機で 4 ミクロン程度の厚さに薄く削ります。切片をスライドガラスに拾い、エタノールで 10 秒ほど固定します。ついで、ヘマトキシリン・エオジン染色を行います。脱水操作後にカバーガラスで封入すれば顕微鏡観察可能となります。その間、5分おそくとも10分ですね。

 判断が難しい場合には、何人かの病理医で相談しながらやるということもあります。どうしてもわからないときはどうするか?正直に「わかりません」「判断を保留します」と言います。白黒つけずにグレイが正解ということもあるものです。再手術になるかもしれませんし、あるいはそのときの外科医の判断で手術を続行することになるかもしれませんが、わからないものははっきりわからないといいます。わからないものをわかるということはとても危険です。

 テレパソロジーって知ってますか?画像を遠くに電送して診断を下す様子がよく新聞などに出ていますよね。そういう風にして、ときをおかずに専門家に相談することができれば理想的です。術中迅速診断で迷ったときを想定して、こうした遠隔地診断システムがだんだんと整いつつありますが、そういうことがいつもできるとは限りません。ギリギリの状況では、自分が患者だったらこうして欲しい、自分の女房やお袋だったらこうして欲しいと答えることもありますね。

[穿刺吸引細胞診のやり方]
 穿刺吸引細胞診 aspiration biopsy cytology (ABC) が普及してきています。以前は、乳癌の診断には、麻酔をして皮膚の一部を切開し、腫瘤の一部または全部を取って組織診による病理診断をしていたわけで、また、それしか方法がなかった。最近では、麻酔はしないで針を刺して、腫瘤から直接細胞を吸い取って顕微鏡下で判断するという穿刺吸引細胞診の方法が、生検に併用、ないし代用されてきています。コストパーフォーマンスがよく、診断精度も十分に高いのです。

  実際にどうするかといいますと、注射針で吸い取った組織・細胞をスライドガラスの上に噴き出して、針の背中とかプレパラート2枚を摺り合わせスメア(塗沫)し、すぐアルコール固定後にパパニコロウ染色を行うのです(図12)。顕微鏡でみるまでに半日以内、急げば1〜2時間後に診断が出せます。診断精度はかなり高いものですが、腫瘤に針がうまく当たらなければいけないので、当ったことを確認するためにエコー検査を併用したりします。標本が乾いてしまうといけないので、外科医の標本の取扱い方が非常に問題になります。へたくそな外科医がまだまだ多いですね。患者さんが痛い思いをしているのに、へなちょこの標本では困りものです。

 病院でのABCの数は増え続けています。増えているのは、乳腺と甲状腺の穿刺が多いのです。頭頚部や乳腺といった表面の皮膚に近い腫瘤性病変が一番穿刺しやすいわけです。判断の難しい症例も増えてきており悩みがつきません。

 代表的な、だれがみても癌というパパニコロウ染色の細胞所見を示します(図13)。こういう悪性所見があれば、即手術です。あとは生検もしなければ迅速診断もいりません。

図12
乳腺穿刺吸引細胞診の手技
図13(Papanicolaou染色)
乳がんの穿刺吸引細胞診
 通常、エコーガイド下で病変部に無麻酔で針を刺し、少量の細胞が吸引される。
 得られた細胞をスライドガラスに吹きつけ、アルコール固定後にパパニコロウ染色される。
 大型の核、明瞭な核小体、狭い細胞質、細胞質内の微小腺管形成など、細胞診でがんと断定できる所見がそろっている。

 細胞検査士(サイトスクリーナー)という認定資格があります。これは日本臨床細胞学会という学術団体が認定している資格ですが、国家資格である臨床検査技師を対象にして非常に難しい試験が行われ、最終合格率が2割から3割。彼らは、あらかじめおかしいと思う細胞をスクリーニングしておいてくれます。それを医師の責任で最終的に判断をくだします。現実的には、スクリーナーの方が病理医より診断能力が高いという場面が少なからずありますが、医師法からみて最終診断の責任があるのは医師(とくに病理医)です。

[乳房のしこり]
 乳癌以外にも、乳房にしこりをもたらす疾患があります。少しだけ紹介しましょう(表4)

 表4.乳房のしこり

  1)乳癌
 
  2)線維腺腫

  3)乳腺症

  4)乳管内乳頭腫

  5)脂肪壊死

  6)その他(葉状腫瘍、間質肉腫、etc)
 

 線維腺腫の典型的な割面像を示します(図14)。みずみずしく盛り上がる白っぽい割面です。若い人にもっとも多くみられる乳腺のしこりです。両側の乳房に境界不鮮明なしこりが多発するときは、乳腺症をまず考えます。性ホルモン異常を示す症例に多く、痛みや乳頭分泌を伴うことも少なくありません。これもとても頻度の高い病態です。次の病変では、乳管が拡張し、その中に盛り上がった腫瘤があります。これは乳頭腫という病変です。非浸潤性乳癌との鑑別がすごく難しい病変の代表です。

図14
繊維腺腫の割面像

線維腺腫の典型的な割面所見
図15(HE染色)
乳癌(粘液がん)の顕微鏡所見
 良性腫瘍である線維腺腫は若い女性に多く、みずみずしく、境界が鮮明である。若い女性の乳房のシコリとして最も頻度が高い。  がん細胞が粘液の中に浮いてみえる。粘液は白く抜けてみえている。
 がん細胞は核異型に乏しく、悪性度の低いタイプである。

 特殊な乳癌も少し紹介しましょう。図15はみずみずしくみえるかわった種類の乳癌です。肉眼的に水あめのような粘液の塊にみえる粘液癌という比較的たちのいい乳癌です。顕微鏡的にみると、粘液の中に癌細胞がぱらぱらと浮いています。癌細胞の一般的特徴である「異型性」に乏しいかわった癌なのです。 

 図16は手術で摘出された巨大な腫瘍で、葉状腫瘍といいます。大きな葉っぱのように区分けされた腫瘍で、良性と悪性とがあります。とにかくやたらに大きく、10センチくらいは普通なのです。大きくなりかたも早い、こんな病変もたまにあります。

 図17は特殊な乳腺のしこりです。ぺたーとみえるのは以前乳房内に注入されたパラフィンです。豊胸術が一時かなりはやった時代がありました。妙な異物を体にいれて10年、20年とたつと、その部分が瘢痕化してしまい、取ってくれと病院にやってくる女性がいまだにいらっしゃる。実際、ひどい話ですよね。

図16
葉状腫瘍の割面所見
図17
豊胸術後に硬いしこりをきたした症例
(切除乳房の割面所見)
図18
術中迅速診断で乳がんと誤診された
皮膚汗腺の良性腫瘍(HE染色)

 手術で摘出された直径15 cmに及ぶ巨大な腫瘍である。境界は鮮明である。割面には大小の嚢胞腔が観察される。
 巨大な割に良性の経過をたどることが多い。線維腺腫の親玉的存在である。ただし、悪性の場合もある。

 若いころ、シリコンを注入された60歳台女性の乳房が切除された。
 異物反応により、ひどい変形をきたしたためである。
 乳房腫瘤の臨床診断で標本が提出されたため、担当病理医は乳腺由来の病変しか念頭になく、浸潤がんと迅速診断された。
 ところが、後日、病変が浅いところに分布していたことがわかり、組織所見とあわせて、汗腺の良性腺腫と診断名が変更された。
 本患者は妊娠中であり、乳がん手術の目的で、人工流産が行われてしまった。当然ながら、乳腺の手術は中止となった。とても残念で、非常に教訓的症例である。

[良性腫瘍であやうく手術に]
 病理診断に関するニアミス例のお話を紹介させて頂きます。

 乳腺外来から午後に標本が出てきて、迅速診断に供されました。担当の病理医は乳癌という答えを返しました。患者は20歳代前半の若き女性で、妊娠3ヵ月、新婚6ヵ月。生検した臨床医は、若い夫婦に向かってその場で癌であることの話しをし、入院の予約を取ったのです。次にこの標本が出てきたとき、僕が担当でした。たまたま、そのときは連休をはさんでいましたので、標本提出が普段よりちょっと遅れたんです。迅速診断した標本は、すべて永久標本としても作製し、診断ミスを素早くチェックするシステムになっています。

 それは夜中の11時ころでした。標本を何気なく覗いたのは。「あっ!癌じゃない!」その病変は、皮膚の汗腺の良性腫瘍だったのです(図18)。迅速診断時の情報では、乳腺の腫瘍だと臨床的に判断されていました。その思いこみが仇となったのです。祈るような気持ちですぐに病棟まで電話しました。主治医はまだいてくれました。患者さんの状態を聞いたところ、明日に手術の予定で、もう鎮静剤を打たれ、本人も納得の上で子供はすでに人工流産をされているとのこと(会場より「えー!?」の声)。むろん、即刻、手術は中止してもらいました。当然、乳房は切り取らずにそのまま退院されたわけです。

 半年後、二人には再び新たな生命がもたらされたとのこと。本人たちはとても喜んでいるし、よかったと納得しているという話。その外科医にあとで確認した話なんですが、その「乳腺」のしこりは乳癌にしてはたしかに位置が浅かったと。さもありなん。皮膚の腫瘍ですからね。その一言さえあれば、間違いは防げたかもしれなかったのに!これを失敗例と呼ぶか、ニアミス例と呼ぶかは皆さんの判断におまかせしたいと思います。


  汗腺の良性腫瘍は、乳癌だと思い込んで顕微鏡をみたら癌にみえるのです。不思議なくらい紛らわしい。汗腺の腫瘍とするなら文句なく良性なんですね。ちょっとした情報の行き違いが運命の分かれ道になりかねないのです。

[病理診断はときに難しく、かつ、切ない]
 乳腺の場合、妊娠中、授乳中といった簡単な情報がなくて病理診断に提出されてくる場合がときどきあります。授乳中に正常乳腺がしこりとして触れることもあり、穿刺吸引細胞診の対象に選ばれることになります。その場合、当然、正常でない活性型の細胞が標本中に出てくることになります。うっかりすると、クラス5、すなわち「癌」に見えるわけです。臨床医は、妊娠しているということはそれほど大切は情報ではない思い込んでいるのでしょう。細胞の顔つきの変化を知らない先生がたには、なかなかわかってもらえないんですね。

 これも穿刺細胞診の話です。ねばねばの粘液癌の典型例を示します。認定病理医試験という、最低でも5年間の病理診断の勉強をしてある程度の実力がついた医師たちが受験するプロの認定試験に、サイトスクリーナー(細胞検査士)からみるとやさし過ぎる問題として、粘液癌の細胞像を出題しました。驚いたことに、正解率は3割しかありませんでした。こういう人たちが皆、病理専門医になっているのは少し怖いですね(苦笑)。実力が乏しいことは確かに少々あぶなっかしいですが、細胞検査士がしっかりしていれば大丈夫でしょう。それ以上に、形態所見の見方が難しいということなんですね。日々これ勉強あるのみです。

 ということで、病理学は英語でパソロジー pathology というのですが、これは、パトス pathos(病気)とロゴス logos(学問)の合成語です。皆さんペーソス pathos(英語読み)って言葉知ってますか?哀愁という意味なんですね。病理医は、あるいは病理診断という分野は、病院の中ではあまり恵まれていないんです。常に裏方で。医師として医療法の中で正式に認知されていませんし−。*そのために、ちょっと切ない思いをすることがよくありまして、そのために、少しく哀愁が漂う様な話しになってしまいました。
*2008年4月にようやく「病理診断科」が臨床科として認められるようになりました!

  どうも失礼しました。今後とも、病理医に対するご理解をよろしくお願いします。

一番上へ
 
患者さんのために病理診断をくだす病理医からのメッセージ

 まず自己紹介から。私は病理診断のプロであるとともに、患者さんのために質の高い病理診断に貢献する臨床密着型の研究を心がけております。「酵素抗体法」を病理診断の分野に導入したパイオニアであると自負しています。現在は、大腸癌や乳癌の抗癌剤感受性を治療前にあらかじめ認知する(患者さんに最適なテイラーメイド治療を選択できる)手段を追い求める一方、感染症の正確な病理診断の重要性も啓蒙しております。細胞診断や病理解剖も重要な業務です。また、卒前・卒後の医学教育、院内感染防止対策、医療廃棄物の適正処理や医療リスクマネジメントにも積極的に取り組んできております。つまり、他の人がやっていない領域に首を突っ込むのを特徴とする「穴埋め病理医」なのです。よろしければ、大学教室のホームページ内、他もご覧ください。

 癌の病理診断は、最終診断となります。病理診断のいかんによって治療法が変わります。同じ臓器の癌でも、進行度によって治療や予後が大きく異なります。手術中に行われる「術中迅速診断」では、手術するかどうか、どこまで切りとるかが決定されます。乳癌の温存手術やセンチネルリンパ節生検には、病理医の存在がなくてはなりません(図1a、b)。感染症でも、病原体ごとに治療法は異なります。上に紹介した「酵素抗体法」などの特殊な染色法を使って、治療法の選択に重要な情報を標本から探りだすのも私たち病理専門医のしごとです(図2)。そう、精度の高い病理診断が質の高い医療に必須なのです。

 ところが、患者さんをはじめとする一般市民は病理医の存在すら知らない場合が多く、内視鏡でとられた標本を顕微鏡でみるのは内視鏡医や外科医だと思いこんでいるフシがあります。実際には、経験を積んだ病理専門医が診断しているのです。精度の高い病理診断をめざして、日々これ努力あるのみです。

図1a
センチネルリンパ節生検
(肉眼所見、色素法)
図1b
センチネルリンパ節生検
(HE染色)
図2
乳癌におけるエストロゲン受容体(ER)の発現
乳房の病変周囲に注入した色素が所属リンパ節に流れ、青く着色している。一番左のリンパ節は腫れており、リンパ節転移陽性である。  リンパ節が色素で青く染色されている。(HE染色=へマトキシリン・エオジン染色)一番下のリンパ節には肉眼的に転移を認める。顕微鏡ではリンパ節の被膜直下(辺縁洞)に乳癌細胞の小さな転移巣が観察される。術中迅速診断でセンチネルリンパ節転移が陽性の場合は、腋窩リンパ節廓清が行われる。  酵素抗体法染色により、浸潤性乳管癌細胞の核が褐色に染色されている。パラフィン切片の加熱前処理(料理)が必要なので、料理医と間違えられても仕方がない?

 医学部の中では病理学は基礎医学に分類される一方、病院では病理診断は「病理検査」とよばれ、検査の一部になりさがっています。病理診断は機械ではできません。経験を積んだプロの病理医の知識と経験が必須なのです。たしかに、私たち病理医は、患者さんと直接接触する機会の少ない医師です。しかし、患者さんに対して行われる医療にとても重要な役割を果たしています。臨床医に対するアドバイザー的存在で、ドクター'ズドクターともみなされています。医療の質を支える根っこの役目を演じていると言ってもいいでしょう。欧米のみならず、タイでも韓国でも、病理学は当然のように臨床医学の一員に位置づけられ、患者さんの目にみえる形になっています。

 病院で行われる医療は診断と治療であり、その中の診断を専門とする部門が病理なのですから、臨床医であることは当然とみなされているのです。日本でも「病理科」の標榜が求められるゆえんですが、なかなか実現しません。医療法で標榜科が広告規定として定義されている点がネックになっています。患者さんが行かないから標榜する必要はないと。ひどい話です。*
*2008年4月にようやく「病理診断科」の標榜が実現し、臨床科の仲間入りを果たしました。

 日本で病理専門医は2000人弱。半数以上は私のように*大学に所属しています。(社)日本病理学会の資格試験(すべて実地試験です)に合格する新病理専門医は毎年80人弱。全医師の1%以下で、とにかく、絶対数が不足しています。300床以上の総合病院で常勤病理医がいるのは半分程度に過ぎないのが実状です。しかも、「ひとり病理医」が多く、休暇もままならないのです。日本病理学会はこれまで、社会に向けた情報発信が足りなかったようです。こうした反省を踏まえて、患者さんにわかりやすい、社会に開かれた学会へと変身する必要があるでしょう。私も理事として努力します。

 病理診断の正確度は、病理医の研修度や経験の深さのみならず、臨床医との良好なコミュニケーションが重要な要素になります。病理医が常勤すれば、この要素がクリアされ、術中迅速診断をはじめとする病理診断がやりやすくなります。病理医が常勤するかどうかは、病院入口の医師一覧でわかるはずですが、病理科が標榜(外部広告)できなかったため*、病理医が所属する科名は、病理科(院内表示は可)、病理診断科、検査科、臨床検査科、研究検査科、病院病理部、中央検査部などさまざまです。2003年3月に広告規制が緩和され、病理専門医の広告が可能となりました。今後、以下に述べる理由で、患者さんにわかりやすい形での表示が必要なことに論を待ちません。

 以下、患者さんによびかける形で筆を進めさせてもらいます。

 病理診断は、臨床医でなく病理医のしごとです。病理所見の詳細は、病理医でなければわからないことが少なくありません。だから、病理診断に関する細かい説明を聞きたい場合は、病理医から直接話を聞くことをお奨めします。ただし、臨床経過や治療の詳細を知らない病理医と患者本人だけが直接会うのは誤解のリスクが高いし、担当医と患者さんの信頼関係を損なう可能性がありますので、担当医がその場に立ち会うことが大原則です。

 病理診断は、プレパラートと称される顕微鏡用ガラス標本を顕微鏡でみて実施されます。もちろん、肉眼診断やレントゲン・内視鏡といった画像診断との併用も重要なのですが、もっとも肝腎な顕微鏡標本は長期間の保存が可能で、いつでも新たにつくれること、簡単に郵送・あるいは画像伝送して別の専門医の第三者評価を受けられる点が大きなポイントです。顕微鏡標本をつくるには、臨床検査技師が標本を数ミクロンの厚さに薄く切ったあと、染色されます。つまり、検査室の倉庫に保存された検体は、いつでも再検査・再チェック可能で、すばらしく客観性を保ってくれます。顕微鏡標本はうそをつきません。

 この客観性はもっともっと利用されるべきです。もしあなたが自分の病気の診断を確認したいと思ったときには、まずご自分の病理標本を借りてください。担当医にご相談ください。病理医に面会することも可能でしょう。事情を話せば、きっとあなたの顕微鏡標本が借りられるでしょう。標本枚数が多い場合もありますので、病理医に重要な部分を選んでもらわねばならないかも知れません。施設によっては、標本を余分に切ってもらえるでしょう。ただし、準備に2〜3日かかるでしょうし、実費を要求されるかも知れません。臨床の先生方にぜひ知っておいていただきたいのは、パラフィンブロックから標本を切って染めるのは病理の日常業務であり、お茶の子であるという点ですね。

 プレパラートは、郵送すればお望みの病理医のセカンドオピニオンが得られるでしょう。この場合、臨床情報と病理診断が書かれた最初の病理診断報告書のコピーがあることが望ましいです。標本だけでは、診断がつかないことはよくあります(それほど、臨床的情報は大切です)。知り合いの医師がいれば、その方に紹介してもらうのもいいでしょう。思い切って、病院に勤務する病理医に直接電話してみてください。思いのほか、簡単にみてもらえるでしょう。インターネットで私のような病理医を捜してみるのもいいかも知れません。保険診療外のサービスになりますので、今のところ診断料金はいただきにくく、多くの場合、ボランティア精神で参考意見(つまり、セカンドオピニオン)を述べることになります。

 従来、病理医は「料理医」と間違えられるほど、その存在が知られていない影武者のような医者でした。でも、もうそろそろ、そうした時代はおしまいにしなければなりません。内科、外科、産婦人科、皮膚科、耳鼻科といった縦割りの臨床科の枠を越えた、病気に関する広い知識を身につけ、さまざまな病気を知り尽くしたプロの病理医をもっと十分に活用してほしいと思います。病理医は、院内で第三者的(客観的)立場のとれる数少ない存在でもあります。不幸にして病気でなくなった患者さんを病理解剖し、病気の進展具合、死因、治療効果、合併症を見極めるのも病理医の大切な業務です。

 病理解剖は、研修医の教育に重要な役割を果たしますし、現代医療の反省の場にもなります。患者さんが医師の教師に変身するときでもあります。医療の失敗の結果をみるチャンスが多いのも私たち病理医の特徴です。失敗から学び、医療の質の向上をめざすための活動の中心となることも可能です。失敗をくり返さないようにするためには、講座、医局や職種の壁を越えた反省の場が必要でしょう。米国でmorbidity and mortality conference(M&Mカンファレンス)とよばれている活動をわが国に定着させる原動力となるのは、病理医、検査医、麻酔医、救命救急医、放射線医のような医療において横糸の役目を果たしている職種ではないでしょうか。私たち病理医をもっとうまく利用してほしいと思うのは私だけではないでしょう。

 プレパラートの向こうで待っている患者さん、顔も知らない患者さんのことを考えながら、今日も病理医は黙々と顕微鏡に向かっているのです。ぜひ、お見知りおきを。

 ページにゆとりがあるようなので、以下、少し変わった切り口で、私の問題意識を2点ほど聞いてください。

「第一点は、MRSA院内感染防止における病理医の役割です。」
 メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)は悪名高き院内感染の主役です。医療者の手指を介して接触感染するMRSAの院内感染を防ぐためには、徹底した手洗い(手指消毒)と病室内では肩から上に手をあげないこと(顔を触らない習慣づけ:顔にはMRSAが常在しているとみなして対処する)の安全教育が何より大切です。オーバーテーブルやドアノブなど、皆がよく触る部位の洗剤による拭きとりの重要性も強調したい点です。

 しかし、たいへん残念なことに、わが国ではMRSA肺炎・敗血症による死亡があとを絶ちません。入院患者から培養される黄色ブドウ球菌のうちMRSAの占める割合はMRSA率と称されます。院内感染対策の進んだ北欧のMRSA率は1%以下、ドイツが数%、英国・南欧・米国が30%、そしてわが国ではこの数値が実に70〜80%に達するのです。MRSAは常在菌的性格が強いため、菌が分離培養されたことと感染症の原因菌であることとは厳密に区別すべきです。しかし、この点も臨床現場ではしばしば不明確で、MRSA陽性、即Vancomycin投与といった誤った図式がまかり通っていることが少なくありません。

 病理解剖は病変と病因の関係を明らかにできる直接的かつ最終の方法です。病理解剖で得られる貴重な情報はもっともっと積極的に院内感染防止対策に活用すべきです。剖検時に心臓血および肺組織から積極的に細菌培養を行う習慣づけが大切です。

 MRSA肺炎は、出血性膿瘍(空洞)を形成する高度の肺炎像が特徴です。入院患者に異臭のない肺化膿症をみたらMRSA肺炎の可能性を考えて、病巣部から細菌培養を行う習慣をつけたいものです。図3に示す症例では、組織学的に肺炎病巣にグラム陽性球菌がみられ、剖検肺組織からMRSAが培養されたため、MRSA 肺炎と確定診断されました。こうした剖検結果はなるべく速やかに病棟や院内感染防止委員会に報告されねばなりません。

 ちなみに、1999年4月に施行され、2003年11月に改正された感染症予防新法でMRSA感染症は五類感染症に指定されており、300床以上の総合病院では全例届け出の義務があります。

 従来、肺炎病巣内にみられるグラム陽性球菌がMRSAかMSSAかは、培養を併用しない限り不可能でした。薬剤耐性遺伝子産物であるペニシリン結合蛋白2'(PBP2')に対するモノクローナル抗体を用いると、ホルマリン固定材料からもMRSAの免疫組織化学的証明が可能なのです(図4)

図3
剖検例にみられたMRSA肺炎(HE染色)
図4
MRSA肺炎におけるペニシリン結合蛋白2'(PBP2')の
免疫組織化学的証明

 著しい好中球浸潤に混じて、濃青色に染まる球菌のコロニーが観察される。培養で、MRSA感染が確認された。剖検はMRSA院内感染を確認する最後の、そして最も確実な手段となる。

 肺炎をひきおこしているコロニーに一致して、PBP2'が褐色に染色されている。培養されない場合でも、抗生物質耐性株を証明することが可能である。

 このように、MRSAだけでなく、結核に対しても、院内感染の防止に貢献できる病理解剖が強く望まれます。剖検時の細菌培養は保険がききませんが、こんなところで経費節減をしないでほしいと思います。

2つめは、臓器や標本の所有権について述べたいと思います。」
 病理標本はだれのものでしょう。通常、患者さんから採取された臓器・組織・細胞から、顕微鏡用の病理標本がつくられます。残りの検体は、ホルマリン液に入れた形で一定期間保存され、そののちに廃棄処分(焼却)されます。病院(実際は病理部門)が管理するこうした病理標本は、病院の所有物でしょうか?患者さん本人のものでしょうか?

 実は、この点に関する明確な法的根拠はないのです。解剖症例の臓器の所有権に関しては、死体解剖保存法に準拠し、要求があれば直ちに遺族に返却することが求められています。手術材料や生検材料、そして細胞診材料となると、規定している法律は廃棄物処理法のみなのです。臓器・組織は廃棄に際して「感染性一般廃棄物」として適正に処理することが定められています。そもそも、臓器・組織・細胞がゴミ扱いでいいのかという根本的問題があるうえ、解剖例以外の臓器類が慣用的に(公序良俗に照らして)とり扱われている点は隠された問題なのです。

 たとえ臓器・組織・細胞は本来患者さんのものであるとしても、それを固定・染色・封入した製品(作品)にまで、所有権が及ぶのかどうかは微妙です。これら製品は国家資格を有するプロ(臨床検査技師と医師)の手を介して初めてできあがるし、プロがみてはじめてその価値が発揮される代物なのです。鉄鉱石を輸出した国や企業が、鉄製品にまで所有権を主張することはないでしょうし、その論理は通用しません。

 とはいえ、やはり患者さんの臓器・組織・細胞です。病理診断以外の「目的外使用」(教育、研究、症例報告、精度管理)には、当然ながらインフォームド・コンセントが求められます。患者さんや遺族にきちんと説明して納得していただくことが、所有権を論じる以前の前提条件でしょう。現在、ようやくこうした隠された側面に関する自覚がめばえ、病理検体に関する説明書と同意書を準備する施設が増えてきました。私自身は、同意書に臓器・組織・細胞の所有権を病院に委譲(臓器・組織・細胞を寄贈)したうえで、病院が管理および適正廃棄の責任をとる形が望ましいと考えています。いかがでしょうか。

 こうした所有権の問題は、病理検体にとどまりません。血液や尿しかり。DNA検査は毛髪や糞便でも可能ですが、血液に関する所有権を主張する人でも、便や髪の毛の所有権は主張しにくいでしょう。また、X線フィルム、CT写真、エコー図、心電図、肉眼写真や顕微鏡写真についても同様の議論が必要でしょう。従来、抜去歯牙の所有権が歯科領域で論じられることは金輪際なかったようです。インフォームド・コンセントをとっておけば、基本的な問題は解決するはずです。公序良俗に照らした形での、医療者側のパラダイムシフトが今求められていると思います。

一番上へ
 
病理標本の作り方、取り扱い方と病理診断報告書の読み方
Q1.生検や細胞診の種類・内容を教えてください。
 生検biopsyとは、針、鉗子、匙、切開などにより採取された生体組織の一部を顕微鏡的に検査する診断行為をさします(表1)。

表1


 内視鏡技術の発達やエコー・CTガイド下に行われる針生検技法の進歩に伴って、生検診断は増加しています。消化管内視鏡検査よる食道・胃・大腸の生検のほか、子宮頚部・内膜の鉗子生検、気管支鏡・胸腔鏡による肺生検、心臓カテーテル法による心筋生検、肝臓・腎臓・骨髄・胸膜・前立腺などの針生検、局所麻酔と皮膚・粘膜切開を併用する皮膚・乳腺・甲状腺・リンパ節・鼻腔・脳・筋肉などの手術的生検があります。手術的生検には、病変の一部を採取するincisional biopsyと病変全体を切除するexcisional biopsyがあります。扁桃・虫垂・痔核・胆嚢・消化管ポリープ・消化管粘膜切除検体・子宮内膜掻爬といった小手術により得られた検体small specimenの病理学的検索も広い意味の生検に含まれます。

 消化管、肝、膵、脾、腎、肺、喉頭、乳腺、子宮、卵巣といった大きな手術材料large specimenでは、最終診断名の確定に加えて、切除断端における腫瘍細胞の有無、浸潤の程度、リンパ節転移の程度といった悪性度・予後因子の検索や治療効果の判定も行われます。

 遺族から病理解剖の許可が得られず、最終病理診断が得られていない場合、針あるいは切開により遺体から組織を採取することがあります。ネクロプシーnecropsyとよばれます。

 細胞診には、喀痰・鼻汁・尿といった自然剥離検体、子宮頚部の綿棒擦過、子宮内膜や気管支粘膜からのブラッシング擦過検体、体腔液(胸水・腹水)・脳脊髄液のような穿刺液、乳腺・甲状腺・骨髄などの注射針による穿刺吸引材料および生検標本の捺印材料が含まれます(表2)。剥離細胞診や擦過細胞診は生検に比べて低侵襲性なため、スクリーニング検査に適しています。乳腺・甲状腺の穿刺吸引細胞診は、診断精度の高さから、生検に代わる最終診断法として利用されます。
表2


Q2.病理組織診、細胞診の検体はどのように取り扱ったらいいですか?
 病理検体の大まかな流れを紹介します。まず、臨床診断、画像診断に基づいて必要な病理検体の採取が臨床医により行われます。採取された検体から、標本作製(固定、包埋、薄切、塗抹、染色)が行われます(図1-4)

図1:包埋(パラフィンブロック)
図2:薄切-1
ホルマリン固定→切出し後、パラフィンブロックに包埋された材料
(左:胃生検、右:手術材料)
パラフィンブロックをミクロトームによって薄切する

図3:薄切-2

図4:染色
ミクロトームによって薄切された切片をガラスにのせる
皺が寄らないように〜職人技
いくつもの行程をへて標本を染色する
美しく染め上げるには 微妙なさじ加減が必要

 多くの過程が病理検査技師に任されますが、手術材料の「切りだし」や写真撮影の指示は病理医が行います。組織診にはヘマトキシリン・エオジン(HE)染色(図5)が、細胞診にはパパニコロウ染色(図6)あるいはギムザ染色(図7)が行われます。細胞診では、特別に訓練された細胞検査士(日本臨床細胞学会の認定試験を合格した臨床検査技師)が細胞標本をスクリーニングします。細胞診の最終チェックを含め、病理診断は病理医が行います。必要なら病理医が特殊染色をオーダーしますが、染色は病理検査技師が分担します。最終的に病理診断報告書を患者の治療に生かすのは、当然、臨床医です(表3)。

表3



図5:大腸癌(HE染色)
図6:パパニコロウ染色(pap染色)
図7:ギムザ染色
ヘマトキシリン・エオジン染色(HE染色、大腸癌)の顕微鏡所見で、ピンクと紫のコントラストが美しい。
ここでは弾性線維を青く染める「ビクトリアブルー染色」がさらに加えられている。
子宮膣部の擦過細胞診。
細胞の正常像を示す。
実に美しい染色です!
血液細胞の観察にはギムザ染色が適している。

1)固定・検体処理
 組織・細胞の病理学的検索には、固定操作が不可欠です。正しい検体の取り扱いは正しい診断への第一歩ですので、その原則・原理を知ることが大切です。

@組織診検体
 病理検体は必ず固定液中に保存してください(図8)
 決して、生食中に臓器を放置しないこと。通常、10%ないし20%ホルマリン液が使用されます(ホルマリン原液は37%ホルムアルデヒド水溶液)。手術材料の場合は、最低一晩、浸漬固定されます。小さな生検材料では数時間の固定で十分です。
図8:固定
ぎゅうぎゅう詰めは厳禁です!

 ホルマリン固定された臓器・組織はそのままの形で固まってしまうため、手術材料では固定後にもオリエンテーションがつくような形保持の工夫(虫ピンでとめる、濾紙に貼る、そっとホルマリン液に浮かすなど)が必要です(図9)。固定用容器も正しく選択されねばなりません(小さいビンにぎゅうぎゅう詰めは禁止)。ホルマリンの臓器・組織内への浸透性は意外に悪く、一晩で数ミリ程度です(図10)。肝、腎、脾といった実質臓器の手術材料では、あらかじめメスで割面を入れることがポイントです。

図9
図10

ルゴール染色された標本の再構築図

ホルマリン固定後の切除粘膜の全体像
 

ホルマリン液で一晩浸漬固定された切除腎
(腎細胞癌を下極被膜下に認める)

腎細胞癌(径1.8 cm)の既割に沿った水平断面像
 
食道早期癌の内視鏡的粘膜切除材料の標本サンプリングルゴール染色された標本の再構築図各小片が2 mm間隔で丁寧に切り出されている。
粘膜周辺の小さな穴はコルク板に虫ピンで留めたあとを示す。
食道早期癌の内視鏡的粘膜切除材料の標本サンプリング腫瘍性粘膜は切除標本の中央部で白色を呈し、ルゴール染色性を欠く。 腎の全体像(腎細胞癌に小さく浅い割が入れられている) 黄色い腎細胞癌周囲の被膜直下の腎実質はいまだ赤色調が強く、ホルマリンが十分にしみ込んでいないことを示している。

 臓器・組織の乾燥は避けねばなりません。干からびてしまった材料からはよい顕微鏡標本は得られません。肉眼観察や写真撮影などで、すぐにホルマリン液に浸漬できない場合は、採取材料を生食ガーゼで覆って乾燥を防ぐ対策をしましょう。

 内視鏡生検など、一つの部屋で同様の検体が次々採取されるような状況では、検体の適切なラベリングが検体取り違え防止に重要です。検体と患者氏名の照合の作業は1つひとつ丁寧に行ってください(看護師に任せっきりにしないでください)。病理診断申込用紙の氏名との照合・検体数も責任をもって確認してください。病理検査申込用紙を血液や体液で汚染しないことも、バイオハザード防止対策上守ってほしい点です。肝炎ウイルス、エイズウイルスなどの血液媒介病原体の有無にかかわらず、すべての血液・体液に感染の危険があるとして取り扱うこと(ユニバーサル・プレコーションの考え方)は医療者の大原則です。血液・体液で汚れた手袋のまま申込用紙を取り扱うことは厳禁です。

十分に固定された手術材料は病理医によって標本のサンプリング(切出し)が行われます(図11)
図11:切出し
膵頭十二指腸切除された手術材料に、メスで割が入れられようとしている。

A細胞診検体
 細胞検体の初期処理は、喀痰・尿・体腔液などの剥離細胞診検体と塗抹細胞診、穿刺吸引細胞診検体で異なります。前者は、必要量を適切な容器に入れて、病理診断部門に提出します。その後の検体処理はすべて細胞検査士が行います。採取後直ちに病理診断部門に届けてください。一晩常温で放置された検体(とくに、尿や脳脊髄液などの蛋白濃度の低い液体)は細胞変質が進み、十分な診断が得られなくなるので、時間外の検体採取はできるだけ避けてください。どうしても行う場合は、あらかじめ病理診断部門に一報を入れるか、100分の1量の血清を添加して冷蔵保存してください。

 子宮膣部の塗抹標本や乳腺・甲状腺などの穿刺吸引検体では、採取された現場で直ちに標本作製(スライドガラスへの細胞塗抹)が行われます(ただし、嚢胞液から一定量の液体が穿刺吸引された場合は、注射器をそのまま病理診断部門へ提出してください)。

 パパニコロウ染色には湿固定が、ギムザ染色には乾燥固定が用いられます。パパニコロウ染色用の湿固定の方法は以下の通りです。綿棒擦過された子宮膣部検体はスライドガラスへ薄く均等に塗布し、直ちに100%エタノール液に浸漬します。注射針により穿刺吸引された少量の検体は、検体をスライドガラス上に吹き出し、注射針を用いて、あるいは2枚のスライドガラスを摺り合わせて塗抹標本を作製します(図12-13)。塗抹標本は生乾きのうちにエタノール固定されます。リンパ節穿刺標本や血液疾患を疑う検体の場合は、2枚のうち1枚をパパニコロウ染色用に湿固定し、残りの1枚を十分に風乾してギムザ染色を行います。

図12
穿刺吸引細胞診の検体処理-1
図13
穿刺吸引細胞診の検体処理-2
注射針で病変から吸いとった細胞液をスライドガラスに吹き出している。 スライドガラスに吹き出された細胞液を、もう一枚のスライドガラスとすり合わせる。

 病理検査室に運ばれた喀痰は、細胞検査士により膿性部分あるいは血性部分を中心に塗抹標本が作製されます(唾液のみの検体は不適です)。液状検体は1500回転/分で数分間の遠心操作が行われ、沈渣(血性検体についてはbuffy coat=重い赤血球の上にたまった白い層)が塗抹されます。パパニコロウ染色が中心ですが、液状検体についてはギムザ染色やPAS染色が追加されます。

 細胞診断は検診におけるスクリーニングの手段として重要です。子宮膣部擦過標本はイソプロピルアルコールを主剤とする固定用スプレイで固定されて運搬されます。検診で採取された喀痰はサコマノ液など、粘液溶解と細胞保存を兼ねた保存液に懸濁・均一化して運搬されます。検査室到着後に遠心分離し、細胞診断されます。

B電子顕微鏡観察
 電子顕微鏡検索は特殊なので、病理医に任せるのが原則です。組織片は 1 mm大とし、固定には緩衝2%グルタールアルデヒドが用いられ、検体は樹脂包埋されます。通常、結果が判明するまでに約2週間を要します。

Q3.術中迅速診断に際して注意すべき点を教えてください。
 手術中に一部取り出された病変組織に対して、迅速に病理診断が下されます。病変が良性か悪性か、悪性なら悪性度はどうか、浸潤の有無や程度はどうか、原発か転移か、手術切除を行う必要があるか、などといった腫瘍の性格を判断します。また、手術切除断端や所属リンパ節への腫瘍の進展の有無を確認し、手術方針・廓清範囲を決定します。検体提出から診断までに要する時間は10分程度です。病理医はただちに診断を手術室に口頭で報告します。必要なら、病理医が手術室に出向いて直接臨床医と意見交換します。その場に病理医がいない限りこの業務は遂行不可能です。

 検体は新鮮な状態で病理検査室へ提出してください。ホルマリンなどの固定液に入れないでください。標本の乾燥も厳禁なので、生食ガーゼなどで包んで提出することが大切です。新鮮検体は包埋剤に包埋後に急速凍結され、顕微鏡標本がつくられます。胸水・腹水などの術中迅速細胞診も行われます。未固定検体はバイオハザードが高いとみなされます。搬送や取り扱いに際して、バイオハザード拡大への注意が要求されます。患者が肝炎ウイルスキャリアであることが判っている場合は、その旨病理検査室に伝えてください。なお、脂肪組織や骨組織は新鮮凍結標本の作製が不可能ですので、術中迅速診断に不向きです。

 病理医のいない医療施設で術中迅速診断が必要な場合、病理検査技師の作製した新鮮凍結切片の顕微鏡画像を、遠隔地にいる病理医にデジタル信号として転送することにより病理診断を下すことができます。現在、特定の条件下に限って、テレパソロジーによる迅速診断の診療報酬が認められています。画像の質、転送の速さ、操作性などハード面での改良が進み、テレパソロジー専用機器が普及しています。

Q4.病理診断報告書をどのように読み取ったらいいのか、コツを教えてください。
1)病理診断をどこまで信じるか。
 病理診断名は、経験深い病理医でも、臨床診断に大きく左右されます。画像や検査の情報がないと最終診断に至りえないのはよくある状況です。十分な臨床情報なしに診断を下す怖さを知らない病理医はいないでしょう。病理検査の申込用紙にほとんど何も書かずに提出する臨床医にときどき遭遇します。彼らは、病理診断を他の臨床検査と同等にしか考えていないのではないかと思えます。ひどく危険な誤解です。

 独善的な病理診断にお目にかかる機会もあるでしょう。膵臓や気管支に多少の単核球浸潤があっても、「慢性膵炎」や「慢性気管支炎」といった診断基準の定着した診断名をそう軽々しく用いるべきではないのは当然です。"慢性炎症があるのは事実だ"と言い張る病理医にめぐり合った臨床医は、十分な議論を戦わせてほしいものです。

 決定的な誤診や誤解は、病理診断医と臨床医の話し合いによって、その多くが防げます。病理側からみれば、病理所見が臨床的判断と全く合わないときが分岐点です。確かに、臨床医が全く考えていない診断を「ビシッ」と下せたときの爽快感は、病理診断の醍醐味といえますが――。一方、思ってもみない病理診断名が返ってきた場合、臨床医も何か変だと感じて、病理医へ問い合わせや再評価依頼をしてほしいのです。

 病理医と臨床医が十分に連絡を取り合った結果としてひきだされた病理診断は、相当に信頼度が高いものです。病理側と臨床側が、互いに一方通行にならないようにする心掛け、これが「病理診断をどこまで信じるか」のポイントです。

2)所見参照

 病理診断名に付記される "See description" あるいは"See comments" の記述は、病理医から臨床医へのお願いを込めたメッセージです。病理診断報告書の中では、診断名のみが注目され、所見の部分はしばしば読みとばされることを、多くの病理医は経験的に知っています。つまり、"See description" は、「少なくともこの例に関しては、中身を読んでください」の意味です。

 所見の内容はさまざまです。肉眼的・組織学的・細胞学的所見の詳細を羅列するばかりではなく、特殊染色の結果とその解釈、鑑別診断のリストと可能性、アドバイザーの意見あるいは反対意見、診断の確定に必要な臨床検査や画像診断の依頼、診断が確診されない理由(言い訳)と再検査の依頼、治療方針へのアドバイス、参考文献など、臨床医の役に立つメッセージが満載されているでしょう。病理診断は必ずしも絶対的ではありません。確実な部分と不確実な部分を読み分けてほしいし、もし疑問があれば、病理診断医と直接話し合ってほしい。無用な誤解は、誤診そのものに等しいのですから。

3)追加報告と電話連絡の重要性
 病理医の多くは、病理診断は正しかったが「遅すぎた」経験をもちます。結果が出るまでに一定の時間のかかる免疫染色や電顕観察の結果を待つと、診断はより正確になりますが、診断報告が遅くなります。場合によっては、「拙速」を最優先させるべきであり、HE染色で推定される鑑別診断、緊急治療を要する疾患の可能性を速やかに臨床医に伝えることが求められます。特殊染色による詳細な検討は、HE染色による一次報告に続く「追加報告」とすべき場合があるのです。

 しかし、不確実な一次報告より、より確かなレポートが求められる場面も少なくありません。この場合、病理医がどのような診断を考え、どんな検討を加えているかを臨床医に電話で伝えることが重要です。たった一本の電話が患者の運命を分ける可能性があります。

C検体取り違え
 病理標本の作製は基本的に手作業です。検体採取現場(外来、病棟、手術室)では、標本採取の際の固定容器への収容とラベリング、申込用紙との照合で検体取り違えが生じる可能性があります。病理診断部門では、検体の受付・番号づけ、切り出し・パラフィンブロック作製、薄切・染色、標本ラベル添付、そして病理医による診断書作成など、すべての過程で検体取り違えが発生します。結果として、違う患者の標本に診断が下される可能性があります。同時に多数の検体を処理する場合、こうした作業ミスを完全になくすことは難しいので、病理診断が臨床診断と大きく異なる場合、検体取り違えの可能性を考慮できるかどうかが運命の分かれ道となります。予想しない病理診断にであった場合にどう対応するかが、臨床医としての質を問われる瞬間でもあります。

(図14)にパラフィンブロックを示します。白いカセットに病理検体番号を書きます。ミスがミスが生じうることが想像できますか?

 検体間の混入(コンタミネーション)もあります。ピンセットの先やメスの刃先に付着した微小片が作業中に他の検体に混入する可能性です。細胞標本でも、染色液に浮遊する細胞がしばしば粘着性の高い喀痰標本に付着します。これらを正しく見抜くことは病理医の責務です。
図14:パラフィンブロック
固定された病理検体はパラフィンに包埋され、図のようなパラフィンブロックとして永久保存される。
パラフィンブロックからはいつでも顕微鏡用切片が薄切できる。

D病理診断名と病理学的判断
 病理診断名の選択肢は、分類により、臓器により、人により、施設により、国により、時代により、そして日により、かなりの幅があります。大腸ポリープのポリープ切除標本を数人のベテラン病理医がみると、異型の強い腺腫、高度異形成、腺腫内癌、上皮内癌、境界病変などと用いる診断名がばらつくでしょう。しかし、「浸潤性発育がなく、追加切除不要、要フォローアップ」といった判断は共通です。こうした「診断病名の揺れ」は、病理形態像になじみの薄い臨床医には、理解しづらいでしょう。病理診断を最終診断と信じている立場からすると、この不統一は許しがたいことかも知れません。

 肝腎な点は、患者の利益となる的確な判断です。診断名のみならず、付記されたコメントや所見が重要です。泣きどころは、カルテの記述や臨床医の意識の中では、しばしば、病理診断病名のみが生き残ってしまう事実です。統計学的にデータを処理する場合には、同一病変が腺腫となったり腺癌として扱われたりすることになります。病理診断は、統計のためではなく、あくまで患者のためにあるべきです。

〔文献〕
1)堤寛.病理診断をどこまで信じるべきか.病理診断をどこまで信じますか(堤寛、編).臨床医へのメッセージ.別冊・医学のあゆみ、医歯薬出版、東京、1997, pp. 23-25.
2)長村義之、安田政実(監訳).外科病理標本の見方・切り出し方(Hruban RH, Phelps TH, Westra WH, Isacson C著)、メディカル・サイエンス・インターナショナル、1998.

一番上へ




 病理診断科標榜をきっかけに、患者さんに顔の見える病理医に外部リンク

 患者に顔のみえる病理医の実践と病理診断科標榜外部リンク
  (イデアフォー通信66:2008.4月掲載)


一番上へ



| Home | Member |